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破壊の天使

作者: 三雲零霞

※この作品は2022年7月に発行された文芸部・イラスト部の合同誌に掲載したものです。




ある日、天使が私の前に現れた。


そう言って、信じてくれる人はどれほどいるだろう。

だがしかし、本当なのだ。


そして事実、今わたしの目の前にいる。


「おはよう、ユウリ」


赤い瞳が、わたしの眼前十センチからわたしの顔を見つめている。


「うぅ……だからそんな近づかないでって言ったでしょ……」


寝ぼけ眼を擦りながら、わたしはベッドからむっくりと起き上がる。


「えー、ユウリは目が悪いからこれくらい近づかないと見えないかなって」

「だからってそんな近くなくたって。眼鏡かければ見えるんだし」


彼女の言うとおり、わたしはかなり視力が悪い。

寝起きでは脳が働いていないせいか、特に見えない。今も自分の部屋の物の輪郭がぼやけている。


わたしはベッド脇のテーブルをまさぐり、眼鏡を触覚だけで見つけるとそれをかけた。途端に視界がクリアになる。


「ねえユウリ、私に言わなきゃいけないことがあるんじゃない?」

「え? 何のこと──」


言いかけて気づいた。


「ああ。……おはよう、『テンシ』」


美少女の姿をした天使は、満足そうににっこりと笑った。






その日は日曜日だった。

朝、いつもどおり布団の中で目を覚ますと、部屋に黒髪の美少女がいたのだ。


「私は君の守護天使だ」


彼女は言った。

その自称のとおり、彼女の背中には白く大きな翼が生えており、頭上には所謂「天使の輪」が浮かんでいる。

それもただの輪ではなく、一種の後光のように放射状の装飾がついている。


「わたしは……(かざ)()(ゆう)()

「ああ、知っている。君が生まれた時からそばにいるからね」

「そうなの? でも、一度も会ったことない」

「守護天使は普通、人間には見えないはずなんだ。なんで今君に見えているのかは私にもわからない」


不思議なことに、わたしはこの少女のことを胡散臭いとは思わなかった。ふうん、と自然に肯定の声が出てくる。


「ところで、あなたの名前は?」

「名前? そんなものはないよ」

「天使って、名前があるものじゃないの? ミカエルとか、ガブリエルとか」

「あぁ、それは立場が高い天使だけだよ。私は下っ端だからね」


天使にも立場とかあるのか。


「でも、それだと呼びにくいじゃない」

「なら、適当に『テンシ』とでも呼んでくれればいいよ」

「そんなんでいいの?」

「うん」


この時、わたしは自分の「天使」のイメージが音を立てて崩れていくのを感じていた。


わたしの中での天使像は、もっと神聖で厳かで、自然と首を垂れてしまう、そんな感じだった。

なのに、この子はなんというか、かなりフランクだ。


あれ、天使ってこんなんでいいんだっけ……


「だが、私はただの守護天使ではないよ。何を隠そう、元『破壊の天使』なんだ」

「はい? 天使って、仕事が変わったりするの?」


というか、破壊の天使とは? なんだか物騒なワードだが……。


「そう。天使と一口に言ってもいろいろあってね。天界で神に仕える天使と、地上で人々を守る守護天使に大きく分かれる。私は、元は天界で働いていた。これがまた、役職がいくつかあるんだ。私はその中でも『破壊』を司る天使だった、というわけだ」


