三度目の遊園地
水族館で使ったチケットを遊園地側のゲートで見せて、園内に入る。うっかり間違えて、両方分のチケットを僕が買ってしまったからには入らなきゃもったいない。
子供は親の同伴なしに入れない時間帯だった。僕が高校生だと嘘ついた。反省する気はない。乗るアトラクションは一つだけだし、入ってしまえばこっちのものだ。
「何処行くんですか?」
「遊園地といったらこれ乗らないとね」
曰く、遊園地の最後は観覧車に乗るのが決まりらしい。
なんでかは知らない。
ただ、カラフルにライトアップされた夜の遊園地を思うと損はないなと思う。綺麗さの意味でも、ムードの意味でも、最期にはうってつけだろう。
カップルが多い列に並ぶ。長いこと待たずに順番が来た。以前に倣って柳川さんの対面に座ろうとして、やっぱり横に変えた。こっちの方がいい。
籠がゆるゆると地面から離れていく。思っていた以上に数あるアトラクションが爛々と輝いている景色が見え出す。高さが増すごとに輝きも増していく。
それでも一向に、デート最後の観覧車が感動で埋まる気配がなかった。
一度現実に引き戻されてしまった後で心から楽しめなんて無理な話だ。最期のひとときくらい柳川さんに明るい感情で彩ってほしいと思っているのは本音で、僕のエゴなのかも知れない。もしくは柳川さんの言う第三者が抱く見当違いの憐れみ。気にしたところで無意味だろう。
じきに頂点に差し掛かる。そろそろ頃合いだ。
「柳川さん、ちょっと目瞑って」
一拍おいて、柳川さんは素直に従ってくれた。
僕はリュックからロープを取り出して、柳川さんの首に回す。籠天井の鉄棒に通して、自重を目一杯かけられるようにする。
そして、柳川さんの首に巻きついたそれを思い切り引っ張る。見事に柳川さんの身体が宙に浮いた。
首締めは一番実効性が高くて、死にやすい。柳川さんがどこをデート場所に選んでも死なせられる方法だ。
柳川さんの目が驚愕に見開かれる。躊躇うな。口から掠れた声が漏れて聞こえてくる。躊躇うな。躊躇えば柳川さんを苦しめることになる。だから躊躇うな。力に自信のない僕でも、僕の全体重をかければ殺せる。躊躇うな。
殺せ。躊躇うな。
「……しに、たくない………っ」
柳川さんの掠れた声を聞いた。
目元を零れる涙と、助けを求める顔を見た。
怯んだ。
ほんの一瞬、腕の力が抜ける。ロープが緩んだその隙に柳川さんが抜け落ちてしまった。
席から滑り落ちて床に膝をつく。首を抑えながら咽せ返る柳川さんを僕は呆然と見ていた。ただ見つめた。
「なんで?」
柳川さんが言うべき台詞を僕が言っていた。もっと先に言わなきゃいけない言葉があるとわかっていながら、そう言わずにはいられなかった。
「なんで生きようとするの?」
いじめられて苦しんで。
これから先も苦しむ未来が待っているのに。
辛いなら死ねばいいのに、なんで。
僕はもう。
柳川さんの苦しむ姿をこれっぽっちも見たくないのに。
ぜぇぜぇと柳川さんは呼吸し続ける。答えてくれない沈黙が酷く痛い。息が整うまで長い時間がかかったわけではないのに、その空気が僕を責め立てるには十分すぎる長さだった。
「なんで、先輩は……簡単に死を選ぼうとするんですか」
「死ねば楽になれるからだよ」
「っ、怖くないんですか? 死ぬんですよ!?」
「そりゃ怖いよ」
怖いに決まってる。痛いのは嫌だし、膝だって震える。
「でも、ずっと続く苦しみよりは全然優しいよ」
やっと立ち上がろうとした柳川さんは再び膝から崩れ落ちた。
なんで、どうして、嘆き言葉が無意味に溢れる。
「なんで、わからないんですか……死ぬのは怖いんですよ。どうしようもなく怖いんです。それが嫌だから、みんな生きてるんですよ!」
柳川さんの言葉が届いてこない。聞こえるのに、理解できなかった。
「じゃあ、一緒に死のうか」
リュックのポケットからハンマーを取り出して、窓硝子に向けて思い切り振った。バリバリと崩れ落ちて風が吹き込んでくる。空いた穴から手を出して、ロックしていた閂錠が外す。
籠のドアが開いた。さらにびゅうと風が吹き込んでくる。
「なにしてるんですか……?」
「飛び降りよう。ここから」
最初の目論見は失敗してしまった。
何かあったときのために色々持ってきてよかった。
頂上は過ぎてしまったけど、まだ即死するには十分な高さがある。
「死ぬのは怖い。でもそれは一人で死のうとするからだよ。だから僕がいてあげる。死ぬ瞬間までずっと一緒にいてあげる。だからほら、おいでよ」
ドアの縁に立って腕を広げる。柳川さんが勢いよく抱きついてきてくれたらそのまま空中に身を投げ出して、二人で天国に行ける。
「ふざけないでください……っ」
柳川さんは身体を震わせながら立ち上がった。蹌踉めきながら、一歩、また一歩と歩み寄ってくる。柳川さんの手が僕の胸に触れる。
「ほんとうに……いい加減にしてください!」
