1931年9月〜10月 テキサス独立、日本もっと改革を行う。
趣味で書いているので温かい目で見守ってください。
1931年9月2日 アメリカ連合国が第二次リッチモンドの戦いで敗北してから一週間後、アメリカ連合国のテキサス州で独立が起きた。(ついでにオクラホマ州がくる)
テキサス州政府は「テキサス共和国」の建国を宣言し、アメリカ連合国からの独立を宣言した。
内戦中の独立の為、アメリカ連合国はこの独立を黙認し、内戦が終わった後に潰すことにした。
アメリカ軍事政府とアメリカ労働組合連合も同じ理由で黙認し、西海岸連邦は独立を認めた。
アメリカ共和国は逆に認めず、軍を侵攻させた。
(ルーズベルトはテキサス州の独立に怒り心頭らしい)
1931年9月3日 アメリカの植民地になってるフィリピンでマニュエル・ケソン、ホセ・ラウレル、エミリオ・アギナルド率いる「フィリピン独立連合」がマニラで独立宣言。
フィリピンにいたアメリカ軍はフィリピン独立軍によって壊滅した。
フィリピン第二共和国初代大統領にマニュエル・ケソンが就任、ホセ・ラウレルは副大統領兼財務大臣、エミリオ・アギナルドは国防大臣になった。
(独立後大日本帝国の影響化に置かれたが独立を維持し、日本と協力した)
1931年9月4日 大日本帝国政府が告発制度(犯罪者を見つけたら告発する。上司が汚職してたら報告するなど、多岐に渡る。これを使った犯罪は問答無用の有罪もしくは悪質なら死刑)
70歳になったら
選挙権と被選挙権が無くなる法律(70歳は国民年金などが支給される為とシルバー民主主義になるのを阻止する為)(政治家も対象なのでこれで事実上70歳になったら強制引退)
政治家強制引退法(70歳にならなくても老害もしくはボケ始めたら(若くても無能過ぎたら引退させる)年齢関係なく引退させる)
官僚強制引退法(これも上と同じく70歳にならなくても老害もしくはボケ始めたら(若くても無能過ぎたら引退させる)年齢関係なく引退させる)
と4つの制度、法律を施行した。(この制度と法律は政治家と官僚、そして老害化した老人に対してのキツイもので、特に政治家と官僚は何か汚職など悪いことすれば、引退させられてそのまま処刑、刑務所送りである)
1931年9月8日 満洲共和国政府初代大統領にして首相の張作霖は溥儀の弟(次男)愛新覚羅溥傑を皇帝とする「満洲帝国」の建国を宣言し、立憲君主制をしいた。
1931年9月13日 大清臨時政府は溥儀の弟(四男)愛新覚羅溥任(当時13歳)を13代大清帝国皇帝とした。
(当時の愛新覚羅溥任はこの時点では傀儡だった)
1931年9月16日 中華帝国初代皇帝に清の王朝の血筋を持つ、愛新覚羅毓嶦(当時8歳)を皇帝として祭り上げた。
(こちらも同じく傀儡)
1931年9月18日 解体されなかった三菱財閥は、大日本帝国政府から本土での税金の負担(法人税など)を増やすと同時に海外領土(日本の植民地など)での税金の負担を減らした。
これにより日本本土での営業を行いながら、海外領土に進出し、これが回り回って海外領土の工業化に寄与した。
(大日本帝国政府は無駄な税金もこの際廃止を決定。地租、入場税、トランプ類税、ガス税、電気税、通行税などを廃止、所得税と消費税など新しい税金に変えた)
(解体された財閥もこの三菱の海外進出に乗っかった)
1931年9月22日 現上皇陛下(大正天皇)の三男、高松宮宣仁親王とロシア第二帝国現皇帝アレクセイ二世の姉である、アナスタシア・ニコラエヴナ・ロマノヴァが結婚。
天皇家では初めての海外の王族との結婚。
(史実の高松宮宣仁親王と結婚する徳川喜久子は史実と同じく結婚したが、高松宮宣仁親王の妻を増やすということになり、徳川喜久子とアナスタシアは高松宮宣仁親王の両方の正室となった)(この当時の天皇家は大正天皇が側室を持たなかった影響で昭和天皇も側室を持たなかったが、それは駄目だとまだ生きていた伊藤博文がゴリ押しでだが高松宮宣仁親王とアナスタシアを結婚させた)(この当時の伊藤博文は90歳)←(元気だな伊藤博文)
