暇つぶし
次に会ったとき、彼女はなにも訊いてはこなかった。
僕が休んだ日からさらに三日が経っていた。あの日の翌日に今度は彼女の方が休み、その次の日は登校してきてはいたものの早退してしまった。
雨の湿気で埃っぽさは薄れた教室で、彼女はいつも通り本を読んでいた。それもそう時間が経たないうちにぱたりと閉じられた。以前に教えてくれた病気の女の子の話だったか。とうとう読み終えたらしい。
「面白かった?」
「はい。面白かったです」
本を丁寧に仕舞い込んだ彼女は手持ち無沙汰そうにチャックを閉じたカバンを見つめている。二冊目を持ってきているわけではないようだ。
「図書室のやつ読んでるみたいだけど、自分で買ったりはしないの?」
「いえ、新刊は時々買いに行ったりします。買うんですけど……」
妙な言い回しに僕は首を傾げる。
「前に机に入れていたら、ビリビリに破けてました。だから自分で買ったやつは家でしか読まないようにしてるんです」
なんとなく想像できてしまういじめの新たな一面を、それ以上掘り下げるようなことはしなかった。
この部屋の退屈さは相変わらずだった。毎日どこか出掛けるわけにもいかないし、かといって他に学校に居場所があるかと言われると思いつかない。
あいにくなことに、図書室は改修工事中で使えない。
なんて椅子を揺らしているとき、ふと思った。
「柳川さん」
「はい?」
「僕が君を家まで送り届ければ、これ全部解決しない?」
帰り道があの三人と一緒だからすぐに下校できないというのなら、その三人が付きまとえない状態であれば問題ない。つまり僕がついていけばいい。
僕も彼女も部活に入っていない。授業終わりに待ち合わせて帰れば、こんな埃っぽい暇な場所ともおさらばできる。彼女だって身を隠すのに都合がいいとはいっても、好き好んでここにいるわけではない。
しかし彼女の反応は肯定的ではなかった。
なにか都合悪かった、僕が訊く。すこしワガママを言ってもいいですか、申し訳なさそうに彼女は言ってきた。頷いて先を促す。
「あまり家に帰りたくない、って言ったら、だめですか……?」
さらに申し訳なさそうに、自分の胸に顔を埋めるんじゃないかってくらい彼女は俯く。
家族とも仲が悪いのだろうか。いや、共働きで帰ってくるのが遅いと前に話していた。おまけに迷惑をかけたくないとも。気遣うほどの相手に苦手意識を抱くことはないだろう。
彼女はそれきり理由を口にしなかった。
「うっかりしてたよ。なんで僕がここに来ていたのか、大事なことを忘れてた」
暇つぶしのためだ。帰ってしまったら意味がない。
あまり詰まらないけふぉ、家に帰ればそれ以上に暇になってしまう。どうせなら何もないよりかは、詰まらないものでもあったほうがマシというものだ。
「でも柳川さん」
この話をふとしたにも、思うに至る理由があった。
どうでもいいと思ったばかりに悪いけど、
「今週の金曜って午前で学校終わりなんだよね」
「わたしも聞いてます。なんか、先生たちが別の中学の授業を見にいくんでしたっけ」
そんな理由だったのか。興味なくて聞いていなかった。
「それでさ、午後に梅田……前に駅前であったデカい人ね、あともう一人いた女子の朝日とで映画行かないかって話になったんだ。だからその日だけは家まで送るって感じでもいいかな?」
行きたいか行きたくないかでいえばどちらともいえないけど、特に断る理由がないから一応行くつもりではいる。映画は僕にとって小説と同じで、途中で物語に興味を失ってしまうものだけど、勝手に流れていってくれる映像なだけマシなほうだ。
わずかに彼女の顔が陰る。数瞬後、苦い笑みが僕に向いた。
「分かりました。じゃあ、その日は家までお願いします」
「うん。柳川さんの家まで案内はよろしく」
「もちろんです。……あの、先輩」
なにかまだ未練がある、という風ではなかった。そう言い出した彼女の表情に申し訳なさはなくて、たぶん別の話だろう。
「大したことじゃないんですけど、先輩はわたしのこと、さん付けで呼ぶのはなんでなのかなって。嫌とかじゃなくて、気になっただけです」
特に深い理由があったわけではない。後輩だとわかっていたけれど、初対面な赤の他人をいきなり呼び捨てにするのはさすがに違和感があっただけだ。
「柳川って、なんか堅苦しい感じがして似合わないからね」
「そうですか?」
「なんか古風というか、お堅い社会人なんかにいそうな苗字」
柳って漢字がそんな印象を醸し出している。
「さん付けされると他人行儀みたいで嫌だったとか?」
「いえ、全然そんな。でも、あの、先輩がもしよかったら…………名前、で、呼んでも、いいですよ……」
「柳川さんは柳川さんでいいかな。呼び慣れちゃったし」
そう答えると、柳川さんはそっと俯いた。
どうしたのか訊くと、先輩がそうしたいなら、いえ、なんでも……だとかなんとか、段々と消え入る声でぽそぽそ言っていた。




