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いざよいの月に抱かれ

作者: 桂まゆ

『もしも、人が死んで星になるのなら。私は、夜空からあなたを見つめています。いつまでも。いつまでも』

 俺は、顔をしかめてそのメールを削除した。

 見るのではなかった。新婚旅行中に、別れた女からのメールなど。

「お待たせ。どうしたの、変な顔をして」

 着替えを終えた妻が、彼女の母親を伴って現れる。慌てて携帯を閉じた。

 新妻の父親は、俺の会社の会長だ。つまり彼女の母親は会長夫人という事になる。ちなみに「社長」は先日、俺の義兄になった人の事を指す。

 同僚も先輩も、俺の幸運を羨んだ。だが、当の本人としては、いささか微妙だ。

 新婚旅行は、オーストラリア。だが箱入り娘は、その旅行に両親の同伴を希望した。母親がずっと行きたがっていたらしい。娘として最後の親孝行に、とのことだ。

 しかも、相手がいないと父親がつまらないだろうからと、わざわざ弟まで誘う気の配りよう。俺たちの新婚旅行は、妻の家族旅行に取って代わられてしまった。

 だが、文句を言うわけにはいかない。何より、家族は大切だ。

「お義父さんと芳雄さんは射撃場に行ったけど、本当に俺は別行動で良かったのか?」

 義父と義弟は、俺の事など全く気にせずに自分の趣味に走っている。気を遣わずに済んで助かっている反面、俺の立場は何なのかと聞いてみたくもなる。

「だって、稔にはこっちの運転手をしてもらわないといけないもの」

 無邪気に答える、妻。はいはい、それが俺の立場ですか。何事も長いものに捲かれろ、だ。

 俺は立ち上がって、妻と義母をレンタカーへとエスコートした。


 再びメールが入ったのは、彼女たちをケアンズのショッピングセンターまで連れて来た時。

『そちらの天気はどうですか? 日本はとても良い天気です。今夜も綺麗な月が出ると良いですね。私、生まれた時と同じ綺麗な月の下で死にたいから』

 俺は、うんざりと眉を寄せた。

 美月。

 別れた女の名だ。彼女が生まれたのは満月の次の夜で、夜空にはとても美しい十六夜いざよいの月が出ていたらしい。その月に見守られて生まれた子供だから、「美月」という名がつけられたのだと、彼女は語っていた。

 そして、「いつでも、一番にはなれないのが自分だ」と悲しげに言っていた。そんな彼女が愛しく、守ってやろうと思った事もあった。

 昔の話だ。つき合う間に美月の愚痴っぽさには苛々する事が多くなっていた。

『嫌がらせはやめろ』

 そう返信する。

 三年間の半同棲生活。でも、所詮は惰性でつき合っていただけ。会長令嬢との婚姻は、俺にとってまたとないチャンスなのだ。どちらを選ぶかなど――解りきった事ではないか。

(死ぬからね)

 別れる時に、美月は言った。「あなたにとって一番じゃないのなら、死んでやる」と。

(好きにしろ。お前の人生だ)

 そう答えた。美月にそんな勇気なんかないだろうと、高をくくっていた。そして、美月が死んだという話はどこからも聞こえて来なかったので、女の世迷い言だとあらためて思った。

 今になって、こんな嫌がらせは陰湿だ。気分が悪くなる。

「どうしたの? 怖い顔をして」

 俺は、よほど険しい顔をしていたのだろう。妻が怪訝そうに尋ねた。

「ただのいたずらメールだよ」

 慌てて笑顔を作って、そう答える。勿論、妻は美月の事など知る筈もない。

「だったら、受信拒否すればいいじゃない。つき合ってるだけ、時間の無駄でしょ?」

 俺は、はっとする。言われるまでもない。美月のアドレスはとっくの昔に、受信拒否リストに入っている。それなのに、どうして美月からメールが来るのか。

 気味が悪くなり、俺は携帯の電源をオフにした。


 女の買い物には、そういつまでもつきあえるものではない。「夕方には迎えに来るから」と言い残し、ショッピングセンターを後にした。どうせ二人は俺がいない方が気楽に買い物が出来るに違いないのだ。

 夕食は、十九時に三つ星のレストランを予約してある。それまでは、気儘に過ごして良い時間だった。

 レンタルした車は、オープンカー。海岸沿いの道を、悠々と走る。頬に当たる風が気持ちよかった。小腹が空いた頃に、目についた海の見えるカフェで少し休憩する。

 解ってはいた。妻にとって一番大切なのは、自分の家族。俺はただの便利屋に過ぎない。それでも、彼女は会長の娘で社長の妹だ。俺に様々なものを与えてくれる。

 少しぐらい我が儘でも、俺のことを便利屋ぐらいにしか思っていても、妻を愛すると決めた。

 そうだ。満月に照らされたシーツの上の妻の裸体は、眩しいぐらい美しかった。

 うっとりとそんな事を考えている間に、うつらうつらとしていたらしい。気がつくと、周囲は暗くなっていた。まずい。早く迎えに行かないと、どんな文句を言われるか解ったものではない。

 車に乗り、エンジンをかける。

 夜空には、南半球でしか見られない星座が輝いていた。

 メール着信音が響いたのは、その時だ。妻からの催促のメールかと思って携帯を手に取り、思い出す。

 携帯の電源は、切っていた筈だ。

 はっと気がついて空を見上げた。

 そこには大きな月が浮かんでいる。そうだ、昨日は確か満月だった。では、今日は……。

(もしも、人が死んで星になるのなら)

 今朝方のメールの文章が思い出された。あの女の声で、脳裏に響く。

(私は、いつでも夜空からあなたを……)

 やめろ。

 俺は、スピードを上げた。

 だが、そんな俺をあざ笑うように月が追って来る。ルームミラーに映る月が、どこまでも追いかけて来る。

(夜空から、あなたを見つめています)

 やめろ。

 前方に、ヘッドライトが見えた。いつの間にか、センターラインを大きく越えてしまっていた事に気づく。

 慌ててハンドルを切る。何とかかわす事が出来たのだろうか。そう思った俺の目の前に、月が見えた。

 恐怖した。知らず、アクセルを踏み込む。

 大きな衝撃があった。そして、浮遊感。俺は車から放り出された事を知った。ガードレールを越えて、落ちていく。

 空には、美しい月。何故か脳裏に美月の勝ち誇ったような笑顔が浮かんで、そっと目をそらす。

 そして、俺は光る海面へと落ちて行く。気がついた時には、もう遅い。

 海に映る十六夜の月が、俺の体を包み込んだ。

読んで頂き、ありがとうございました。


実は、投稿した後である方に致命的な間違いをご指摘いただき、姑息にも修正しております。

指摘頂いた方に、心からお礼を申し上げます。

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― 新着の感想 ―
[一言]  初めまして工場長です。  主人公の元彼に対するドライな気持ちや、最後恐怖におびえて追われる様子、なぜドライからいきなり恐怖になった理由とかがよく分かりやすかったです。  ラストのシーンは…
[一言] こんばんは、かじゅぶです。 作品読ませて頂きました。 ステキな題名に負けないステキお話で、堪能させて頂きましたよ。 いざよいの月に抱かれて…… 渋いっす。渋すぎます。 題名通りの幻想的な結末…
2010/03/02 18:06 退会済み
管理
[良い点] オーストラリアで怪談というのも、和風なタイトルとあいまって異色に感じたんですが、主人公との美月の情念の絡まり具合がたまらない一作だと思います。 特にラストの事故の場面では、主人公の目の前に…
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