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死んでもいいから生きている。  作者: 猟虎戀太郎
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病気の名前

 あの日以来、柳川ありさはいつもの場所に来なくなった。

 あの日以来、僕の中にぽっかりと穴が空いたようだった。


 それが変なことじゃないと僕はわかっている。なにか固定的な一つに囚われず日々を過ごしてきた僕が、柳川ありさという一人と関係を築くに至ったのだ。

 たったの数週間。一日どころか一時間すら一つの物事に取り組んだことのない僕だ、彼女の存在が僕の生活の中心になるには十分な時間だった。


 ゲームばかりして遊んでいる人がゲーム機を取り上げられた時のように。外でスポーツをするのが好きな人が雨の日に暇を弄ぶように。

 彼女の存在が生活の中からなくなれば穴が、暇ができて当然だろう。


 僕にとって柳川ありさは大事だった、のだろう。

 ただ、それが人としてなのか。暇つぶし用の玩具としてなのか、それだけはわからなかった。



 

 一週間が過ぎた。


「なんか最近付き合いよくね?」


「そう?」


 放課後にゲーセン、ボウリング、買い物、今日はカラオケに来ている。


「そうかも」


 ここ数日の梅雨続きでどこか屋内ばかりで遊ぶものだから、ちょうどお小遣いが心許なく感じていたところだ。


「なんかあったの?」


 一曲歌い終えた朝日が訊いてくる。

 あったなかったで言えば、あった。けれど、何があったのかと訊かれると困る。


 いや、そうじゃない。他でもない柳川ありさと会わなくなったことで、今こうして梅田と朝日に言い寄られているのは理解できている。

 だから困るのは、なんでそうなったのかだ。


 放課後の時間を一緒に過ごす約束が無くなったわけではない。


「彼女と喧嘩でもした?」


 そういうわけでもない。


「仲直りなら早めにしとけよー」


 そう言われても、仲が悪くなったわけじゃないし。


「ねぇ……?」


 誰にともなく呟く。さっぱりわからなかった。




 思ったより重症だった。


 まったく街の景色が頭に入ってこないのだから、そう言わざるを得ない。

 看板も暖簾幟も、流れてくる音楽も通行人の会話も、何もかもが頭に入ってこない。意識できなければ当然興味も抱けなくて、考えることもできない。

 なのに頭の中はぐるぐると思考が渦巻いて忙しないのだから、本当に重症だ。


 本屋に立ち寄って、いつだったか本棚の隙間に駆けていった彼女の姿を思い出した。ちょっとした腹熟しに入ったファストフード店では、向かいの空いた席がやけに気になって仕方がなかった。初めて見る雑居ビルの看板に、前はなんの店だったか全く思い出せない。手持ち無沙汰になって気紛れに買ったタピオカも半分も飲まないうちに胃もたれと飽きが来て駅のゴミ箱に捨ててしまった。


 それは家に帰っても同じだった。むしろ暇の潰しようがない部屋だからこそ余計に渦巻く思考がうるさい。天井を見つめ続けても意識は遠のかなくて、どこか当てもなく歩こうかと思ったところで、部屋の扉が勢いよく開けられた。


 言葉に起こせない、ただ元気に満ちた声が物理的に僕に降ってきた。

 人の頭はボウリングの玉くらいの重さがあると聞いたことがある。それが腹部にかけて勢いよくぶつかってくる衝撃といったらもう。


「……おかえり、百舌鳥ちゃん」


 そしてさようなら。


 望まない形で意識が途切れそうになる中、掠れた声をなんとか絞り出す。

 僕の上に馬乗りになった幼稚園服の幼女はにぱっと笑った。


「ただいま! お兄ちゃん、遊ぼ!」


「こーら百舌鳥、先に手を洗ってからでしょ」


 遅れて珠夜さんが部屋の前に立った。

 たぶん百舌鳥ちゃんを幼稚園に迎えに行って、買い物をして帰ってきたところだろう。両手には野菜がはみ出した買い物袋が提がっている。


「灰くんだって宿題とかあって忙しいんだから、ほら降りなさい」


「大丈夫ですよ。友達から写させてもらうんで」


 それはどうなの……、珠夜さんが微妙そうな表情を浮かべる。


「それじゃあ、夕飯まで遊んでもらえる?」


「はーい!」


 いいお返事だった。


 まったくいきなりではあったけど、正直助かった。きっと人と関わる暇つぶしにばかり身を浸らせていたせいで、いつものが味気なく感じていただけだ。少し疲れはするけど、百舌鳥ちゃんと遊んでいれば、偏頭痛みたいにいつのまにか消えてくれる。


 そう考えたのは、そうあって欲しいと思いたかったからだ。

 百舌鳥ちゃんに読んだ絵本が、文字の並びにしか見えなかった。


 僕の病気は偏頭痛なんかではなかった。


 この病気の名前を僕はまだ知らなかった。


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