「へぇ。でもそんな天使さんが、なんで守護天使に転職したの?」


「それが私にもよくわからないんだ。いきなり辞令が下りて、『明日から守護天使をやりなさい』って」


天使の世界にも辞令とか存在するんだ。人間とあまり変わらないんだなぁ。


「でも、破壊の天使をやっていた頃は我ながらエリートだったと思う。少し前に、広島に原子爆弾が落ちたことがあっただろう?」

「ああ、うん。全然『少し前』じゃないと思うけど」

「おっと、人間は寿命が短いんだったな。時間の感じ方も天使とは違うのか。いや、そんなことより。それを()()()()のは私なんだ」


テンシは誇らしげに言った。しかしわたしにはちんぷんかんぷんだ。


「担当……? どういうこと?」

「うーん、つまりだな……実質、あれを落として、街を焼き払ったのは私、ということだ」


テンシは、それがまるで自分の成した偉業だと言うように胸を張った。


「はい? だってあれは、アメリカ軍が飛行機で持ってきて落としたんじゃ……」

「それは人間がそう勘違いしているだけだよ。戦争も含め、人類が主体的に行っていると思っている営みの全ては、実は神によって定められた運命のとおりに動いている。悪い言い方をすれば、君たち人間の行動は全て神の掌の内、というわけ。で、人間たちをその通りに動かすのが天使の仕事なんだよ」

「そんな……じゃあ、わたしがこの前の数IIのテストで赤点をとったのも?」

「ああ」

「目がこんなに悪くなったのも?」

「そうだね」

「………わたしのお母さんとお父さんが、離婚したのも?」


テンシは一瞬黙った。そして、


「そう。全て、我が神の思し召しだ」


少しトーンを低くして、そう言った。


「そんな……やってらんないよ」


自分の思考も、行動も、真に自分のものではないというのか。

ならば、この憂鬱も──「あの子」のことも、全部無駄だった?


「この事については、あんまり深く考えない方がいい。無限ループに陥るからね」


テンシは、困ったように笑った。



これが、二ヶ月ほど前、五月八日の話。






「行ってきまーす」


玄関から誰もいない家に向かって声をかける。


防犯上、家に誰かがいると思わせるために、出かける時は必ず「行ってきます」を言えと母に言われているからだ。


ようやく期末テストが終わった所で、太陽は朝からじりじりとわたしの頭に照り付けている。


テンシは、裸足の足を熱したフライパンのようなアスファルトから三十センチほど浮かせて、その翼で飛びながらわたしに着いてくる。

汗ひとつかいていないのは、人ならざるものだからだろう。

白いゆったりとしたワンピースが、時折吹く生温い風に揺れていた。


「ねえユウリ、そこに涼しそうなコンビニが──」

「だめ」

「まだ何も言っていないじゃないか」

「どうせアイス買って〜とか言うんでしょ」


テンシは悔しそうに頬を膨らませ、「くそぉ、お見通しってわけか」などとぼやいている。


実は、以前テンシにコンビニで買ったアイスを少し分けてやったところ、ものすごく気に入ってしまったのだ。


彼女曰く、天使は基本的にものを食べなくても生きられる(厳密にいうと「生きる」という表現も違うらしい)が、食べようと思えば食べられる。ただし、人間が加工したものはあまりたくさん食べると体に悪いので、ほどほどに……とのこと。