(その後1936年に喜久子の子供「熾仁親王」、1937年にアナスタシアの子供「安旨親王」ロシアでの名前「イヴァン皇太子」←(当時アレクセイ二世の息子が生まれてないのでロシア帝室の中で男児がいるのがアナスタシアが産んだイヴァンだけだったから)
1931年9月25日 退位していたニコライ二世が死去した。
(結婚を見たあと静かに亡くなったらしい)
1931年9月29日 中央アメリカ統一戦争が終戦した。この終戦でメキシコ・コミューン連邦は国名を「中央アメリカコミューン連邦」に変えた。
1931年10月2日 ブラジル以外無政府状態だった南アメリカで、アルゼンチン、チリ、パラグアイ、ウルグアイを勢力に組み込んだ「パタゴニア人民連邦」が成立した。
コロンビア、ベネズエラ、エクアドル、ペルーを勢力に組み込んだ「南アメリカ連邦」が成立した。
これにより南アメリカには3つの国が対立し合うことになった。
1931年10月6日 大日本帝国政府が肥大化する恐れがある
厚生労働省の分割を決定、厚生省と労働省に分割された。
厚生大臣は木戸幸一が続投
労働大臣には植杉将景(オリジナル)が就任した。
それと同時に樺太総督府と択捉島含む千島列島をそれぞれ「樺太道」「千島県」が成立、47都道府県は49都道府県となった。
1931年10月9日 ブラジル合衆国でクーデターが起き、クーデター政府は王政復古を宣言し、ポルトガル王室のブラガンサ家のドゥアルテ・ヌノ・デ・ブラガンサを「ブラジル第二帝国」初代皇帝に即位させた。(立憲君主制国家の成立)
1931年10月11日 アメリカ軍政下のハイチでハイチ・アメリカ軍政府はアメリカ合衆国を離脱し、「新アメリカ国」を建国。
1931年10月12日 初代ブルガリア国王であり、退位したフェルディナント一世は息子のボリス三世に「皇帝になれ」と発言し、自分の息子を皇帝にさせる為にドイツ帝国、ハンガリー帝国、ロシア第二帝国、大日本帝国と皇帝がいる国家(日本は天皇だけど英語にすると皇帝になるのでオケ)に行き、ブルガリア王国をブルガリア第三帝国にする事をお願いしていった。
1931年10月16日 アフガニスタン王国が降伏、アフガニスタンは中央アジア社会主義共和国連邦に併合された。
1931年10月19日 ブルガリア王国二代国王ボリス三世は「ブルガリア第三帝国」初代皇帝ボリス一世として即位した。
(フェルディナント一世は帝国の前身の国ブルガリア王国の建国の父とした)
1931年10月20日 大日本帝国はニューギニア島を領有してるドイツの植民地とオーストラリアの領有してる領土を購入、
購入した領土をニューギニア総督府に組み込んだ。
1931年10月23日 パナト王国国王ヴィルヘルム一世は民族浄化を推進し、スラブ系の人々を傭兵とし、第二次アメリカ内戦にどんどん送った。
この世界は多くの民族が民族浄化され、民族の同化が進んでいった。
日本のテレビ放送とラジオ放送での緊急速報
臨時ニュースお届けします。臨時ニュースをお届けします。
たった今から衝撃な出来事を報告します。
「アメリカ共和国占領下のラピッドシティで虐殺が行われました」
サイコロで今後のブリテン帝国の未来を決めます。
1が6個出たら「ブリテン帝国崩壊」
2が6個出たら「ブリタニア社会主義連邦共和国建国」(イギリス連合がブリテン帝国に勝利するルート)
3が6個出たら「大ブリテン帝国」(ブリテン帝国がイギリス連合に勝利するルート)
4が6個出たら「We are back in Britannia!」(カナダのイギリス亡命政府がブリテン帝国、イギリス連合に勝利するルート)
5が6個出たら「Big Brother」(秘密)(ヒントはこのBig Brother)
6が6個出たら「The end of Britannia」(秘密)(ヒントはなし)




