20メートル
とある曇りの日、僕は特別棟の四階にいた。
今日はなにか頼まれたわけじゃない。彼女がどうなったのか少し気になった。朝会とかニュースとかで問題になっていないことを思うと、まだ生きてるんだろう。
「こんにちは、今日はあまりいい天気じゃないね」
「っ……!?」
生きていた。
前とまったく同じ姿勢で窓から身を乗り出していた。
「なんでまたいるんですか」
「好きだから」
「は?」
思いっきり彼女の目が見開かれた。
「トイレって狭いから落ち着くじゃん」
ここみたいに人が全然こない場所ならなおさらいい。
「あ、あぁ……そうですか」
ぐっと彼女は押し黙った。共感してくれたのだろうか。たぶん違う。
「今日も自殺?」
「……先輩は、よくそんなことをのうのうと訊けますね」
「僕からしたら、なんで人が死ってものをそこまで重く捉えられるのかが疑問だよ。それに死ぬのが悲しいことだって考え方も」
死は救いだ、なんて宗教じみたことを言う気はないけど。
「一つ聞きたいんだけどさ」
「なんですか」
「君は僕に、死なないでって言って欲しいの?」
前になんで怒られたのか、少し考えた。
彼女に本気で死ぬ気はなくて、そうやって目立つことで、誰かの目に留まることで、止めて欲しいんじゃないかって。そういう人が世界には一定数いることは知っていた。その理屈を納得できないけど、理解はできた。
悪いことをして、それをネットに上げて人気になろうとするようなものだろう。正義感とかさらさらない僕からしたらどうでもいいことだけど、ずるいやり方だな、とは思う。
「そうだったら、なんだっていうんですか?」
「別にどうもしないよ。答え合わせがしたかったんだ」
あいにく人のやり方にあれこれ言えるほど、僕は堂々とした人間じゃない。
「でも言って欲しいなら言ってあげるよ。どんな風に言って欲しい?」
唯一の親友風? 白馬の王子様風? あとは……思いつかないからいいや。
「ふざけないでくださいっ!」
怒られた。
「ごめん。今のは僕が悪かった」
「まるで他はわたしが悪いみたいな言い方しますね」
「君、意外と口悪いんだね」
彼女は黙った。
「別に良いとか悪いとかじゃないと思う。死ぬことがいいことだとは思わないし、悪いことだとも思わない。だから僕が悪いわけでも、君が悪いわけでもない」
「意味がわからないです」
うん、僕もだ。たぶん、良し悪しなんてどうでもいいんだ。
「ねぇ、柳川さん」
「なんですか」
「パンツ見えてるよ」
「っ、うわ……! ……っと」
今度はスカートを抑えながらも、なんとか持ち堪えた。
キッと涙目で睨まれる。不可抗力だ、僕は肩を竦めた。
「その体勢、疲れない?」
「……疲れます」
「降りたら?」
「早く死ねってことですか?」
「どちらでも。前でも後ろでも、君の好きな方に。横はやめてね」
受け止められる自信ないから。無視してもいいならお好きにどうぞ。
彼女はじっと地面を見つめて、ややあってから後ろに引っ込んだ。
それから縁に手を掛けて、ひょっこりと顔だけを覗かせた。
少し意外だった。てっきり帰っていくのかと思った。
「ねぇ知ってる?」
「なんの豆のCMですか」
「下がコンクリの場合、二十メートル以上ないと死にきれないことがあるんだって。ここじゃ精々、十メートルくらいじゃないかな」
彼女の表情が青ざめた。想像したんだろう。
飛び降りて、うまく死にきれなくて、血を流しながら痛みにもがき苦しんで。良くて骨折、悪かったら下半身付随で一生動けない身体。
「ちなみに一番実効性が高くて死にやすいのは首絞めだよ。首のどっかだか忘れたけど、 神経を傷つけるとすぐ気を失えるからあんまり苦しくないんだって」
「なんでそんな詳しいんですか」
「調べたことがあるから」
彼女が僕を見た。まるで仲間を見つけたかのように。
あいにく、その期待には僕じゃ添えそうにない。
「今更だけど、なんで残ったの?」
「えっ?」
「てっきりまた変態呼ばわりしていなくなるもんだと思ったから」
「それは……」
羞恥に顔を赤くしながら、言い淀む。
「そもそも、先輩が勝手に来てるだけじゃないですか」
なんでわたしが退かなきゃいけないんですか、不満げに言ってくる。
「じゃあ、僕がいなくなったほうがいいかな。それとも、もう来ないほうがいい?」
「勝手にしてください。というかわたし、もうここ来ませんから」
言うだけ言って、彼女は顔を引っ込めると、勢い余るほど強く窓を閉めた。
廊下の方からパタパタと遠のいていく足音がした。




