贖罪
夕方には通りまで柳川さんを見送ってリビングに戻る。
百舌鳥ちゃんはソファを独占して夕方枠のアニメに夢中だった。邪魔しては悪いので、テーブルの珠夜さんの向かいに座る。
「ありさちゃんだったかしら、よく出来た子ね」
「はい。いい後輩です」
言うと、珠夜さんは意味深に笑んだ。
「友達って聞いてたから男の子が来ると思ってたからびっくりしちゃったのよ。女の子なら言ってくれてもよかったのに」
柳川さんのことは今まで珠夜さんに話したことはない。むしろ友達として認知されている人といえば、夜遊び仲間である浥の方だ。
珠夜さんは不平不満を言っているというよりは、安心しているようだった。いつもの一歩引いた距離感というか、隔たりのようなものが感じられない。
自然で接してくる珠夜さんに、少し緊張がほぐれた。
僕が柳川さんを家に呼んだのは証明するためだった。
もしくは、自覚するため。
勝手に死なないと、辛くても生きると、死んではいけない理由を持たなくても、生きなきゃいけないから生きると、そう決めたことを。
そんな今の自分の指標となる何かがずっと欲しかった。
自分が生きようとしていることを認識して欲しかった。
ふわふわと生きている自分をちゃんと繋いで欲しかった。
そうしてくれるのは誰かと考えて、出てきたのは家族だった。
血の繋がりはないけど、最も近くにいる存在だと最近になって理解した。
別に柳川さんだけでも、梅田でも朝日でも、浥でもよかったのかもしれない。それでも最初に珠夜さんに思い至ったのは、贖罪の意味もあったと思う。
気にかけられているのを知っていて、それでも尚見ないふりをしてきた。
妹として、姉を救えなかったことを悔いて。その負い目から何も出来なかった自分なんかと卑下して、一人残された可哀想な息子に深く接することを躊躇った。
珠夜さんのそんな内心を薄々察していながら、どうでもいいと無視してきた。
死んでもいいという意識は、悪い意味でも僕の物事への執着を薄弱とさせていた。どうにでも出来てしまうから、その重大さを感じ取れなくなっていた。
死ねなくなった今になってようやくそれ気づいた。
いいや。
理屈で話すのは、どうにも僕には向いていないからやめよう。要するに、生きていく上で蟠りはないほうがいいと思ったのだ。
今まで迷惑かけてごめんなさいって、謝りたかった。
「すみませんでした」
「そこまで真剣に謝らなくてもいいのよ。むしろ少し嬉しいくらい。灰くんが友達の話することってなかったし、家に呼べる子がいるって知れたから」
無意識なんだろうか、実は心配していたといっているも同然な本音がこそばゆい。
「それもですけど……今まで、色々と心配かけてすみませんでした」
言うと、珠夜さんは目を瞬かせる。それから困ったように笑った。
「どうしたの、急に」
「自分でもよくわかってないんですけど、色々あって、言わなきゃなって思ったんです」
「……そう」
今までの目を逸らすようなものではない、静かに受け止めるような相槌だった。
「お母さんが死んでから最近まで、投げやりっていうか、何事もどうでもよく思って生きてました。けど、もう大丈夫です。うまくは言えないんですけど……とにかく、生きるって決めたんで、大丈夫です」
言葉にしていて、あのときの柳川さんの気持ちが少しわかった気がする。
居た堪れないこの感情が、きっと恥ずかしさなんだろう。
やっと真面目に向き合えた。でもまさか、泣かれるとは思ってなかった。大の大人が泣き出すところなんて、苦しさから逃れるために死んでいった母親のでさえ見たことなかった。
「ごめんなさいね、いきなり……」
赤く腫れた目元を拭って珠夜さんは言ってくる。
「ずっと恨んでると思っていたの。香夜が……お母さんが亡くなる前に気づいてあげられなかったこと」
「そんなことないです。お母さんが死んだのは正しいとは思わないですけど、あれ以上苦しまずに済んだって意味では、よかったって思ってますから」
「でも、一緒にいれたらって思わなかった?」
「それはそれで、普通の人生を送れたんだと思います。それでも、思ったところで変わらないって答えは薄情かもしれないけど、未練は残ってないんです。こうやって不自由なく生活させてもらえてるだけ幸せかなって」
有り得たかもしれない未来を思って、今を下に見るようなことはなかった。
当時僕が狂うことなかったら、後悔して過去を引き摺り続けていたかもしれない。死ぬ間際、母が僕のことをどう考えていたのか、そもそも考えていたのか、もう知ることはできないけど。
今の僕なら安心してくれるだろう。
だから、もう大丈夫です、改めて言う。
「これからもお世話になるわけですけど」
「当たり前じゃない……それにね、心配とか迷惑とか考えなくていいのよ。困ったことがあれば頼って辛いときは甘えてもいいの。まだ子供なんだから」
「……はい。ありがとうございます」
あと、珠夜さんは人差し指を僕に向けて立てた。
「夜遊びはダメだからね」
「すみませんでした」




