言えない
「柳川さんはさ、いじめのことを両親とか教師とかに言ってないの?」
なんてことない雑談の一幕のつもりだった。
あまりにも返答が遅くて、見つめていた天井の穴から彼女に視線を移す。絶望とまではいかないけど、なにかを恐れているような表情が目に入った。
僕に見返されているのに気付いて、彼女はハッと我に返る。
「いえ……そういうのは、言ってないです」
「どうして?」
またすぐには返ってこなかった。
「……あまり、心配かけたくないから」
嘘だろうなと思った。
というより、本音じゃない。心のどこかではそう思ってるかもしれないけど、それ以上に話せない理由を彼女は隠している気がした。
「濡れた服とかはいつもどうしてるの?」
「共働きで帰ってくるのが遅いので、今はなんとか」
良かったねと言ってあげていいのか駄目なのか。
もし母親が常に家にいるなら、隠すにも限界があっただろう。服を乾かすにしても、部活に入っていないのに帰りが遅ければ不審がられることになる。
その反面、言い出さざるを得ない状況にいれば現状が変わったかもしれない。いじめを告発して精神的苦痛から逃れられたかもしれない。
それでいじめがなくなるとは思えないけど、ある程度の抑制にはなると思う。
「そう、よかったね」
とはいえ、僕にはどうでもいいことだ。
彼女は僕をいじめの隠れ蓑に、僕は彼女との時間を暇つぶしに。それだけのこと。彼女もあまり踏み込んで欲しくはなさそうだから、詮索するような真似はしない。
気になりはするけれど、きっと聞けば知れてしまいそうで、興味が失せた。
「先輩は、わたしといるの嫌ですか……?」
「全然。なんとも」
彼女といることを、辺鄙な教室で放課後を過ごすことを嫌だと思っていたら、まずあんな申し出をしていない。多少の善意はあったかもしれないけど、承諾の決め手となったのは、やっぱりいい暇つぶしになると思ったからだ。
どうしてと聞き返すまでもなく、それは彼女の方から続けてくれた。
「あのときは、わたし本気で死のうと思ってたんです。死ねば全部どうにでもよくなるって思ってて、けど、一度怖くて死ぬのを諦めたら、何もかもがどうにもならなくなって……いじめが苦しいのも、親に言い出せないのも、全部」
まるで現実に押し潰されているようだった。
解放されるはずだった枷は、死ぬつもりだったときは見えない。現実に引き戻された瞬間、手足はおろか首や腰にまで付いていたのを思い出される。
その先に繋がれた鉄球の重さに動けなくなってしまっている。そんなふうに見えた。
「どうしようもなくなって、けど、だからっていじめられたままでいるのはやっぱ苦しくて、わたしは先輩に逃げ込みました。でも、それもただ問題を先延ばしにしてるだけです」
「あの三人だって、いつか飽きるんじゃない?」
「たぶん、ないです。いえ、いつかはあるかもしれないですけど、そんな他人に願う方法は不安になって嫌です」
「そう」
「そんな変わろうとしないわたしに嫌気がさして、あんなこと聞いてきたんじゃないかって、思ったんです」
さっさと面倒な状況を解決して欲しくて親の話を持ち出した、彼女は僕の質問をそう受け取ったんだろう。なんともマイナス思考、悲観的だ。
すごく生きづらそうだ。
「ごめんなさい、疑うようなことをしてしまいました」
「いいよ。別に僕は君を嫌いだなんて思ってないし。ここだけの話、僕って他人に執着しなければ、好き嫌いとかしない人間なんだ」
「なんというか、うなずけてしまいます」
それはそれで傷つく。
「そんなこと気にしないで気が済むまでここにいればいいよ。それに意外と、君との時間はつまらなくないみたいだし」
ありがとうございます、彼女は深く安堵の息を吐き出した。
一区切りついたと僕が伸びをすると、彼女もまた読書に戻った。
「しかし、暇だねぇ」
「さっきと言っていること真逆じゃないですか!」
勢いのあるツッコミだった。
「でも、ごめんなさい。付き合ってもらっているのに本ばかり読んでて」
「別に君が悪いとは言ってないよ。ただそう思っただけ」
ここに来るようになってまだ一週間も日が経っていないけど、埃っぽくて生温かい教室もそろそろ飽きてきた。教材置き場だから何かあるだろうと漁ったこともある。どれも小難しいものばかりで詰まりそうにない。
暇つぶしに掃除しようとは思わなかった。
「要するに、柳川さんが放課後に一人にならなければいいんだよね」
「古畑さん……あ、あの三人の中の、明るい茶髪の子です」
ああ、由美とか呼ばれてたリーダーっぽい子か。
「彼女たち、部活入ってないみたいで。帰り道も途中まで一緒だから、すぐ帰るのも無理だし、かといって教室に残ってると……」
濡れ鼠。
丘上にあるうちの中学に通う生徒は、生徒が帰る方向は大雑把に分けて二方向だけだ。丘の近くにある住宅街の方と、環状線沿いに出る方。しかしそれで同じ方向となると、あの三人は小学校から同じなのだろうか。
なんとも世知辛い。
「なら、すぐ一緒になれればどこでもいいわけだ」
教室にいれば一人のところを見つかる。帰っても道同じだから見つかる。逆に一人にさえならなければすぐ帰ってもよし、ということだ。
「放課後、帰るフリしてどっか遊びに行こうよ」
「でも寄り道はしちゃダメですよ」
「バレなきゃいいんだって。お堅いんじゃこのさき生きていけないよ」
制服のまま塾行く人だっているわけだ、言い訳はいくらでもできる。第一、昼間から教師が街に出てくることはないだろう。
告げ口なんてことをするつまらない生徒さえいなければ問題ない。
「柳川さんもずっとここじゃ息が詰まるでしょ。僕はもう窒息死しそうなくらいだ」
「……先輩がそうしたいなら」
「じゃあ、そうさせてもらうよ」