天使の中には、嗜好品として人間の食べ物を食べる者も一定数いるらしい。人間にとってのお酒のようなものだろうか。


「ねぇユウリぃ、アイス……」

「上目遣いとかしても無駄だからね。学校、遅刻しちゃう」

「うぅ……はーい………」


どうにかテンシをコンビニから引き剥がし、わたしたちは学校へ向かった。




教室に着くと、なんとなくクラスがざわついていた。


いや、ざわついているのはいつものことなのだが、肌をじわじわと侵食するような、居心地の悪い空気を含んだざわめきなのだ。


そして、わたしはこの空気を知っている。


「ああ……今日はあの子がいるんだね」


わたしの隣で、テンシが呟いた。


あの子、とは、クラスメイトでわたしの隣の席の(いけ)(じま)(なる)()のことだ。


「テンシ、学校では黙ってて」


わたしは周りに聞こえないように、努めて表情を変えずに言った。


「あ、ごめんよ」


テンシの姿はわたし以外の人には見えないし、声も聞こえない。

人目がある場所でうっかり会話をしようものなら、側から見るとわたしが一人で喋っているように見えるので、不審者だと思われかねない。

だから、テンシには外ではあまり話しかけないように言ってある。


池嶋さんは一人で窓際の席に座り、ぼんやりと外を眺めている。

注意深い人なら、彼女の周りの半径二メートル以内には不自然なほど人がいないのがわかるだろう。


不意に、わたしの入ってきたドアの近くでどっと笑いが湧いた。クラスの中心的な女子グループだ。


彼女たちは池嶋さんの方をちらちらと見ながら、また声を顰めて話し始める。


──嫌だ、聞きたくない。


そう思うのに、わたしは動けなかった。


だって、池嶋さんの隣の自席に行ったら、目立ってしまう。

かといってここにいたら、女子グループの陰口が聞こえてくる。


こういう時に仲のいい友達がいれば、その子の所に行って、どうでもいい話をしてやり過ごすこともできるのだが……。


そんなことを考えている間にも、女子グループは話を続ける。


「にしてもさぁ、よく学校とか来れるよね〜」

「どの面下げてって感じじゃん、人の悪口とか言っといてさ」

「それな!」


キャハハ、と尖った笑い声が私の鼓膜を刺す。


「そういえば、あいつ部活辞めたらしいよ」

「そりゃああんなのがいたら部活崩壊しちゃうでしょ」

「リコも負担軽くなっただろうね。あの子、学年リーダーだし」

「ずっと困ってたから、肩の荷が降りたって言ってたよ」


おそらくわざとだろう、池嶋さんにギリギリ聞こえるかどうかというくらいの声量で話している。


池嶋さんはというと、何も聞こえていないかのように先程と変わらない姿勢でいる。

その心中は読みとれない。


その時、救いの鐘が鳴った……。


……キーンコーンカーンコーン。


言わずもがな、ただの始業のチャイムである。


好き勝手に固まって喋っていた生徒たちは、それぞれの席に戻っていく。

池嶋さんの悪口を言っていた女子たちもまた、「じゃあね」「後でね」と言い合って散っていった。


遅刻ギリギリに教室に入ってきた何人かに混じって、わたしもやっと自分の席に着くことができた。


ふと自分の横に浮かんでいるテンシを見上げると、彼女はじっと池嶋さんの方を見つめていた。




その日は最悪だった。


教室の空気が明らかにいつもと違った。

池嶋さんの一挙一動にいじめっ子たちが反応し、目配せをしたりクスクスと笑ったりするのだ。

何人か注意する先生もいたが、どれも決定打とはならず、次の時間にはまた目配せが始まった。


池嶋さんをいじめているのは、女子だけではなく男子もだ。

おそらく、男子の方は悪意はなく、ただクラスで孤立している池嶋さんを都合のいい笑いのネタにしているだけのつもりなのだろう。


いちばん酷かったのは、前からプリントを回す時だ。

池嶋さんのすぐ後ろが、運の悪いことにお調子者の男子うちの一人の席なのだ。

池嶋さんがプリントを渡すと、まるで生ゴミをつまみ上げるような動作で受け取り、わざと顔を顰めて仲間に目配せする。


わたしは不愉快で仕方がなかった。

だからといって、注意するのも怖くてできない。

向こうとは数も発言力も違いすぎて、負けは目に見えている。


わたしはその日をなんとか耐えしのぎ、七限が終わると逃げるように家に帰った。




「──わたし、どうしたらいいのかな」


自分の部屋のベッドに腰掛けて、わたしはぽつりと呟いた。


「と、いいますと?」


わたしの勉強机に胡座をかいたテンシが聞き返してくる。


