新しい政治思想「新生民主主義」
趣味で書いているので温かい目で見守ってください。
政治思想 新生民主主義(あとに名前が変わるが今はいいか)
市場経済の拡大、時には規制、そして社会保障の拡大、社会保障に対しての税金の増税、個人の情報や個人の権利の保障、個人の情報を国が管理し、犯罪の抑制など中道ではあるが右派でも左派でもある政治思想
(簡単に言うとイデオロギー反復横跳び)
簡単な意味 資本主義と社会主義、そして自由主義と一部管理社会と相互監視社会を融合させた新しい民主主義
(あらゆる政治思想をごった煮にした謎過ぎる思想)
この政治思想を考えた人物は1900年に生まれた当時16歳の天才青年「有田権士」、三菱財閥の幹部「徳田政時」である。
これを作ったときの年齢は有田が16歳、徳田が26歳と比較的年齢が若い。(1916年に作成され、1916年中に発表した)
(この時有田が第一次世界大戦で欧州派遣軍の中に入り戦争を経験)(成績が優秀だったことと、運動に関しても優秀だったので軍は戦争を経験させた)
1926年に新生民主主義の政治思想団体「日本新生民主党」結成、初めは有田を党首にと声があったが、有田が「官僚を少しやって党首なる」と発言、これにより初代党首は尾崎行雄がやることになる。(その後後々に有田は党首になり、史上最年少の首相になるが関係ないのでそれは置いとく)
徳田政時は党の財務を担当し、党の財務に専念するため三菱を辞職、党員となり、幹事長となった。
1929年に新生民主党政権が発足。1930年に「昭和の大改革」
を行い、公約をちゃんとやった。(何処かの政党と違うね)
有田権士
年齢 31歳
現在の仕事 財務省官僚
退職後の仕事 政治家へ
1900年に生まれた。「日本史上最強の政治家」「日本の妖怪」と呼ばれることになる伝説の男
徳田政時
年齢 41歳
前の仕事 三菱で財務を担当する幹部
現在の仕事 新生民主党の幹事長
1890年に生まれた。「日本史上最強の政治家」「有田権士」を支えた「最強の財務の鬼」(高橋是清からものすごく褒められたことがある)
尾崎行雄
史実では「憲政の神様」「議会政治の父」と呼ばれるが、その中に一つ増えて「日本を変えた政治家」と呼ばれることになる。
松岡洋右
史実ではドイツ贔屓なせいで(?)三国同盟を締結。それが後に日本を地獄の戦争へ行き、戦後では今の日本が苦しめられる現状作ったかもしれない。
だがこの世界ではドイツは日本と同じく立憲君主制の議会制民主主義で、この世界のアドルフ・ヒトラーは白いヒトラーと、ドイツにとって最強で、日本にとって頼もしく、まともな友ができたことにより、松岡洋右のドイツ贔屓は日本とドイツの関係を強くし、あとロシア贔屓もロシア第二帝国との関係強化、経済進出に寄与した。
新生民主主義の与えた影響
政党の中で影響
日本民主労働党(現実主義が根強くなる)
立憲政友党(他の政党と統合する動きが起きる)
立憲民政党(不正と汚職が嫌いになっていく)
立憲養正會(汚職をした政治家をしつこく侮辱する)
国民同盟党(国民の声を聞きまくる)
日本革新民主党(左派政党と統合する動きが起きる)
日本国民民政党(平和主義をお花畑と呼ぶ)
日本革新進歩党(サンディカリズムが根強くなる)
(立憲民主党は立憲養正會、国民同盟党と統合し、「皇国民主党」を結成した)
(日本革新民主党は日本革新進歩党と統合し、「日本組合民主党」を結成した)
海外での影響
海外政党の影響
ドイツの帝国民主党(現実主義、管理主義が根強くなる)
アメリカの共和党(現実主義が根強くなる)
中央アジアの社会民主組合党(現実主義、管理主義が根強くなる)
北フランスの王国民主党(現実主義が根強くなる)
外国での影響
中華合衆国で「独裁者を倒せ!」が根強くなり、中華合衆国の崩壊が始まる。(この時の指導者は蒋介石)
大清帝国で毛沢東率いる中国共産党が革命を起こそうとしたが国粋主義政党の「義和党」の民兵が毛沢東諸共の中国共産党関係者を全員虐殺。(これにより中国共産党は終焉した)
義和党は暴走して、大清帝国を崩壊させた。




