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死んでもいいから生きている。  作者: 猟虎戀太郎
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デート

 白状しよう、僕は柳川さんを死なせる気だった。


 白状というには、その時の僕には殺すことになんら疑いも罪悪感もなかった。その時だけじゃない、今だって柳川さんを殺そうとしたことに後悔はなかった。


 その行為がいじめかどうかは、いじめられた本人がどう思うかに依るものだと僕は思っている。いじめているつもりはなかった、遊んでいるだけだった、よくある加害者の言い訳だ。それが嘘であれ真実であれ、被害者がいじめられたと一言発すればそれが事実になる。世界はどこまでも、被害者に優しく寄り添うようにできている。


 僕が言いたいのはそんな世界の構造じゃない。

 いじめが被害者本人の思いに依るものなら、いじめがなくなってもいじめられ続ける可能性があるということだ。

 百歩も万歩も譲って、柳川さんが学校を休んで、七十五日が過ぎて、不愉快甚だしい噂がすっかりみんなの頭からも空気からも消え去ったとしよう。

 もう大丈夫なんだよかった、そう柳川さんは素直に思えるだろうか。以前までの空気に囚われたまま苦しまないでいられるだろうか。


 僕の力では問題自体の解決はできない。時間経過の力で問題が消え去ったとしても、柳川さんの気持ちが晴れる保証はない。


 命なんて枷から解放される、それだけが唯一、柳川さんを救える方法だった。


 そう信じて止まなかったし、たぶん、嘘じゃなかった。


 □


 自分からデートに誘っておきながら、プランは全部柳川さんに丸投げした。

 そこに惰性があったことは認める。今まで人について行く方舟精神を培ってきたからこそ、デートで行く場所に見当もつかなかった。


 あとは、何を言っているのかと思うかもしれないけど、僕なりの優しさでもあったのだ。

 人生の最期を飾るひとときくらい、柳川さんの意志で選ばせてあげたかった。だから何処でもいいと遠慮されたのを無理に押し返した。

 そのことを全く後悔していないといえば嘘になる。丸投げした僕に文句を言う権利がないのは御尤もだ。柳川さんのプランが嫌だと言いたいわけじゃない。ただデートと名がついている割に、どうにも気乗りしなかった。


