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黒い洪水(Black flood)〜地獄の世界線へようこそ〜  作者: ライヒさん
1931年 混沌の始まり
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1931年1月〜2月 崩壊する大英帝国

趣味で書いているので温かい目で見守ってください。

イギリス エディンバラ 1931年1月11日

目線 臨時英国首相 ウィンストン・チャーチル

「あのクソッタレの赤と黒共が!」ドン!

「首相、ロンドンは共産主義者が、マンチェスターは国家社会主義者によって取られました。そして一部軍人の中にも反逆者がいます。どうします?」

「何を言ってる情報長官、国王陛下に反逆する軍人は処刑しろ!」

「はい、わかりました。」そう言われた情報長官は執務室か

ら出ていった。


「首相」

「なんだ陸軍大臣、悪い知らせか?」

「はい、グラスゴーにいた国王陛下が暗殺されました。」

「何を言ってるんだ?」

「ですから国王陛下が暗殺されたと言ったんです。」

「誰か殺した?」

「それが〜」

「なんだ?聞こえないぞ」

「あなたには死んでもらいますよ首相」

「どういうことだ?、まさかお前は...」

「そうですよモズレー派です。」パン!え?、これは私の血か?どういうことだ、これでは私は英国の舵取りができなくなるじゃないか。そこでウィンストン・チャーチルの意識は終わった。


イギリス エディンバラ 1931年1月11日

目線 英国陸軍大臣

「こんな呆気なく死ぬとは思わなかったな」私はそう思いながら、懐にしまっていた写真を取り出す、

「モズレー、お前は国王陛下を使って国を統一しようとしたがこれで国王陛下も死んで、国は終わった。地獄で待ってるぞ。モズレー」そして自分の銃を使って自殺した。パン!


イギリス グラスゴー 1931年1月12日

目線 エドワード・アルバート・クリスチャン・ジョージ・アンドルー・パトリック・デイヴィッド(エドワード8世)

「父上が暗殺された?」私は海軍大臣に聞いた。

「はい、国王陛下は暗殺されました。」

「じゃあ次の国王は私か?」

「はい、なのですぐに即位してもらいます。」

「わかった、早く準備するよ。」

「わかりました私も仕事もありますので出ていきます。」


1931年1月15日 エドワード王太子殿下が「エドワード8世」として国王に即位した。アルバート・フレデリック・アーサー・ジョージ(ジョージ6世)はカナダへ亡命した。


1931年1月18日 ロンドンが陥落、フィリップ・スノーデン率いるイギリス国民労働戦線は北アイルランドに亡命、その後そのままアイルランド自由国を支配、アイルランド島に、「イギリス連合」を建国、初代人民委員長にフィリップ・スノーデンが就任した。


1931年1月24日 ロンドンでオズワルド・モズレーが演説、

「新しいイギリスを創る」と宣言して、ロンドンのバッキンガム宮殿で、「ブリテン帝国」を建国、初代総統にオズワルド・モズレーが就任した。


1931年1月29日 エディンバラが陥落してイギリス政府が崩壊、カナダに政府を移した、国王エドワード8世は亡命に失敗、ロンドンで処刑された。


1931年2月1日 イギリス領インド帝国で反乱が発生、インド帝国副王兼総督エドワード・フレデリック・リンドリー・ウッド・ハリファックス伯爵は、インドの独立運動家マハトマ・ガンディーに「なんとか反乱を止められないか?」と質問、これにガンディーは「もう止められない」と発言、これに総督は反乱鎮圧を植民地軍に要請、植民地軍は鎮圧を開始したが、一部の植民地軍が反乱軍に寝返る事態も発生、これをヤバいと考えた植民地軍は英国面を発揮し、イスラム教信者を取り込んで、イスラム教組織に武器を提供、(提供と言う名の販売)これにより植民地政府に味方するのは、

  

      植民地政府に味方する人たち

白人と植民地政府から利権を貰えると約束されて味方になったイスラム教組織とイスラム教信者たち


      反乱軍に味方する人たち

    ヒンドゥー教を中心としたインド人


      ドサクサに紛れて独立した人たち

  藩王国のほとんどが独立(一部の藩王国は連合を結成)


1931年2月5日 カナダに亡命した、亡命政府は日本に香港と広東共和国の管理を売却、日本は香港にいるイギリスの香港総督府から香港の行政を受け取り、広東共和国は中国合衆国に売却、これにアメリカは新しい市場を手に入れたと喜んだ。


1931年2月6日 ジョージ王太子殿下が「ジョージ6世」として国王に即位した。国王ジョージ6世は「なんとしてでも大英帝国の植民地を維持しろ、維持できなかったらいい値で売れ!」と命令して、亡命政府はそれを実行、植民地の損と得を見直して、いらない植民地は自治共和国として独立させ、利益が出る植民地は直轄地とした。


1931年2月8日 カナダの植民地政府と合体したイギリスの亡命政府は、軍拡を開始、本土の奪還を目指した。


1931年2月10日 インドのコルカタで国家社会主義者のインド人「スバス・チャンドラ・ボース」は、「我々はここにインド国家社会主義共和国連邦の建国を宣言する!」と宣言して、反乱軍は国家社会主義軍になっていった。だが一部の旧反乱軍の人々が反対して、ハイデラバードで「ハイデラバード連合国」が成立、インドは3つに分裂した。


インド植民地政府(イギリス領インド帝国)(1931年当時)

国家元首 ジョージ6世皇帝

副王兼総督 エドワード・フレデリック・リンドリー・ウッド・ハリファックス伯爵

首都 ニューデリー

政体 民主主義(イギリスの植民地)


インド国家社会主義共和国連邦

国家元首 スバス・チャンドラ・ボース国民大議長

首都 カルカッタ(コルカタ)

政体 国家社会主義 


ハイデラバード連合国

国家元首 アーサフ・ジャー7世国王(ニザーム藩王国君主)

首都 ハイデラバード(インド)

政体 立憲君主制


1931年2月20日 10日続いた戦闘は、3つの勢力が休戦したことにより内戦は停止、戦争は休戦したが、国境地域では、3つの軍隊が紛争を繰り返した。


1931年2月22日 現副王兼総督のハリファックス伯爵は、亡命政府から「インド統一がなされるまで総督の任期は無期限延長である。」と亡命政府から地獄かもしれない命令をされた。(要するに伯爵が死ぬまでに統一しないと何処からの力で家族諸共抹殺されるため)


1931年2月25日 南アフリカ連邦とアフリカのイギリス領を合併、「アフリカ連邦」が成立した。


ここら辺から世界がおかしくなるので何が起きても気にしないでください。

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