「わたし、池嶋さんがいじめ……られてるのが嫌なの。テンシも見たでしょ? あの状況」

「うーん、でも、ユウリは池嶋さんと特別仲がいいわけでもないんだろう? 私には、君がわざわざ彼女のために怒っていることが不思議だね」

「わたしは……あの子のために怒ってるわけじゃないよ」

「ほう?」


テンシは興味を引かれたように首を傾げた。


「それなら、何故あれをどうにかしようとしている?」

「教室の空気が悪い、っていうのが一つ。あとは……罪悪感かな」

「罪悪感? いじめを見過ごしていることへの?」

「うん。傍観者も加害者だって思うもの。でもやっぱり、勇気が出ないんだよね。浮いちゃうし」


──まあ、理由はそれだけじゃないけど。


「ねえ、テンシだったらこういう時どうする?」

「私が、君の立場だったら?」


わたしは、テンシが考え込むだろうと心のどこかで期待していた。しかし、テンシは一瞬も迷わず、自信満々にこう言い切った。



「いじめてる奴らを『壊す』だろうね」



「………え?」


わたしは自分の耳を疑った。


「壊す、って……殺す、みたいな………?」

「まあ、平たく言えばそういうことだね」


テンシは、ゴミをちょっと捨ててくる、くらいの何気ない調子で言った。


「だ、だめだよそんなこと……! だって、人を殺したら捕まっちゃうじゃない」

「だけど、いじめてる奴らだって池嶋さんの心を殺してると思わない? 相当の報いだと思ったんだけどな」

「そういうことじゃなくて……! ああもう、話が噛み合わない!」

「じゃあ、もしも人を殺しても罰せられないとしたら、ユウリはあいつらを殺す?」

「……っ、それは………」


わたしは少しだけ、答えに迷った。だが、


「……それでも、殺さないと思う」

「理由を聞いても?」

「池嶋さんをいじめてる人たちだって、それぞれ事情とか、やりたいこととか、あると思うから。それに、罪とか報いとか、そういうのはわたしが勝手に決めていいことじゃないと思う」

「ふぅ〜ん……」


テンシはなんとなく腑に落ちない様子だ。


その時、ふとわたしは気づいたことがあった。


「あまり関係ない話だけど……テンシが守護天使に転職させられた理由、わかったかもしれない」

「え?」


わたしがあまりに突拍子もないことを言い出したので、テンシはきょとんとしている。


「テンシって、天界でもそんな調子だった?」

「あ、ああ」

「あなたが『悪い』って判断した人には罰を与えてた?」

「罰……そうかもしれない」

「だからだと思う」

「………」

「天界の天使たちがどんな感じか、わたしにはわからないけれど……。組織なんでしょ? だったら、みんなが好き勝手なことしてたらまとまらなくなっちゃうじゃない」

「でも、天使たちはかなり自由な感じだよ。だからちょっとくらいまとまらなくたって……」

「違うの、あなたは。その、すぐ『壊す』っていう選択肢が出てきちゃうのがまずいんだよ。たぶん、テンシの配属替えを決めた人は、あなたが地上で人間と触れ合うことで、もっと人間性とかを身につけてくれることを期待したんじゃないかな」

「……なるほどなぁ。確かに、思い当たる節がないでもない」


テンシは顎に手を当てて、考え込む素振りを見せた。


「………でも、わたしはテンシが羨ましいよ」


口から零れた言葉は、無意識だった。


「何故?」

「だって……『破壊』っていうマイナスな方向でも、何かしら行動を起こそうとしているもの」


それに比べてわたしは──自分の保身しか考えていない。


「わたし、本当はね……池嶋さんの代わりに、自分がいじめの標的になるのが怖いの」

「ユウリ……」


本当は、誰にも言うつもりはなかった。自分自身ですら認めたくなかった。


わたしはベッドの上で膝を抱えて小さくなる。まるで、身を守るアルマジロのように。


「池嶋さんが、なんでいじめられてるかっていうとね。……あの子、今はすごく大人しくしてるけど、去年は結構友達が多くて、人気者だったの。クラスの中心みたいな感じで。

でも、良くも悪くも気が強いっていうか、頑固っていうか……それに、空気を読まない発言が多かったらしくて。たぶん、一部の人からは元々嫌われてたんだと思う。

それで、去年の二月か三月くらいに部活のメンバーと揉めちゃったみたい。それをきっかけに人気が落ち始めて、四月に学年が上がった時に仲が良かった子たちがみんなクラス分かれちゃって、本当に孤立しちゃったの。で、今みたいないじめが始まった、ってわけ。

