その四
会館から竜の巣まで、馬車で二日といったところだ。紛れもなく人類圏の最前線だ。
移動には馬車が使われるのだが、普段と違って今回は俺たち調査隊の貸し切りだ。それも、揺れもほとんどない最新モデルのやつだ。まあ、竜卿が出るならこうなるか。拝んどこ。
「あなたなんで私を拝んでるのよ」
「馬車の乗り心地がスッゲエ良いから」
「これは、私がというよりシノアのお陰よ。国が竜卿に武器以外の支援をするわけないじゃない」
「そうなのか」
拝んで損した。俺は、向かい側に座っているシノアに深々と頭を下げておいた。シノアはと言うと、何やら戸惑っているようだ。因みに、カイは御者を務めている。
アイシアが、シノアに声をかける。
「どうかした?」
「いや、その、アイシアさんが馬車に乗り込まれたとたんに、いつも通りになられてビックリして」
「あー、なるほど。そう言えば、これの竜卿モードを見たのは初めてか」
俺が、隣を指差すと、その人差し指をアイシアが握った。かと思えば、今度は擽られる。あまり意味がないのだが、何がしたいのだろうか。
それはともかくとして、シノアはフィールドワークを好むとはいえ基本的に研究者だ。アイシアが、竜卿として仕事するような現場に行ったことはなかったのだ。
「切り替えが凄いだろ?」
「そうですね」
「私があのまま馬車に乗ると大変なことになるからね」
「大変なことですか?」
「うん、ほれ」
隣から、少しビリッときた。殺気を何かしらの攻撃みたいに出したり引っ込めたりするの、特技と言っても良いものなのか?
結果、すぐにその大変なことが起きる。俺たちが乗っている馬車の馬はもちろん、他の馬も興奮したようで大きく嘶いた。
「ケイト!」
御者台のカイから呼び掛けられた。
「どうした?」
「アイシア様にすぐ謝って!君が何かしたんでしょ!」
「残念ながら、違うな。どっちかというとシノアだ」
「え、まじですかお嬢?」
こちらを覗き込む訳にはいかないカイは、大声で叫ぶ。本人にそんなつもりはないのだが、怒鳴られているように聞こえる。
「い、いえ、そんなつもりでは」
「まあ、冗談だよ」
「とにかく、分かって貰えたかしら」
「はい、よく分かりました。ところで、お二人がいちゃつくのには、理由があるのですか?」
「「いちゃついてない」」
何で、毎度そんなことを聞かれるんだ。っておいアイシア、いきなり人差し指を強めに握るな。お前がやると洒落にならん。
◇
予想通り、その日は竜の巣に到着することはなく、半分くらいのところで夜営することになった。いくら馬達が無尽の体力があるとはいえ、休息は必要だ。
「それで」
アイシアは、静かに切り出す。今は馬達を気にしなくて良いのと、他の魔狩りもいるからか、身にまとう雰囲気は竜卿のものだ。
「研究所は何を掴んでいるのかしら?」
「そうですね、詳しくお話ししておきましょうか。ひとまずこれを他の方にも伝えるかは、お二人に一任する形になりますが、よろしいでしょうか」
「ええ」
夜闇にさえまばゆく輝く金瞳に見つめられた紫瞳の女は、一瞬宙をあおぐと真っ直ぐと竜卿を見据える。
「お二人は、今回の調査の経緯をご存じでしょうか?」
「たしか、竜種が食われて死んだからじゃないのか?」
「それは、竜の巣を調査することになった直接の理由です」
「だったら、異常個体の増加ね」
「はい」
ここで、シノアは一度言葉を切った。話すべき内容を頭のなかで纏めているのだろう。
「マモノ化が起きる理由をご存知ですか?」
「マモノ化は、生き残るための足掻きよね?」
「ええ、マモノ化は魔獣達が死の間際でどこかしらの能力を上昇させる現象です」
「それが、今回の調査と関係あるのか?」
シノアの遠回しに思える説明に少し苛立ってしまう。だが、研究者は淡々と話を続けた。
「はい。そして、異常個体についてはどうですか?」
「そう生まれついたから、と思ったのだけれど、この流れで出てくると言うことは違うのよね?」
「確かに、一つはたまたまそう生まれついたからです。そして、もうひとつなのですが」
コップに注がれた水で喉を湿らす。
「種としての危機が迫っていると、異常個体が生まれやすくなります。ならば、これに基づいて今回の一連の異常個体の増加の理由を考えると、必然的に多様な種が生命の危機を覚えているという仮説が導けます」
俺とアイシアは、顔を見合わせた。アイシアが深刻な顔をしているなと思ったが、おそらく相手も同じことを考えている。お互いに思い当たるひとつの現象がある。
「まさか」
「はい。私たち研究所と、ギルドマスターは、今回のこれは大氾濫の予兆であると推測しています」
大氾濫。それは魔獣達が引き起こす災害だ。それは、人の死を運ぶ災厄と言ってもいい。そして、この現象が引き起こされる理由は、
「最悪の場合、環境種を相手取る展開も考えられます」
研究者による説明はそこで終わった。テントの外の虫の音だけが、その場を支配する。
環境種、それはこの世界の理をも支配する魔獣の到達点。それと闘う事態は、俺たち魔狩りにとっても悪夢そのものだ。
頬をつねる。その痛みが、これが現実だと告げていた。