1932年5月〜6月 イスタンブール株価大暴落! カイロ革命! 中東大戦の勃発! 五・一五事件の発生! アウトフィット建国 チャンドラ・ボース暗殺未遂事件が発生 ビルマ進駐
趣味で書いているので温かい目で見守ってください。
1932年5月2日 突如としてイスタンブールの株価が大暴落!原因は日独が経済援助で支援してたある企業の汚職、不正が発覚、そして暗殺が怒涛の嵐で起き、結果安定成長してたオスマン帝国の経済を破壊させた。
この結果ドイツ系企業とドイツ人投資家はオスマン帝国から撤退する事になった。だが逆にこれをチャンスと睨んだ日系企業と日本人投資家がドイツ系企業とドイツ人投資家が捨てた企業を買収、これにより悪くなる一方だった株価の暴落は日系企業と日本人投資家により防がれた。だがこの株価の暴落は世界に混沌を増やす事となった。(あとにこのイスタンブール株価の大暴落を「中東恐慌」と呼ばれた)
1932年5月4日 アフリカ連邦に編入されてたエジプト王国で革命が起きた!
発端は失業してしまった人々によるデモが一部暴徒化し、そこに赤旗を持った人々がカイロの重要機関を襲撃、占拠したラジオ放送局で「人民による人民の為の政治を実現するために我々『エジプト革命戦線』はここカイロに革命を起こします!」と宣言。
そしてこの革命に一部の軍が賛成を表明し、革命軍が成立。
革命軍はカイロ一帯を占拠した。そしてエジプト革命戦線は「ここにカイロ・コミューンの成立を宣言する!」と発表し、革命は広がりを見せた。
エジプト王国臨時政府は臨時首都をアレクサンドリアに置き、カイロ・コミューンにたしては「反乱軍に皆さん従わないでください、この正当なる政府、エジプト王国政府を信じてください」と発表、中東恐慌の影響でできた混沌がここエジプトで初めて起きた。
1932年5月6日 ジャバル・シャンマル王国、ナジュド及びハッサ王国、マスカット・オマーン王国にて同時に軍事クーデターが発生、クーデター起こった三国はその後統合され「アラビア連邦」が結成、そして………
1932年5月7日 イラク、シリアで反乱が発生、そしてクルド人による国家を目指すクルド独立軍が独立を宣言!
そしてアラビア連邦も参戦し、中東は大規模な戦争に突入した。後にこの戦争を「帝国防衛戦争」(オスマン帝国側で)
「中東統一戦争」(アラビア連邦側で)「中東大戦」(世界で言われてる戦争名)
1932年5月15日 この日史実と同じく「五・一五事件」が発生した、だが行動した軍人は違った、史実は海軍軍人による行動だったが、この世界の「五・一五事件」は徹底的弾圧された皇道派、統制派(荒木貞夫、永田鉄山などはこの派閥から去り、荒木貞夫は予備役となり、法務大臣となり、永田鉄山は考えを変えた)の残党の元軍人、予備役、闇に隠れてバレてない軍人などが決起し政府の重要機関に突撃した。
だがこんなことわかってた有田権士は帝国国防軍を動員し、鎮圧、クーデター実行者、クーデターに加担した軍人などを逮捕、そしてこれをきっかけに軍人にも大粛清をし、この事件には関係ないが汚職などやった軍人もついでに粛清した、これにより軍人にもあった腐敗は根絶され、浄化が徹底された。
クーデター加担者は「国賊」「賊」とされ、処刑は実行者などの上層部が「公開処刑」された。
そして処刑されなかった賊たちはこの世でも最も地獄に近い「シベリア送り」となった、そしてその賊たちの身分、情報は抹消され、最初からいないものとして扱われた。
賊の家族はその後作られた身分の元、政府に保護され、そして賊に対しての情報を忘れさせた。(多くは国外へ移住していった)
1932年5月16日 五・一五事件をきっかけにある機関が成立する、まず「国家保安局」内閣直属の機関で、何かに例えるとすればSSの国家保安本部と秩序警察の掛け合わせたものと思えばいいと思われる。味方から見ると頼もしく、敵からは恐怖しか出さない機関である。(準軍事組織である)
そして警察にも軍隊に対する一応の抵抗ができる機関として国家公安省の下に「陸上保安庁」が成立した。(略称名「陸保」)そして警察庁に「公安」が成立した。(特別高等警察を大規模にして拡充した機関)
1932年5月20日 対馬警備保障が中東大戦にオスマン帝国側で参戦。対馬警備保障はオスマン帝国軍に対する軍事訓練を過密していった。
そして中東大戦では多くの都市が戦場となった、その中には聖地エルサレムも含められた。
1932年6月3日 内戦中のアメリカでアメリカ共和国、アメリカ労働組合の戦闘は激しさを増していた、そんな中アメリカのシカゴで大規模な反乱が発生!
そしてそれと同時にアメリカ共和国側でもルーズベルト大統領に対する不満が徐々に高まったことにより、軍事クーデターが発生!
この混乱にアメリカ共和国とアメリカ労働組合連合は停戦をすることになり、渋々この停戦をアメリカ労働組合連合は了承し、アメリカ共和国は国力が高かったアメリカ労働組合連合との戦いが停戦に終わり、安心を与えた、だが軍事クーデターが起きた事によりその安心は混沌が起きる前の安寧でしかなかった。
1932年6月6日 シカゴは反乱の手に落ちてしまいそしてアメリカ労働組合連合は多くの領土を失陥することになってしまった。
シカゴを手にしたのは「スカーフェイス」と呼ばれたシカゴマフィアのボス「アル・カポネ」である、そしてアル・カポネは自分の国家「アウトフィット」の建国を宣言した、これによりアル・カポネの犯罪王国が出来上がった。
1932年6月10日 アメリカ共和国の軍事クーデターは鎮圧され、この軍事クーデターで国軍は解体され、デンバー憲兵隊を主力とする「国衛軍」が成立した。
1932年6月15日 ビルマで独立の機運が高まってる、現在ビルマを領有してる「インド国家社会主義共和国連邦」はインド植民地政府とハイデラバード連合国との紛争が激化しており、その影響で領有してるビルマ、ベンガルでは独立を目指す運動が活発になっていた。
そしてあることが起きたのである、それは「チャンドラ・ボース暗殺未遂事件」である。
1932年6月16日 暗殺未遂事件の翌日6月16日ベンガルにてベンガル独立を目指す独立軍が蜂起。
そしてビルマでは大日本帝国国防軍とシャム王国軍が進駐、「ビルマ軍事行政委員会」が設置され、日本とシャムの両方がビルマを管理した。
1932年6月20日 ベンガル独立軍の蜂起は失敗に終わり、ベンガルは独立することに失敗してしまった。その後ベンガル地方はインド国家社会主義共和国連邦軍政下に置かれる事になった。
ビルマに進駐に獲得した日本、日本はビルマをどうするのだろうか?(シャムも一緒に進駐して管理してるが主導権は日本が握ってる)
日本のテレビ放送とラジオ放送での緊急速報
臨時ニュースお届けします。臨時ニュースをお届けします。
たった今から衝撃な出来事を報告します。
「アメリカ合衆国臨時政府が崩壊しました!」