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黒い洪水(Black flood)〜地獄の世界線へようこそ〜  作者: ライヒさん
1933年 混沌から地獄への道
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1933年4月 その2 外人部隊の創設 51都道府県へ シッキム王国の野望 ドイツの経済成長と植民地経営の変更 インド、軍閥時代へ突入 カルリスタ・スペインからイベリア連合へ 満洲の復讐者

趣味で書いているので温かい目で見守ってください。

1933年4月10日 大日本帝国国防軍は外人部隊を創設、日本にやってきた移民や外国人を対象にした。

この外人部隊に所属して10年ぐらい経つとその人と妻、子供が帰化が簡単になり国籍が貰える。

(国籍を貰えるとあって多くの人々が入隊したがレベルが第一空挺団並だったため除隊が続出した、その後給料が高いこともありどんどん数を増やしていった)


台湾と太平洋にある日本領土の総督府を都道府県化、台湾総督府から「台湾道」となり、台湾以外にも海南島もつけた。太平洋総督府は「太平道」と名前を変えた。(49都道府県⇒51都道府県)


台湾道初代道知事には林献堂(はやし・けんどう)氏が就任した。(りんけんどう)


1933年4月12日 インド崩壊により事実上独立したシッキム王国とブータン王国が連合王国化、「ドルジェ・リン連合王国」が成立した(シッキム王国が昔統治していたダージリンを占領し、領土化)


1933年4月15日 ドイツ帝国政府は公共事業による積極財政で金の回りを回すことでベルリン株式市場暴落前より経済を回復、成長させた。

もちろんドイツ経済圏の国々にも金を投資し、経済を活発化した。


だがベルリン株式市場暴落によりミッテルアフリカの経営が危うくなる事態になり、結果分裂を決定、第一次世界大戦前から植民地となってた地域を「ドイツ帝国直轄地政府」、第一次世界大戦後から獲得した植民地を「北アフリカ総督府」「西アフリカ総督府」「中央アフリカ総督府」と3つに別れた


そして北アフリカ総督府は経営状態が最悪であり、なんとか維持してるという自転車操業状態。北アフリカに安寧を求めて避難したフランス人はフランス共和国崩壊後増加しており、元々北アフリカではアラブ人などの植民地住民をコンゴや肥沃な土地がある西アフリカに移住させており、西アフリカでは開拓した土地は自分の土地になるという事で多くの北アフリカの植民地住民は裕福な生活と安定を求めて西アフリカに大挙。


北アフリカの植民地住民の人口は激減し、ドイツやフランスからの移民、難民など白人の人口の割合が増加した。


そしてさらにコンゴはコンゴ人がベルギーにより言葉で言い合わせられない行為をされた事で、使い物にならず、多くが病院に入院した。そしてそのコンゴ人をドイツが治療したことでコンゴ人のドイツ人に対する感情が良くなり、それと同時にベルギー人に対する憎悪が高まった。


まぁそれはさておき、使い物にならないコンゴ人を使うわけには行かず、北アフリカからコンゴへ行く人を募集、高給だったこともあり、家族と一緒に移住してくるものも出て、これによりどんどん北アフリカに本来いた先住民などがほぼ皆無に、移住してきたフランス人やドイツの役人(家族含めて)だけになってしまった。(結果的に北アフリカの白人化が進んだ)(統治としてはイギリスとフランスよりマシな統治がされていた)(まぁ逆らうと殺されるのは変わらんが)


(ドイツ人としてはただ使い物にならないコンゴ人より使える北アフリカの人々を使いたくて呼んだし、コンゴ人も義手、義肢などすれば使えるようになるし、一応治療しないと胃が治まらないためドイツが勝手にやってたがこれをコンゴ人たちに感謝された形である。当のドイツ人たちは「勝手に感謝してもいいが、仕事はしろ、そして稼げ!」とまぁツンデレみたいな反応をしていた)


1933年4月18日 インド自治領以外のハイデラバード連合国は恐慌により崩壊し、そしてインド国家社会主義共和国は軍部のクーデターにより政府が崩壊、史実の中華のような軍閥時代へ突入した。(戦国時代と言っても差し支えない)


1933年4月20日 カルリスタ・スペインの国王「アルフォンソ・カルロス1世」は軍の忠誠派とともに反動的強硬派を粛清、粛清後自らは国王を退位し、多くの国民とともにブルグントなどのドイツ勢力圏へ大挙して亡命した。

残った国民と政府は【イベリア連合】という政府を組織し、イベリア連合の王としてカルリスタの血筋を持つ

ブルボン=パルマ家の「ハビエル・デ・ボルボン=パルマ」を「ハビエル一世」として即位させた。(アルフォンソ・カルロス1世はハビエル一世をカルリスタの継承者として認めた)


1933年4月25日 満洲帝国宰相「張作霖」が暗殺されてから1ヶ月が経った。

臨時の宰相に軍の支持が厚い「張景恵」が就任したが、それに対して政府に参加してる民主派が反対し、政府から離脱した。


これにより強権化し、強硬派が主流になった政府は張作霖の息子「張学良」が実権を握り、結果張学良が宰相へ就任、就任直後「非常事態宣言」を布告し、「秩序維持法」を制定し、反体制派を弾圧。


審理機関である「改革法廷」にて危険と目される人々を次々と処罰していった。

満洲帝国の地方の知事を招集し、地位を保証し、地方を安定化。

現体制の地盤である軍への忠誠も強めるため、宣伝やポスターによって軍国主義を強め、軍への給与もあげた。

そして前体制の崩壊を招いた漢民族に対して徹底した弾圧と国外追放強めるために「奉天民族管理法」が制定され、漢民族と目される人々はどんどん国外追放されていった。



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