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死んでもいいから生きている。  作者: 猟虎戀太郎
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久々の教室で

 問題はとっくに僕にどうにかできる範疇を超えていた。


 柳川さんと村主くんがヤったという噂が一年の中に横行しているらしい。

 一体どうしてそんな話が流れ出たのかは、僕としてはどうでもよかった。出回ってしまった以上、犯人を問い詰めたところで鬱憤を晴らす程度にしかならない。

僕は別に彼女らを精神的に追い詰めたいわけじゃない。あくまで僕は柳川さんを助けたいだけだ。


 どうにかしてあげたいと思って、すぐに無理だと悟った。

 人の噂も何日やら。それを待つしかないねなんて、憔悴しきった柳川さんに言えるはずもなかった。それに好きな人の汚れた噂を流されるのは僕個人としても許せなかった。


 自分に正義感なんてものがあったことに驚いた。ただその感情を覚えるにはどうもタイミングが悪かった。だってどうしようもないのだ。


 せめてもの妥協点で、柳川さんを苦しみから遠ざけてあげたい。

 それなら学校なんか休めばいい。解決とは程遠くとも、最も簡単にいじめから距離を置ける選択が潰えたのは、他でもない柳川さんが拒んだからだった。


 もう一人の被害者、村主くんはここ数日ずっと休んでいるというのに。彼からいじめの事実は学校側に知られているかもしれない。けど僕の入院と同じで、教師が「お前いじめられているのか」なんて堂々と聞けるはずもない。ましてや内容が内容だ。年頃の女子に言い出しづらいのはありありと想像できた。状況は動きそうになかった。


 休まない理由を訊いた。両親に心配かけたくないとか、自分の過去が原因だから仕方ないとか、まだそんなことを気にしていたら流石に柳川さん相手でも呆れていた。それでも今回ばかりは他人を気遣う余裕はないようだった。


 怖いんです、柳川さんは言った。


「一度休んでしまったら、そのまま休み続けてしまいそうで怖いんです。休み続けたら進級出来なくて、高校にも行けなくなって、高校に行けなかったら大学も無理で。そうやってどんどん人の道を外れた先の人生を想像すると、不安で居た堪れなくなるんです」


 漠然とした不安感というものが僕にはわからなかった。かといって、それでも休めだなんて強制する権利は僕にない。そうする気もない。


 放課後、僕らはいつもの教室にいた。

 いつもと言うにはずいぶん久しぶりで、相変わらず埃っぽい。梅雨を過ぎたはずなのに空気が陰鬱に感じるのは気のせいじゃないらしい。

 柳川さんは椅子に座って小説を読んでいる、ようではなかった。両手の中には文庫本がすっぽりと収まっているのに、さっきから一向にページが捲られない。文字を読んでいるかすら怪しい。淀んだ黒色をした柳川さんの瞳はずっと虚を眺めているかのように見える。


「柳川さん、昨日寝れてない?」


「……最近は、あまり」


 明日もいじめられると分かっていて寝れるはずがない。僕が惨状を知るより前から状況は続いているのだ。その間もずっと寝不足気味なんだろう。そう思うと一層顔色が悪く見えてきた。


「今日はもう帰る?」


「いえ、まだ大丈夫……です」


 欠伸を噛み殺して柳川さんが言う。

 そこまで謙虚に頑張って頂かないで休んでいただきたい。横になるとまでは行かなくとも、せめて楽な体勢にしてあげられないだろうかと見回す。あいにく教材置き場だ。どれも固そうなものばかり。

 仕方ない。


「柳川さん」


 ちょいちょいと手招く。若干フラついた足取りで寄ってきた柳川さんの身体を前に向かせて、僕の膝の上に座らせた。


「……なんですか、これは」


 意外と驚かれなかった。この手のもので反応を見せないなんて、冗談抜きで寝不足が酷いらしい。


「椅子よりは座り心地いいでしょ」


 もたれていいよ、僕が言うと、柳川さんは素直に身体の力を抜いた。頭がすっぽりと顎下に収まる。細い腰に腕を回して落ちないようにすると、その上にそっと手が重ねられた。


 次第に目がとろんとしてきた。よくよく考えたら、今寝られると下校時刻を過ぎてしまいそうだ。ようやく寝てもらえたところで起こすのは気が引ける。最悪おぶって帰ろう。


「そういえば、ひとつ訊きたいんだけどさ」


「……はい」


「柳川さん」


「……はい」


「今日のお弁当なんだった?」


「……はい」


 瞼を重そうにしている柳川さんを本当ならそっとしておいてあげるべきだろうけど、少し悪戯心が芽生えた。


「ねぇ柳川さん」


「……はい」


「次の休み、デートしよっか」


「……はい…………はい?」


 ほぼ閉じていた柳川さんの瞼が、ぱちりと瞬いた。



 問題はとっくに僕にどうにかできる範疇を超えていた。

 僕如きではどうやったってこの問題の解決は無理だ。


 ただ。

 そうしなくても柳川さんを救う方法はあった。


 たった一つのそれをすぐ思いつくほどには、僕はまだ僕のままだった。


 狂っていた、のかもしれない。

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