日本の企業(1932年当時)
趣味で書いているので温かい目で見守ってください。
旧財閥
三井(政府により解体)解体後三菱を見て、グループ化
住友(政府により解体)解体後三菱を見て、グループ化
安田(政府により解体)解体後三菱を見て、グループ化
三菱 解体されなかったが、その代わり税金の負担があがり、そしてその後の1932年に政府から「グループ化するとかどう?」と言う謎の提案をされる、そのグループ化のメリットとデメリットを聞き、三菱はグループ化を決定、財閥から企業集団になることになる。
新財閥(拡大した元々あった財閥)
鮎川 金融などに弱かった鮎川財閥は三井、住友、安田が解体された後にそれを吸収し、拡大、1920年からの財閥ながら拡大した財閥として台頭した。
渋沢 財閥と言っていいのかわからなかった渋沢財閥は三井、住友、安田が解体された後にそれを吸収、ちゃんとした財閥に拡大することに成功し、台頭した。
(渋沢財閥は三菱のグループ化を見て、「これいいね」と思い、ちゃんとした財閥に拡大した後にグループ化を決定した)
理研 コンツェルンの理研は新興財閥でまだまだでかい財閥より小さかったが1931年の財閥解体で、それを吸収、拡大した。(渋沢財閥と同じく拡大後グループ化)
鴻池 江戸時代では最大の財閥は、その後地方財閥にまでおちていたが、1931年の財閥解体で、鴻池財閥は賭けに出た、何をしたかというと金という金を解体されてた企業を続々と買収、金がなくなるまでやったのである、その結果、鮎川財閥が拡大した規模と同じ規模くらいに拡大、鴻池財閥は新たなる歴史の始まりである。
三山 (架空の財閥)この財閥は元々地方財閥だったが1931年の財閥解体で、解体されて独立した企業を吸収、地方財閥から大財閥にまで成長した。この財閥のリーダー「三山小次郎」は現官房長官の有田権士の養父である。(三山小次郎の一人娘「有田愛美」(旧姓は三山)が有田権士と結婚してる)
鈴木 (鈴木商店が生き残り、そして大企業へ)史実なら昭和恐慌で潰れて、三井などに食われたが、その三井などが解体されたことで、自由になった鈴木商店はどんどん買収などをやり、巨大化、金子直吉は鈴木財閥を大成長させた。
新興財閥の誕生
日本連合(日連) (架空の財閥)この財閥は倒産しそうになった中小企業が中心で、元々国営企業の「日本国営中小連合」だった、日本国営中小連合は倒産しそうな中小企業を救済する国営の企業であり、そして救済が完了したと国が決定した後、民営化を決定。民営化後名前を日本と連合を残し「日本連合株式会社」とした、その後1931年の財閥解体で拡大し、財閥化した。(現在も拡大中)
(この財閥は国に対しての忠誠が凄まじい事で有名であり、国防産業で政府と協力してる三菱グループと連携してる)
(世界初の民間軍事会社「札幌警備会社」を子会社に置いてる)(この民間軍事会社には有田権士も関わってる)
扶桑 (架空の財閥)この財閥は上と同じく最近まで国営企業だった元国営企業である。投資を面倒くさがった政府が民営化した企業である。(面倒くさがった理由は日本に集中的に投資してるため、扶桑への投資が難しいことと、地政学的に必要だが経済的に必要かと言うとう〜んなところであり、思い切って「民営化しよう!」と政府が決めた)
樺太 (架空の財閥)この財閥はユダヤ系日本人、移民ユダヤ人を中心とする財閥で、多くの国とのパイプを持つ、ユダヤ系の財閥である樺太財閥は樺太島の開発、投資を積極的に行った。
世界初の民間軍事会社の設立
大日本帝国政府は半官半民の民間軍事会社(世界初)「対馬警備保障」が設立された。(対馬を本社にしてる)(なぜ対馬にしたかと言うと陸海空の両方を持つ民間軍事会社になるから)(対馬に新たなる産業を作るため)(1932年の1月8日に設立)
サイコロによってハンガリー帝国の未来を決めます。
1が6個出たら「Éljenek a Habsburgok!」
2が6個出たら「Dolgozók! Felkelni!」
3が6個出たら「Hurrá Holty Miklós!」
4が6個出たら「Önrendelkezés!」
5が6個出たら「Si Shetefernik? Ja som tiež Shetefernik. Všetci sú Shetefarnik.」
6が6個出たら「Vissza mindent」
(ほとんどハンガリー語、そして5は何語でしょ?)