叫び声と共に、僕は勢いよく籠の中に引き戻された。背中を床に叩きつける。それだけでは終わらないで、馬乗りになってきた柳川さんに胸ぐらを掴まれた。
「なんで……っ、なんでわかってくれないんですか!」
ぼろぼろと大粒の涙が僕の顔に落ちてきた。
「わたし、一度だって、死にたいなんて言ってない!」
わからなかった。わかってあげられない。
ただ一つ、目の前で必死に訴えてくる歪んだ表情が僕のせいだということだけはわかった。服を伸ばすだけでちっとも持ち上がらないのに引かれる手より、それが痛い。
頬を伝う涙を拭うことも、理解できないままごめんと言うこともできない。
その資格は僕にない。ただ黙って、訳が分からなくても受け止めるしかできなかった。
「生きたいんです、生きたいんですよ!」
「どうしようもなく生きたいんです!」
「死ぬのが怖いからじゃない、ただ生きたいんです!」
「たしかに、先輩と出会った時からずっと苦しい生活を送ってました。髪を切られて、服を切られて、ずぶ濡れになって、言葉で責められて、犯されかけもしました」
「……それでも、生きたいんです」
「……ねぇ、先輩。前にわたしのこと、好きって言ってくれましたよね」
「わたしもです。わたしも先輩のこと好きです」
「あのとき先輩が助けてくれなかったら、わたしは疾っくに死んでいたかもしれない」
「先輩がわたしを生かしてくれたんです。生きたいと思わせてくれたんです」
「先輩と一緒にいたいって思ったんです。ずっと隣にいれたらって思ったんです」
「放課後、あの教室で過ごした時間はわたしにとって大事な宝物なんです。最初は逃げるための場所だったのに、気づけば先輩に会うために足を運ぶようになってました」
「辛いのも痛いのも苦しいのも、先輩がいてくれたから我慢できたんです」
「先輩と一緒にいられなくなることは、どんな辛いことより辛いんです」
「先輩さえいてくれたらもう他に何もいらない! なにも欲しくない!」
「もしわたしが死ぬことがあれば、先輩のせいです」
「わたしのためとか言って一緒に死のうとしても、わたしはそれを望んでなんかいない。わたしが苦しむとこを見たくないからって勝手に死んでいったら、わたしはその後を追います。先輩がいない世界で生きたくなんかありません」
「先輩がそうさせたんです。わたしなんかのこと助けて、優しくなんかして、身体を張ってまで守ってくれなんかして……好きになるなって方がおかしな話です」
「全部、全部先輩のせいです」
「それが嫌だったら、生きさせてください! 先輩も一緒に生きてください!」
「……責任、取ってください」
「……柳川さんのお願いだったら、仕方ないな」
僕の負けだった。
好きって言われた時点で、いや。
柳川さんに惚れられていた時点で負けていた。
好きな人にそこまで言われて自分の意志を貫けるほど僕は強情じゃない。
腕を伸ばして、柳川さんの首にそっと触れる。
「ごめん柳川さん、痛かったよね」
「ほんとですよ。死ぬかと思いました」
「だからごめんって。お詫びに僕の首絞めていいから」
「嫌ですよ。人殺しになんかなりたくありません」
胸ぐらを掴んでいた柳川さんの手が離れて、首に触れる僕の手に重なった。
ぎゅっと、もうどこにも行かせないとばかりにキツく握られる。
「大丈夫、もうしないよ。もう柳川さんを死なせようとはしない」
「それだけじゃ足りません。先輩も、死んでもいい派とか言って死なないでください」
「それは無理だよ、僕人間だし。いつか死ぬよ」
「それは……」
「だから、僕は柳川さんのために死ぬよ」
柳川さんの目が瞬く。
「僕が死ぬときは、柳川さんのためになるときだ。柳川さんが僕が死んで悲しむなら、僕は死なない。いつか柳川さんが本当に苦しくて死にたくなったときは一緒に死ぬよ」
事故とか、どうしようもない出来事までは保証しかねるけれど。
「柳川さんのために死んでもいいように、僕は生きるよ」
気づけば観覧車は終わりに差し掛かっていた。
ゴンドラの惨状に係員が動揺していたけれど、勝手に壊れたと嘘をついた。怪我はなかったのですぐに解放されて園内を歩く。
どちらからともなく手を繋いだ。
緊張のせいか柳川さんの手の震えも、少し時間が経つと消えていった。
「そうだ、柳川さん」
「なんですか、先輩」
絡めた手を解いて、柳川さんの一歩前に出て振り返る。
どうするべきか一瞬迷った後、僕は片膝をついて柳川さんに手を差し伸べた。
困惑する柳川さんを前に僕は言った。
「好きです。僕と付き合ってください」
「えっ、あっ、なん……へっ?」
「大事なことだし、形だけでもさ」
「それは……そう、ですけど」
誤魔化しが効かないレベルで赤面する柳川さんは横目で僕のことを見て、逸らして、最後にはどうにでもなれといった様子で真っ直ぐ目を見てくる。
柳川さんは僕の手に手を重ねた。
「こんなわたしでよかったら、こちらこそお願いします」




