ある晴れた日、奉天にて
ある満州帝国政府官僚の日記
1933年3月10日 この日に蒙古にて起きてた朝鮮人と漢人の闘争がある程度終結した、200万人という尊い命が犠牲となり、そして終結はしたが朝鮮人と漢人の憎悪は高まるばかりである。
あとがき【本音を言うと満州人や、漢人だけど満州人化する首相や閣僚たちは朝鮮人の命と漢人の命をそこらへんのゴミの如く見てる兆しがあり、私自身こんな奴らのために働くのも嫌なのが本音である】
1933年3月11日 ある情報が飛び込んできた、『張作霖首相暗殺計画』を画策してる集団もしくは抵抗勢力がいる模様で、これに対して張作霖首相は「このような謀をしてるクソ野郎をとっとと逮捕しろ!」と警察の高級官僚を厳しく叱咤し、そして首相は「万が一のために私は日頃から銃を持つようにする」と銃を手に話さず持つなど首相も警戒していた。
1933年3月12日 謀をした組織の名前が判明、名前は「漢民族救済委員会」と言うクソほど胡散臭い組織であり、漢人の救済を目的としてるが、実態はただの山賊などの犯罪者をまとめて略奪、強姦などの凶悪犯罪の限りをする、言ってみれば好き放題する朝鮮人と大差ないクソ野郎である。
あとがき【このときの自分も何故漢人と朝鮮人の両者に罵詈雑言言ってたのかワカラン】
1933年3月13日 漢民族救済委員会の末端の末端ではあるがその工作員の逮捕に成功、とりあえず中華4000年で磨き上げられた拷問術であらゆる情報を抜き取り、そしてその上の幹部などを狙って、家族共々誘拐などもやる予定である。
1933年3月14日 帝都新京にいた「漢民族救済委員会」の支部なども片っ端から破壊したが首相は「奉天のところにいる漢民族救済委員会も潰せ!2週間後ぐらいに奉天で式典があるからだ!油断するな!」と叱咤し、警察、諜報からは「心配のしすぎでは?」と困惑している。
あとがき【まぁ心配しすぎなのはそうだが、首相からしてみたら暗殺の危機に瀕してるのに部下たちは楽観視してるからそりゃ怒る】
補足 張作霖首相が来る予定の奉天の式典というのは、日本政府が満州鉄道や満州の資源開発など、金になるようなものに投資しまくって、そこに一般の資本家を招待して、投資を促す。(日本政府は史実より教育の分野や文化の分野では金の投資はしておらず、短期に元が取れるものを中心に投資している、元が取れるのが長いやつは満州に任せるか、資源や鉄道開発の元が取れて、収益が安定してからやる予定らしい)
3月15日〜3月25日 淡々と今日は何処何処のところの支部とこの情報得たよの繰り返しなため割愛。(長々とやられても読者が困る)
3月26日 …………たった今起きたことを書こう……首相が暗殺された……………… 殴り書きで【クソ野郎】と書かれていた。
満州帝国帝都新京
(第三者視点)
「…………今そなたはなんていった?」
「は、皇帝陛下張作霖首相が暗殺されました」
「…………なにゆえ余の宰相が暗殺されたのだ?」
「は、被支配層の漢民族が、『あのとき何もしてくれなかった復讐だ!』と叫んでいまして、なんのことやらさっぱり¯\_ಠ_ಠ_/¯」
「なるほどの………次の宰相は決まっておるか?」
「いえ、今のところは宰相代行として張景恵氏がやっておりますが……」
「………では臨時の長として張景恵を宰相に任命しなさい」
「で、ですがそれをやりますと政府内にいる民主派勢力が離脱する可能性が……」
「今は妥協より安定が大切です、離脱するなら離脱してしまえばいい、来る者拒まず去る者は追わずです」
「は、皇帝陛下、了解致しました」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「これで良いですか張学良?」
「…………いや気づきましたか」
「ええ、気づいたというよりは、あなたが隠れるのはいつもそこではないですか」
「ハハハ、参りましたな……」
「これで穏健派である民主派グループを離脱させ、政府を強硬派主流にする、そしてその強硬派の支援の元あなたは御父上と同じく宰相となる、まぁ私にとってはある程度の生活をするためにちゃんと仕事をしたまでですよ張学良」
「…………なんとも食えない皇帝陛下ですこと」
「…………皇帝は好きでやるものではないのですがね……兄上が暗殺され、スペアであった私が皇帝になるとは夢にも思いませんよ」
「ハハハ、人生山あり谷ありですな」
「それを言うならあなたは元から山ではありませんか?ハハハハハハ!」
「そうですなハハハハハハ!………ふぅーまぁ笑うのはここまでにしてクソッタレの漢民族救済委員会に目にもの見せてやるわ!」
「頑張ってください、私は妻と色々とありますので」




