想い出
「……やっと会えたね、小町」
「…………」
「小町はとても寂しかったんだね。これまで一人にしてごめんね」
「…………コロ」
「俺がずっと傍にいるよ。俺はあの時に既に死んでいて、今は同じ幽霊なのだから」
「コロ、コロ、殺――死?」
「呪われたっていい、成仏しなくても構わない。共に世界の終りまで寄り添おう」
「シ死シ……し……死の」
小町の闇が心に流れる。次第に理性が失せていき、殺意と憎悪に吞まれていく。
それでもただ一つ、たった一つ、小町への愛だけは変わらない。
それだけがあれば、悪霊になっても俺は――
「ひひ、そぉんなことはぁ、ぜぇぇぇったいに許さなぁぁぁい……」
深淵なる闇の世界、漆黒を引き裂いて伸ばされた腕が、俺を、小町の腕を掴んだ。
「つ、辛美さん?」
「私はお化けが大好きでぇ、置いていくだなんて許さなぁい。だからこうして――」
か細い腕からは想像できない、途轍もない力強さで腕を引かれる。そうして闇の裂け目に引き込まれ、連れていかれたその場所は――
「こ、ここって……」
そこにはいつもとなんら変わりのない、ずっと小町と見続けた、空き地から覗いた町の景色が広がっていた。追憶の世界から抜け出たようだが、しかし俺の右手が感じる感触。出会って毎日見続けた、それでいて初めて触れることのできた、小町の左手が握られている。
「小町がなんで……この場所に」
背後には空き地への幕が敷かれ、つまりここは空き地の外なのだ。しかし小町は地縛霊で、空き地からは出られないはず。
「ひひひ、信夫さんも心に縛られる、地縛霊と化したのよぉぉぉ。だからあなたには私が必要、小町にも私が必要ぉ。こぉんな陰気な場所にいるから、暗く淀んだ気持ちになるのよ。だから陰気な私だって、こうして外に出てるのよ」
「辛美さん……まさか君が、小町の呪縛を解いたのか?」
「いいえ、まだ呪いは解けてない。小町に未だ理性はないの。だけれど、霊というのは場所に居つくものなのよ。悪霊といえども、大した力など持ってないの。居続けることで力が溜まり、それが負の力を発する。つまり場所を移動すれば――」
「ア……ァァ……」
「ね? もうこの子には、強い力は残されていない」
「けれど、小町はこのまま戻るのだろうか。前の小町に、戻ってくれるのだろうか」
すると辛美の口端はぐにゃりと歪んで、けれどこんな笑いが彼女の善意であって。
「あなたの目は節穴なの? 本当にその子を愛してる? 彼女が人を呪った理由、それはただ一つ、あなたを守る為なのよ。そして今の小町の姿が、そのことを如実に表している」
依然として青白く、まるで遺体のような小町の肌艶。冷たい小町の肌を覆う、温もりを帯びたその服は――
「こ、小町ッ――」
俺は小町に寄り添うと決めて、心が闇に吞まれた時、それでもたったの一つだけ、小町への愛は変わらなかった。そして今、理性を失くした小町はただ一つ、俺の愛だけは覚えている。俺があげたこの服を、小町は今も着てくれている。
「霊の服なんてね、思い込み一つで変わってしまうの。病院と思えば患者服に、死んだときの姿が続くと思えばそのように。噂を聞いて、現場を見て、その時の彼女は制服だった。しかしニュースから今の今まで、彼女はずっとその姿。きっと小町の大切なもので、それは愛する者から貰ったもの。部外者の私でも分かることだわ」
小町は俺のことを忘れてはいない。心の奥底に大切にしまって、今も大事にしてくれている。
「小町……有難う……小町……大好きだよ……」
小町の身体を抱き寄せて、初めて感じるその温もり。肌の冷たさの先にある、小町の心がとても暖かい。
「その子に罪がないとは言わない。無関係の者まで殺したのだから。けれど人を守る為に力を使い、それに吞まれてしまったならば、救いようがないとも思わない。成仏とは誰かがさせるものではなく、本人の意志でするものなの。だから二人でこれから先、共に考えて思い悩んで、それでいつか成仏するのね。それまでは長い間、二人で共に暮らしなさい。同じ場所に留まるんじゃないのよ。それじゃあ」
そうして背を向けた辛美は、つかつかと迷いなく歩きはじめる。
「ま、待って! 辛美さんは一体、何者――」
「いやぁぁぁん、彼女がいるのに、変態さぁん。乙女の秘密は暴いちゃ駄目よぉ。いい記事書けそうだわぁ、うひひひ……」
辛美は心霊記事を書くルポライター。胡散臭さ満載の、類稀なる変人。そんな人間を一時演じて、俺の死を誤魔化してくれた、とても優しい人だった。ありがとう、辛美さん。俺たちを救ってくれて。そして――
俺はお化けが見えてしまった、その幽霊はエロ可愛い。例え闇に沈んでも、己が幽霊に成り果てても、その想いだけは変わらない。なぜなら小町は、尊い俺の嫁なのだから。
「さあ、行こうか小町。一緒に世界を回ってみよう。色んな人を、世界を見て。人の命を考えてみよう」
「シ死シ……し……死の……しのぶ……」




