この世界のフランス(フランス国家社会主義共和国)歴史
趣味で書いているので温かい目で見守ってください。
1914年 フランスが第一次世界大戦に参戦。
1915年 ロシア帝国が吹っ飛ぶ。
1916年 我慢できずに隣国のベルギーに侵攻する。
1917年 首都パリが陥落、マルセイユに首都を移転。
1918年 イタリアが裏切る。
1919年 臨時首都マルセイユが陥落
1920年 ロンドンのバッキンガム宮殿で行われた講和条約でドイツからアルザス・ロレーヌの領有ができなくなって、フランス植民地が全部取られる。賠償金は払える額なのでだいじょうぶ。
1922年 ストライキが起きて経済死ぬ、経済死んで国家社会主義革命が起きる。ドイツ帝国軍が北フランスに進駐。
国家社会主義革命のリーダー「アレクシス・カレル」はマルセル・デアとジャック・ドリオを率いてパリに革命を起こした。
だがドイツ帝国軍が進駐してきたため、これに国家社会主義革命勢力はパリから追い出されて、臨時首都をモンペリエに置いた。
北フランスに王国ができ、南フランスには「フランス国家社会主義共和国」が成立、臨時総統にアレクシス・カレルが就任、マルセル・デアは臨時副総統、ジャック・ドリオは臨時国防大臣となった。
1923年 アレクシス・カレルが反体制派によって暗殺、これによりマルセル・デアが臨時総統になり、ジャック・ドリオは副総統となった。(反体制派は全員処刑)
1924年 軍拡中
1925年 コルシカ島にいる残存亡命フランス政府とスペイン侵攻を計画
1926年 フランス・スペイン戦争が開戦、序盤ピレネー山脈に立て籠もったスペインが優勢だったが、フランスは火力によるゴリ押しにより突破、1928年にスペイン王国政府は本土を消失し降伏。(亡命フランス政府はコルシカ島に上陸されて壊滅)
1927年 バルセロナとマドリードが陥落、首都を移転したが
1928年 スペイン王国政府はスペイン本土を消失、降伏した。だがスペインの軍部は反対し、亡命フランス軍と合流、スペイン植民地に「フランス・スペイン解放軍」ができた。
マルセル・デアが正式に初代総統になり、ジャック・ドリオは「スペイン国家弁務官区」初代総督となった。
(初代総督ジャック・ドリオはまずフランス人化政策を行い、スペイン人を虐殺、空いた土地を無料でフランス人に配った。)
(初代総統マルセル・デアは軍事拡張を推し進め、フランス人の増加を促進、虐殺は起こさず、反体制派や反社会的勢力の処刑を毎回行った。)
1929年 反体制派による反乱が発生、発生地のマルセイユは軍隊により包囲されて大砲、戦艦、戦略爆撃と火力によるゴリ押しを行い虐殺、マルセイユは廃墟と化していた。
1930年 反体制派組織「マルセイユ」が蜂起、この蜂起でマルセル・デアが暗殺、暗殺後反体制派は壊滅し、2代総統にジャック・ドリオが就任、フランス総統兼スペイン国家弁務官総督を兼ねる「大総統」が誕生した。
フランス国家社会主義共和国軍の軍人
(モーリス・ガムラン、シャルル・ドゥレストランなどカイザーライヒのフランスコミューンの軍人がそのままフランス国家社会主義共和国に軍人としているらしい)
フランスの軍事組織
フランス国家社会主義共和国には政権与党の軍事組織「カレル隊」とフランス国家社会主義共和国の軍隊「共和国軍」の二種類の軍隊がある。カレル隊は暗殺されたカレル臨時総統にちなんで名前をつけ、現在は「武装カレル隊」と言うカレル隊より重武装の私兵軍隊を作り、最終的には共和国軍は解体し、武装カレル隊に併合することが計画されている。
共和国軍はフランス国家社会主義共和国の軍隊であり、参謀総長は「モーリス・ガムラン」参謀副総長は「シャルル・ドゥレストラン」がついている(現在の共和国軍は解体の危機に瀕しており共和国政府に対しての不満がどんどん高まっている)(この国の組織のマトモな部類の共和国軍が解体されたらヤバいことになるのはこれを見てる読者もわかるだろう)
1931年のフランス国家社会主義共和国の国力と諸々の説明
首都 モンペリエ
国家元首 ジャック・ドリオ大総統(首相を兼ねる)
政体 国家社会主義
経済状態 奴隷経済
国民感情 国民統制
民族 フランス民族、スペイン民族は奴隷
言語 フランス語
宗教 禁止
人口 2500万人(奴隷を入れて3000万人)
常備軍 120万人
限界動員数 400万人
スペイン国家弁務官区の情報
総督府 マドリード
総督 ジャック・ドリオ総督
人口 2000万人〜3000万人




