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黒い洪水(Black flood)〜地獄の世界線へようこそ〜  作者: ライヒさん
1931年 混沌の始まり
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1931年3月〜4月 ロシアの究極な全体主義的共産主義者「アルクセイ・ガスチョフ」

趣味で書いているので温かい目で見守ってください。

1931年3月2日 ロシア国家社会主義共和国の2代総統ミハイル・トゥハチェフスキーが、アルクセイ・ガスチョフ率いる究極な全体主義的共産主義政党「プロレトクリト」による軍事クーデターで失脚、トゥハチェフスキー総統は新総統ガスチョフによって粛清、3代総統にアルクセイ・ガスチョフが就任した。(途中で行われたカフカース連邦共和国との戦争は停戦した)


1931年3月5日 新総統ガスチョフ閣下は国名を「単一国」(ワンステート)に変更、そして総統閣下は演説で「人間は機械的人間「ホモ・メタラム」になることで、真なる平等をもたらし、国民は民族限らず、ワンステートの国民であり、この国に民族と言うものは一切必要無くなります。」「共産主義国家は我らの身体であり、我らは身体を捨て去るのです。」「我らは自由意志を捨て去り、機械の如く動き、我らオペレーター(指導者)が真なるユートピア国家を建設するのです!」と長々と総統改め、オペレーターアルクセイ・ガスチョフ閣下は演説し、ガスチョフ閣下はユートピア(ディストピア)国家の建設を目指した。


1931年3月7日 ロシア国家社会主義共和国改め「単一国」は

再度カフカース連邦共和国とフィンランド共和国に侵攻、単一国は勢力拡大を目指した。


1931年3月10日 単一国は公用語をロシア語から人工言語「エスペラント語」へ変更、言語の統一を行った。


1931年3月30日 カフカース連邦共和国が降伏、フィンランド共和国は講和を行い、領土を一部、単一国に渡した。


1931年4月1日 ペルシャ帝国(史実では1935年にイラン帝国に改称)に単一国が侵攻、これに亡命していたガージャール朝の最後の皇帝の弟がペルシャのブーシェフルで「我々は皇帝の位を取り戻す!」と宣言して、ブーシェフルで「ペルシャ第ニ帝国」建国、後ガージャール朝を興した。

それに続いてペルシャ帝国の社会主義者が社会主義革命を決行、「イラン社会主義共和国」を建国、ペルシャのチャーバハールを首都とした。


1931年4月5日 単一国がペルシャ帝国(パフラヴィー朝)首都テヘランを陥落させ、現皇帝であるレザー・シャー・パフラヴィーを処刑、12歳のモハンマド・レザー・パフラヴィーが2代皇帝に即位した。


1931年4月20日 カスピ海沿岸部を占領した、単一国はペルシャ帝国と講和を成立させ、カスピ海沿岸部を獲得した。

皇帝パフラヴィー2世は怒ったが首相が何故講和しないと行けないかを話し、これに皇帝は渋々納得した。


ペルシャの3つの勢力


ペルシャ帝国(パフラヴィー朝)

国家元首 モハンマド・レザー・パフラヴィー

首都 テヘラン→首都失陥で移転→イスファハーン

政体 立憲君主制


ペルシャ第ニ帝国(後ガージャール朝)

国家元首 モハマド・ハッサン・ミルザ

首都 ブーシェフル

政体 立憲君主制


イラン社会主義共和国

国家元首 ラヴレンチー・パーヴロヴィチ・ベリヤ

首都 チャーバハール

政体 社会主義


1931年4月22日 この単一国の侵攻に危機感を持ったのは昔、瀕死の病人と呼ばれ、最盛期の面影がなかったが、大日本帝国がドイツなどからの借金を肩代わりし、その日本からの投資により好景気へと突入したオスマン帝国である。

オスマン帝国は好景気で得た資金で急速な軍の近代化を行い、宰相に就任していたムスタファ・ケマルはオスマン帝国を強固な国にしようとした。


1931年4月25日 ブリテン帝国はドイツ帝国のハノーファー王家、エルンスト・アウグスト・フォン・ハノーファー略して「エルンスト・アウグスト4世」を初代皇帝にしようとした、これにより無理やりエルンスト・アウグスト4世はブリテン帝国初代皇帝に即位、「後ハノーヴァー朝」が成立、ドイツ帝国第3代皇帝ヴィルヘルム2世は無理やり皇帝にされたエルンスト・アウグスト4世の返還を要求、拒絶されるとドイツ帝国とブリテン帝国の関係は最悪な外交関係になる。(イギリス亡命政府とは仲良くしている)(そりゃ孫を奪われたら怒るわ)(エルンスト・アウグストの母がヴィルヘルム2世の娘ヴィクトリア・ルイーゼ・フォン・プロイセンなのでヴィルヘルム2世にとっては、エルンスト・アウグストは孫であるので絶対に取り戻したい!)


1931年4月27日 イギリス連合初代人民委員長フィリップ・スノーデンはサンディカリズム型民主主義を作り、プロレタリア独裁を戦時以外禁止した。イギリス連合は人民陸軍と人民海軍を作り、イギリス連合を守る軍隊を拡大させた。


1931年4月29日 イギリス亡命政府はマラヤの利権を全て日本に売却、日本は領土を広げ、イギリス亡命政府は多くの大金を得て、その資金をカナダの開発に使った。

(日本はアジアで覇権を握ることができた)

(シンガポールの利権は保持)


1931年4月30日 ジョージ6世はデビッド・ロイド・ジョージを首相に指名、デビッド・ロイド・ジョージが首相に就任した。デビッド・ロイド・ジョージは就任演説で「大英帝国を再建する!」と宣言、軍拡を行い、経済はドイツと日本からの経済援助で経済を回復させた。


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