 臨海部特有の潮風の匂い。懐かしいと感じるのは、この最近が慌ただしかったからだけで久しぶりと言うほどの日数は経っていない。

 まさかこの短期間で二度ならず三度までも来るとは思いもしなかった。


「もしかして、前来た時にフリーフォール乗れなかったの根に持ってる?」


「いえ。今日は遊園地じゃなくて、こっちです」


 高々とアトラクションが並ぶ遊園地エリアとは逆の建物が指さされる。青と水色に塗られた外壁と、そこを泳ぐ魚のイラスト。

 気乗りしない遊園地でなかったのは素直に喜ばしい。のだけど、水族館は水族館で何を楽しめばいいのかいまいちパッとしない。


「なんですかその顔は……意識が朦朧としていたのをいいことにデート取り決めた上に、行く場所決めるのを押し付けたのは先輩なんですからね」


「そんなことないよ。なんたって僕、肉よりは魚派だからね」


 それは逆にダメなんじゃ、柳川さんがボヤいてたけど聞こえなかったふりをした。


「じゃあ行こうか」


 入園ゲート前でチケットを買って、片方を柳川さんに手渡す。その時、違和感を覚えていたようだった。柳川さんは何も言わずに見過ごしてくれた。


 館内に入ると徐々に光が薄くなっていって、やがて水槽の前に出た。うわあ、煌々とライトアップされたそれを前にお手本のような声を柳川さんが漏らす。


「柳川さん、水族館は初めて?」


「はい。動物園はありますけど、水族館は初めてです。先輩は?」


「ずっと昔にあるかな。来たってこと以外、何も覚えてないけど」


 三年前に途切れた母との思い出。無理に作ってくれたのだろう休みの日に連れて行ってもらった水族館に僕がどんな感情を抱いたのか、思い出すことはできなかった。

 楽しかった、のだろう。そして喜んでいた、はずだ。母が自殺することなんか知らないで、無垢で純粋な感情を曝け出していたと思う。


 水槽の硝子に映る自分の顔を見る。無表情ではないけど、どうにも形容しづらい表情をしていた。


「先輩、どうかしました?」


「いや、水族館に来てどういうことを話せばいいのかなって」


 あいにく、鯖と鰯の見分けがつかない程度には魚の種類に詳しくない。


「綺麗だねとか、可愛いねとか?」


「如何にも普通な感じだね」


「だったら何話せばいいんですか」


「この魚たちは一生この水槽の中で過ごすのかな、とか?」


 すごく嫌そうな顔された。

 帰りはお寿司屋さん行って「さっきまで泳いでいた魚かもね」って話したら面白い、なんてのは思いついただけに留めておいた。


 通路を抜けると壁一面に一枚硝子が貼られた大きなフロアに出た。小魚から大きなものまで、名前が分かりそうでわからない色々が泳いでいる。


「サメも一緒に泳いでるんですね」


「小魚たち、食べられたりしないのかな?」


「さあ」


 そう返してくる柳川さんは、じっと水槽の中を見つめていた。その先には一際目をひくサメではなく、能天気にふよふよと泳ぐ小魚がいる。


「なんか、羨ましいですね」


「サメが? たしかにいろんな魚が食べ放題だからね」


「いえ、小さい魚の方です」


 傾げた僕の首を硝子越しに見た柳川さんは、透明な壁に手を添えて続けた。


「人が死ぬのを怖がるのって、死が目の前にあることを実感するからだと思うんです。老衰でも、自殺でも、もうすぐ死ぬんだって自覚しているから」


 聞きながらサメを目で追う。名前も知らない青魚がバクリと食べられた。


「だから、死ぬ直前まで死を実感しないでそのまま死ねるのは、羨ましいです」


 サメの鋭利な歯の隙間からゆらりと赤い血が出て薄れていく。


「交通事故とかで死んだ人を見て可哀想ってみんな言います。でも死を実感しないまま死ねるのって、幸せなことだと思うんですよ」


 なら、あの魚は幸せに死ねたのだろう。


「ふとした瞬間に死ねたら楽だろうなって、最近思うんですよ」


「そうなんだ」


 少し素っ気なさ過ぎただろうか。それ以外返せる言葉が見つからない。


「その瞬間になったら、未練とか後残りとか色々思い浮かべるんでしょうけど、わたしたちは今を生きてるんです。今がどうしようもなく辛かったら、死ぬ瞬間に後悔してでも解放されたいって思うんです」


 どうせ死んだら後悔も忘れちゃいますし、柳川さんは自嘲気味に言った。


「ごめんなさい、変ですよね、死ぬのが幸せだみたいなこと言って」


 そうだろうか。僕は首を振った。


「その瞬間に恐怖がないならいいことじゃないかな」


 死んだらどうでもいいって考えで、どんな苦痛でも許せる虚無主義的な思考は持ち合わせていない。嫌な感情は感じないでいられるに越したことはないだろう。


「忘れちゃった? 僕、死んでもいい派なんだけど」


 そうでしたね、柳川さんは微笑った。


 それも一瞬で、水槽に向き直った時には消えていた。


「ねぇ、つらい?」


「そう、ですね……かなり」


 巨大水槽のフロアを抜けると、海星やドクターフィッシュとの触れ合いエリアに出た。空中を泳ぐペンギンを見て、その次はイルカショー。最後にお土産屋でぬいぐるみと戯れれて、外に出たら空はもう真っ暗だった。


 感情の起伏に欠ける僕でも、今日みたいな非日常には浮かれてしまった。

 それを今、自分が色味のない日常に引き戻されるのを感じて自覚した。


「終わっちゃいましたね」


「そうだね」


「なんか……帰りたくないですね」


 日常に。現実に。辛い毎日に。いじめられる毎日に。


 そんな必要ないよ、僕は言ってあげたかった。


 明日なんか気にしなくていいよ。


 帰らなくたっていいんだよ。


 日常なんか戻らなくていいんだよ。


 現実なんか見なくていいんだよ。


 でも言わなかった。言ったら、柳川さんの願いが叶えられなくなる。


 だから、最初から用意していた言葉を吐いた。


「ねぇ柳川さん、もう少し遊んでいこうか」

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