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黒い洪水(Black flood)〜地獄の世界線へようこそ〜  作者: ライヒさん
1931年 混沌の始まり
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1931年5月〜6月 オーストリア・ハンガリー二重帝国の爆散

趣味で書いているので温かい目で見守ってください。

1931年5月4日 長年、多民族国家で形成されたオーストリア・ハンガリー二重帝国は、皇帝カール1世が共産主義者によって暗殺されたことにより崩壊した。


1931年5月5日 これにドイツ帝国政府は大ドイツ主義の実現をすることを決め、ドイツ帝国軍をボヘミアとオーストリアといったゲルマン系民族がいる地域に進駐、突然の進駐でオーストリア政府は崩壊した。

ドイツ帝国軍はボヘミア王国、オーストリア帝国をぶん取り、ガリツィア・ロドメリア王国をガリツィア・ロドメリア共和国として独立させて、ドイツの勢力に組み込んだ。


1931年5月6日 突然独立国になってしまったハンガリー王国はカール1世の息子オットー・フォン・ハプスブルクを皇帝とする国家「ハンガリー帝国」を建国、早速ハンガリー帝国はダルマティア王国とクロアチア・スラヴォニア王国、ボスニア・ヘルツェゴビナへ進駐して併合した。


1931年5月8日 旧オーストリア・ハンガリー二重帝国軍軍政下のセルビア・モンテネグロ軍政府は突然の二重帝国の崩壊で混乱したが、軍政府の元帥ヴィルヘルム・フォン・エスターライヒはセルビア・モンテネグロに「パナト王国」を建国、ゲルマン化を進めた。(パナトと言うのは旧セルビア領の上の方ににあるハンガリー帝国領の領土で、旧ドイツ騎士団国の拠点の一つ)


1931年5月10日 エルンスト・アウグスト4世を皇帝にしたのはいいが、ドイツとの関係が最悪な外交関係になってしまったため、そこにドイツから圧力も加わり、ついにブリテン帝国は折れて、エルンスト・アウグスト皇帝を退位させ、エルンスト・アウグストはドイツに帰国、皇帝が空位になったブリテン帝国はオズワルド・モズレー総統閣下が摂政の位に就き、国の運営をした。(これによりブリテン帝国は4年間皇帝がいない時期に突入した)(1935年にこの国が変化する)


1931年5月15日 ヴィルヘルム・フォン・エスターライヒはバルカン半島に居るドイツ人にパナトの入植を応援し、ドイツ本国からの移民を受け入れた。(この結果セルビア人とドイツ人の混血が進み、ドイツ系パナト人が作られていった)

(民族浄化を行い、新しい民族の形成をエスターライヒは行った)(スラブ人の男性を傭兵とし外に送り、スラブ人の女性とドイツ人入植者を結婚させる、スラブ人の子供にはパナト人として教育を行う)


1931年5月19日 イギリス連合はブリテン帝国と対立し、何度もウェールズに上陸、現地のウェールズ人民解放戦線とブリテン帝国陸軍での熾烈な戦いが繰り広げられた。


1931年5月22日 突如としてイタリア共産連邦はアルバニアに侵攻、突然の侵攻でアルバニア軍は対処しようとしたが、アルバニアの共産主義者も蜂起をし、大混乱、アルバニア王国の国王と王室は処刑され、アルバニアはイタリア共産連邦によって併合された。


1931年5月25日 ギリシャでも共産主義者による共産主義革命が発生し、ギリシャ王室はデンマークへ亡命、イタリア共産連邦も介入し、ギリシャ王国は崩壊、ギリシャ臨時政府ができた。(その後イタリア共産連邦とギリシャ臨時政府は「地中海共産連邦」に合併することになり、地中海共産連邦政府は「地中海に共産主義を広める!」と宣言した)


1931年5月28日 混乱が続いていたモンゴルで、ロマン・フョードロヴィチ・フォン・ウンゲルン=シュテルンベルク率いる「モンゴル帝国」がモンゴルを統一、モンゴル帝国皇帝に即位した。

モンゴル帝国皇帝ロマンは隣国の自称明王朝の末裔を名乗る国「明帝国」に宣戦布告。(そちらのモンゴル帝国も自称だったはずでは?)

拡大を模索した。(蒙明戦争)


1931年5月30日 自称明に支配されてしまったチベットで蜂起が起き、「チベット」が再独立。モンゴル帝国は独立を歓迎し、モンゴル帝国はウイグル地方に電撃的に侵攻していった。


1931年6月10日 自称明は自称モンゴル帝国によって電撃的な侵攻により二週間程度で降伏、リー・カンスは処刑され、モンゴル帝国はウイグルを併合した。


1931年6月12日 モンゴル帝国の隣国「中央アジア社会主義共和国連邦」はモンゴル帝国の光景を見て、「我々も拡大し国力を上げよう!」と決意、隣国のアフガニスタンに侵攻した。(アフガニスタン侵攻)


1931年6月15日 イラン社会主義共和国国家元首ラヴレンチー・パーヴロヴィチ・ベリヤはイスラム過激派により暗殺、イラン社会主義共和国は崩壊した。(崩壊したイランは復活したペルシャ第ニ帝国により併合、ペルシャ帝国とペルシャ第ニ帝国のにらみ合いが続いた)


1931年6月19日 ポルトガルで革命が発生、革命勢力は首都リスボンにて「ポルトガルコミューン」の建国を宣言、ポルトガルの資本家はドイツか日本へ亡命し、ポルトガルは労働者の国となった。(地中海共産連邦と「インターナショナル」を結成、同盟を締結した。)


1931年6月24日 ポルトガルの革命はブルガリアそしてルーマニアでは軍事独裁体制の成立に繋がった。

ブルガリアはボリス3世が軍隊を使い軍事独裁化

ルーマニアでは軍隊がクーデターを起こし、カロル2世を退位させ、ミハイ1世を国王に再度即位させた。(カロル2世が即位から1年で退位)(イオン・アントネスクがクーデターを起こし、史実より9年早いアントネスク政権の発足)


この世界はどんどん混沌と狂喜に満ちた世界へ行こうとしていた、そしてこの世界をもっと混沌にする出来事が起きる。




































































































































日本のラジオ放送


臨時ニュースお届けします。臨時ニュースをお届けします。

たった今から衝撃な出来事を報告します。

    「アメリカでクーデターが起きました」


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