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死んでもいいから生きている。  作者: 猟虎戀太郎
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過去

 あてもなく繁華街のような歓楽街のような場所をフラついて、家に着いたのは補導される時間を疾うに過ぎた頃だった。


 何かあったときには塾に忘れ物をしたとか言って誤魔化せばいいか、なんて結局使わずに忘れることになった言い訳を思いつつ、ポケットから鍵を取り出す。そこでふと、リビングの明かりがついているのが目に入った。もしかしてと思って鍵を挿し込まずに玄関扉を引く。開いた。


 ただいま、誰にともない呟く。


「おかえりなさい」


 思いがけない声が返ってきた。


 リビングを覗くと、四人がけのテーブルに珠夜さんが座っていた。たしか三十歳を超えていてるにも関わらず若く見える珠夜さんだけど、今ばかりはどこか心労が濃い。年相応に見えた。僕になにか言いかけて、けれど言葉を飲み込む。諦めたような苦い笑みが浮かんだ。


「お友達と遊んでたの?」


「はい」


「そう……お腹は空いてる?」


「大丈夫です。すぐ寝るんで」


「そう……」


 もう一度繰り返される。


 珠夜さんの口の中にある言葉はなんとなく分かっている。けれど、それを直接言われたことは一度もない。いつも笑って誤魔化そうとしてくる。

 珠夜さんは僕に甘いわけじゃないと思う。いつも一歩後ろで見て見ぬ振りをしているのは、きっと僕の後ろに暗い影を見ているから。


 まだ喉の奥に残っていたアルコールの苦い味をお茶で流し込んで、シャワーだけ浴びて部屋に行こうとした。僕が二階に上がるまで待っていてくれた珠夜さんは、何か言いたげにしていながら、やはりこう言ってきた。


「おやすみね、灰くん」


「おやすみなさい、珠夜叔母さん」


 珠夜さんは、死んだ僕の母の妹だ。


 母親が死んだ日のことは今でも覚えている。

 その記憶に染み付いた感情は悲しみや絶望ではなく、妙な安心感だった。納得感と言ってもいい。


 僕の父親は最悪な男だった。酒と煙草に溺れ、賭博に明け暮れ、母に暴力を振るうような人だった。結局、僕が物心のついたくらいには離婚して、母は僕を女手ひとつで育ててくれた。


 とても幸福と呼べる生活ではなかった。

 もちろん金銭的な意味合いもあったけど、それ以上に、人間らしさという意味で欠けているものがあった。


 母は既に壊れていた。壊されてしまっていた。

 どれも機械的で、僕に与えてくれた愛情ですら中身の感じられない、そうあるべきだという客観的観念に無理やりさせられているようなものだった。

 そして僕が小学五年生の、特になんでもない日に母は自殺した。


 手首を切っての失血死だった。浴槽に溜まった赤い水と、いつも死んでいるようだったから本当に死んでいるのか分かりづらい顔をした母を風呂場で見つけた。

 僕をひとり苦しい生活に残して勝手に死んでいった、とは思わなかった。


 母はこれで救われたんだと感じた。

 壊れていた母が何に苦しんでいたのか、今でもよくわからない。けれど苦しまされていた何かから逃げるために、苦しさから逃げ出す手段として死を選んだ。


 それだけのこと。


 母の死を経て、なんとなしに死は苦しさから逃げる手段だと思うようになった。


 いつでも逃げられる。


 いつでも解放される。


 苦しむ必要なんてない。


 だって死ねばいいんだから。


 そうやってだんだん、だんだん、じわじわと。


 人生ってものがなんてことない、ふわふわとした余興みたいに思えてきた。


 それからはとても生きやすかった。代わりに人生に意味を見出せなくなった。

 それでも死にたいとは思えなかったから今まで生きてきた。


 なんで生きているのか。答えは見つからない。



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