まあ、全部人に聞いた話だから、本当かどうかはわからないけどね」


「なるほど。人間というのは難しい生き物なんだな。だけど、その話とユウリが標的になるっていうのは何の関係があるんだ?」


「……わたし、池嶋さんに少し似てるんだ」


ずっと目を背けてきた、逃げ続けてきたこと。


「池嶋さんは、頑固で空気を読まないって、わたしさっき言ったでしょ。あれ、わたしもそうだと思うの」

「そうか? ずっとユウリのことを見てきたが、そんなことはないと思うよ」

「ううん、そんなことある」


わたしは何度も首を横に振った。


「わたしが学校でずっと一人なのは、それが理由なの。わたし、空気読んだり、人の気持ちを考えて喋るのが苦手で。もし喋ったら、相手を傷つけるようなことを言っちゃう気がするから、だからいつも一人でいるんだよ」

「……なるほどな。正直、私にはさっぱりわからない感情だが」

「うん、わかんないだろうね」


わたしは苦笑する。


「だからね、たぶん、池嶋さんじゃなかったらわたしがいじめられてたと思うの。わたし、実は少しほっとしてるんだ。自分が標的にならなくて済んで良かったって。……でも、そんなことを考えてる自分が嫌になる。わたしも、テンシみたいに思いっきり全部壊せたらいいのに」


ずっと隠していた、自分の奥底の仄暗い自己嫌悪。それを、初めて言葉にした瞬間だった。


しかし、言葉にしてみると意外にも、少しだけ気持ちが軽くなった気がした。

もやもやとした形のない感情を紐解いて言葉にしたことで、自分の気持ちを整理することができたのかもしれない。


「つまるところ、私たちは正反対なんだろうな」


テンシがそう言って、笑った。


だが、すぐに彼女は難しく考え込むような表情になる。


「どうかした?」

「いや……ユウリ、私が今日あの子を見た時………」


あの、なんでもずけずけ言うテンシが珍しく口籠もっている。

言おうか言うまいかしばし逡巡していたが、


「いや、やっぱりいい。なんでもない」


軽く首を振り、座っていた机からひょいと飛び降りた。


「さあ、そろそろ晩御飯の支度をしなければいけないんじゃないか? 行こう」

「そうだね。お母さん、そろそろ帰ってきちゃう」


テンシが言いかけてやめた話は少し気になるが、それはまた今度訊いてみよう。


思えば、テンシが来てから、というか見えるようになってから、わたしは家にいても寂しくなくなった気がする。

それまでは、学校でも家でもひとりぼっちだったから。


そう考えれば、彼女がたとえサイコパスな破壊の天使であっても、わたしにとっては少なからず救いなのだ。






「池嶋さんは、昨日事故に遭って……残念ながら、今朝亡くなったそうです」


担任が告げた時、教室は静まり返った。聞こえるのは、冷房の冷たい機械音と、窓の外の蝉の声だけだった。




わたしは、夕暮れの住宅街を家に向かって歩いていた。


「ごめんよ、ユウリ………私は、彼女がもう長くないことを知っていた」


それまでずっと沈黙を貫いていたテンシが口を開いた。


「……どういうこと?」

「一昨日、言おうかと思ってやめたんだけど……彼女には、生命の天使がついていた。生きた人間に生命の天使がついているということは、その人がもうすぐ死ぬということを意味している………」

「……そう」


別に、言わなかったことに対しては何も怒っていない。

あの時テンシがそのことをわたしに告げていたとしても、天に決められた運命は変えられなかっただろう。


「ねえ、テンシ」

「どうした?」

「……池嶋さんは、今死ねて良かったと思う?」


テンシは黙った。たっぷり十秒は黙った後、


「………そうかもしれないな」


とだけ言った。

「あれ以上、いじめられる苦しみを味わわずに済んだ。だから、このタイミングで死んで良かったと、そう言いたいんだろう?」

「……うん」


──だって、それくらいポジティブに考えないと……。


「好きなように考えればいいじゃないか。どうせ死んだ人は何もできないんだ、生きている人がどう考えたって自由だと思わないか?」


テンシは明るく言った。彼女のことだ、本当に素でそう思っているのだろう。


「……ふふ、本当にテンシは凄いな」

「え? 今、何か言ったか?」

「ううん、何でもない」


やっぱり、テンシはわたしの救いだ。






挿絵(By みてみん)


挿絵(By みてみん)

テンシちゃんのイラストを2枚、友人の鳩浅葱さんに描いていただきました!

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