恋の病
「……どうして、助けになんか来たんですか」
「どうしても何も、彼女が困ってたら彼氏が助けるのは当ぜ」
「ふざけないでくださいッ!」
怒鳴られるとは思っていなかった。それだけの気力が今の柳川さんに残っていたことに少し驚いて、安心する。
「ふざけないで、ください……っ」
今にも泣き出しそうな声が背中に突き刺さった。怒鳴られるよりずっと痛い。
「わたしを見てください」
ずっと避けてきたことを言葉にされて、身体が強張る。緊張なんてしたのはいつ以来だろうか。もう何年もした覚えがない。これが緊張と言っていいのかさえ分からない。
さっきみたいに口の端を持ち上げようとするけど、引き攣ってうまくいかなかった。
観念して振り返る。それでもまだ面と向かっては躊躇われて、横目だけ向けた。するとどうして、今度は柳川さんの方が僕から目を逸らした。
一致しない言動にふと、懐かしさを覚えた。
「……ふはっ」
「なっ、なんで笑うんですか」
「いや、ごめんつい」
沈黙が降りる。柳川さんの前に膝をついて、俯いた頭に手を置く。
「遅くなってほんとにごめん」
「なんで、先輩が謝るんですか……」
「君の隠れ蓑になるって約束したのに、守れなかったから」
「そんなの……そんなの、お互い都合が良かっただけで約束なんて呼べません。どうせ詰まらなくなった玩具なら、なんで捨てなかったんですか。なんにもこだわりを持たない先輩なら、傷める良心なんてないでしょう」
散々な言われようだ。けど、きっと昔の僕ならそうしていたのかもしれない。
そんな残酷な自分にゾッとして、そうでない今の自分に安堵する。
「捨てないよ。絶対に」
「なんで……なんで……っ」
柳川さんから吐き出される声が嗚咽混じりになる。震えも大きくなって、じわりじわりと熱を帯びていく。
「助けるべきじゃなかったんです……! わたっ、しだけが傷つけばそれで……それでよかったんですよ! 誰にも迷惑、かからない! 誰も傷つかずに済んだんです!」
制服の胸ぐらを掴まれて、言葉と一緒に前後に揺すられる。
「先輩を、これ以上困らせたくなかったんです……っ」
本当に柳川さんは優しい。
自分を犠牲にしてまで僕を守ろうとしてくれたことが少し嬉しくて、とても悲しかった。
「それじゃあ、柳川さんが傷ついてるよ」
「わたしはいいんですよ! 全部わたしのせいなんです、中学のときにいじめをしたのも、全部わたしのせいなんですから!」
「僕は嫌だな」
ハッと柳川さんの顔が上がる。やっと見てくれた。
「君が傷ついているのは見たくないし、いじめられているところなんてもっとだよ」
「なん、で……」
「それに迷惑だなんて思ってない」
「そんなこと……」
そんなこと言ったところで、信じてもらえるだろうか。
詭弁だと思われているかもしれない。
「ねぇ、柳川さん」
柳川さんの罪悪感を取り除いてあげられるなら、僕はどんな言葉でも吐き出せた。唯一の親友風でも、白馬の王子様風でも、いくらでも嘘をつけた。
柳川さんはそんなものを望んではいなかった。
だから、嘘以外で今の僕が吐けるのはこれくらいしかなかった。
「たぶん僕は、君のことが人として大事みたいなんだ」
ここ最近ずっと患っていた病気は、たぶん恋だったのだろう。
文字に起こすとなんて陳腐になってしまった。あれだけ苦悩した時間が一文字で表せてしまうなんて、どうも割りに合わない。それでいて僕が口にしたそれは告白というやつなんだろう。これもまた二文字にしかならない。
「……」
「伝わりづらかった? 僕、柳川さんのことが好きなんだ」
「意味は分かってますっ! 恥ずかしいから二度も言わないでください……!」
柳川さんの反応が芳しくない。頬を赤く染めたまま、居心地悪そうに視線を逸らされてしまう。
これは、もしかして、
「フラれた?」
「ちっ、違いますそうじゃなくて……!」
首が外れそうな勢いで柳川さんの頭が左右に触れた。
「……わたしなんかじゃ、先輩に釣り合わないです」
「ごめん、僕のレベルが低過ぎたんだね」
柳川さん普通に可愛いし、性格良いし、取り柄のない僕なんかには高嶺の花だった。
「先輩、わかってて言ってますよね」
「バレた?」
いい加減、振り回されるのに慣れてきたらしい。マジなトーンで言われた。陰鬱な気分が和らいできたようだ。
色々と話し足りないことも、自分自身に言い足りないこともある。
もしもたらればも意味がないと分かっていて、それでも湧いてくるのだから罪悪感というものはタチが悪い。
いじめが悪化する前に、柳川さんがここまで擦り減る前に。
よかったと締め括るにはあまりにもギリギリな場所まで来てしまった。
それでもこれでもう二度と、柳川さんが彼女たちからいじめられることはないだろう。
よかったと安堵の息が漏れる。
ふと、身体から力が抜けた。
ここ最近ずっと思考と不安で神経を張り詰めていた。初めて経験する感情ばかりで大変だったそれらから解放されたわけだから、これだけ身体が軽くなっても当然かと思ったけど、そうではなかった。
途端、僕はガクンと膝から崩れ落ちた。上半身を起こそうにも力が入らない。
「先輩……?」
布団がはだけることもお構いなしに柳川さんが抱き止めてくれる。それでも自分で自分を支えられない僕の身体は重かったようで、諸共ベッドに倒れ込んだ。
「はは……これは、まずいかも」
手首切ってたのを忘れていた。
視界が霞む。身体も、おまけに意識もふわふわとしてきた。
「先輩! しっかりしてください先輩っ!」
そう言われても、血を流し過ぎたんだからどうしようもない。
瞼が重い。世界が暗くなる。
僕の人生で、一番死を間近に感じた瞬間だった。
恋をした少女をいじめから救って、ハッピーエンドで終わる。
物語としてはありふれ過ぎて陳腐で平凡かもしれないけど、人生での出来事だったら、十分すぎる終わり方だと思う。
だからか、人生はそれを赦してくれなかった。
柳川さんのいじめはそこで終わりではなかった。
柳川さんの敵は、学校全体にまで広がっていた。




