その五
夜は、人間にとっては不利な時間だ。どれほど、夜目が利くという特技があったとしても、魔獣のそれには敵わない。そして、魔獣には夜闇に紛れることを得意とする奴もいる。そんな奴を夜に相手取るのは、基本的には自殺行為だ。
そんなわけで、俺たちは不寝番を置きつつ、仮眠をとることにしている。
そして、俺はといえば今は仮眠するべき時間なのだが、全く寝付けないでいた。
(あんな話を聞かされちゃあなぁ……)
先ほどの、シノアの予測がまだ耳に反響している。環境種を相手取るという可能性。俺もそれなりに魔狩りとして、経験をつんで修羅場を潜り抜けてきたという自負はあるが、やはり恐怖心というものはなくなることがない。
(いやはや)
いつぶりだろうか。魔獣に立ち向かうことに、畏れを抱くということは。
(他の魔狩りへの説明どうするんだろうな)
結局、あの話のあと、アイシアとは相談できなかった。あいつが何やら深く考え込んでいたのと、あいつがさっさと眠ってしまったからだ。
(何か考えがあるんだろうけど)
少し考え込んでから、大きく息を吐いた。
(やめだやめ。理由があるならあいつは絶対話してくれる)
一人で悩んでも仕方がない。俺は気持ちを切り替えて、しっかりと仮眠をとるべく目を瞑る。だがそれはアイシアの、
「ケイト起きてる?」
という声に妨げられた。
「どうした?」
「そっち行くわね」
「は?」
問答無用で、アイシアは真ん中で眠っていたカイを乗り越えて、こっちにやってくる。
「入れないから、もうちょいよって」
「よれってお前なぁ」
小声で反論しようとしたのだが、そこで気づいてしまった。俺をどかそうとするアイシアの手が少し震えている。俺は黙って言われた通りにする。
「そのまま壁の方向きなさい」
「へいへい」
アイシアは、スルリと俺の腰に抱きついて、背中に顔を埋める。その体温は、やけに熱いように感じられた。
しばらく、アイシアはなにも言わなかった。そして、それなりの時間がたってからようやくポツリと切り出した。
「明日皆には伝えるわ」
「そうか」
「反対しない?」
「する理由がない」
そっか、と安堵したような言葉をアイシアは吐き出した。ここで話は終わりだ。だけど、俺はそうさせてやらない。
「それだけか?」
「……ん、ばれた?」
「分かるに決まってるだろう」
何年の付き合いだと思ってるんだ。
「シノアの話を聞いたときにね」
アイシアは、ぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。
「怖かったの」
「は?」
あまりにも、普通のことを言われて俺は混乱する。環境種に畏れをなすのは、別に不思議なことでもない。
「違うの。怖かったのは、あの話を聞いたときに、嬉しいって思ってしまった自分よ。普通の人間なら怖がって、恐怖心を持つべきなのに、喜んでしまったの。闘えるのが嬉しいって」
「別に、そんな気持ちを持つ奴も普通にいるだろ」
ちらほらと、顔を思い浮かべる。アイシアもあいつらのことは、知っている。けれど、俺の背中に顔を埋める少女は、そうではないと告げる。
「ううん、違う。彼らみたいに崇高な気持ちなんてない。私は、そう作られたから。そう言う兵器だからって思っちゃって」
俺は腰にまわされた手をほどいた。
「あ、ごめんね、こんな話しちゃって」
勘違いして、的はずれな謝罪をする女の方を向く。
そして、今度は俺がその細い腰に腕をまわした。密着が強まる。
「へ、ちょ」
「あほか」
ともすれば、吐息がかかりそうなほどの距離の額を、中指で弾いた。
アイシアは、呆然としたように俺に弾かれた部分を押さえる。
「お前は、ちゃんと人間だよ、間違いなく」
「で、でも」
「うるせえ、こうゆうときは、本人よりも周りの方がよく分かってるんだよ」
俺じゃなくても、多分こうするだろう。や、別に抱き締めるという訳ではないんだけど。
ギルドマスターなら、鍛冶屋のおっちゃんや、シノアとカイでもだ。
それにだ。兵器が俺に抱き締められて、そんなに胸の鼓動を早めるはずがないだろうが。
「あなたも、ドキドキしてるけど?」
「しゃーねーだろ」
話をそらすな。
そして金瞳の少女は、肩の力を抜くようにふわりと笑った。
「……ごめんね」
「だから、謝るなって」
「違うわよ。こんなしょうもないことで、悩んでたことへの謝罪よ」
「だったら、言葉の選択が違うだろ」
「そうね……ありがと」
どういたしまして。
「そんじゃ、寝るぞ」
「その前に、もうひとついい?」
「何だよ」
「私を守ってね」
一体何から、こいつを守るような事態が発生するのか分からないが、アイシアは真剣な声音だったので、俺は是と答える。
その返事に安心したのか、アイシアはすぐに眠りに落ちていった。はらりと顔に落ちた金の糸を、払ってやりながら、俺はため息をついた。
「ここで、寝んなよ……」
誰かにみられたらどうすんだよ。つーか、隣にカイがいるんだぞ。あと、奥にはシノアが。
だが、そんな気持ちが通じるわけもなく、規則的な寝息が返ってくる。
俺は、ひとつあくびをして、心地よい温もりに身を任せることにした。眠りの帳が完全に落ちる直前に、ガタンという物音がしたけど気のせいだろう。