05
翌日になったら内田さんは登校してきてくれた。
ただ、土曜日のことを言うかどうかを悩んでいた結果、あっという間に放課後になってしまった。
「うーん……」
「ねえ」
「ん? どうしたの?」
彼女はかばんからパーカーを取り出して渡してくる。
「ありがと、遅くなったわね」
「どういたしまして。ねえ、今週の土曜日って暇かな?」
「私? そうね、特に予定はないけれど」
変なところで遭遇すると悲しむかもしれない。
でも、これを隠すべきかどうなのか、……本当に難しいことだ。
「もしかして一緒に遊びたいの?」
「ごめん、怒らないでほしいんだけどさ……」
結局吐くことにした。
無駄な気遣いかもしれないけど、知っていたらまだ豊崎さんの相手がしやすいだろうから。
「なんでいちいちそんなこと言うのよ、別にいらないわ」
「だって……特別な意味で好きなんだよね?」
「だからって行動を制限できるわけないじゃない」
そりゃそうだけどさ、一応僕なりに考えて行動しているつもりだ。
それにいい返事はそもそも期待していなかった、怒られなかっただけマシだと考えておこう。
「で、それだけ?」
「うん、水族館って多分ここの近くのところだから――」
「行かないわよ、尾行までするような女じゃないわ。あんたの中の私って相当悪い女のようね」
「あ、いや……だってさ! 好きな人が別の子といたら気になるだろうからって……思ったんだけど」
だけどこれ以上はやめようか。
結局のところ、豊崎さんが椋大と上手くいくように願ってしまったことがある。
なのにいざ内田さんがこうなった場合にスタイルを変えるのは良くない。
自分でそういう状況に追い込んでいるのだから、性格が悪いことこの上ないから。
「はぁ……あんたは自分のことに集中しなさい。もしその気があったらね、あんたに言われるまでもなく自分調べて行動しているわよ」
「だね、余計なこと言ってごめん」
それにまだ豊崎さんが椋大の特別な子になると決まったわけじゃないしね。そもそも今回どのような理由で誘ったのかまでは分かっていない。期間限定の文字に惹かれた可能性もある、欲しいストラップとかそういうの、逃すと当分買えないとかだったら誰だって行きたくなるものだ。
「安藤、昨日お世話になったし土曜日どこか行く?」
「え、ふたりきりで?」
「うん、どうせ暇だし。家にいてもママ――お母さんに文句を言われるだけだから」
「ママって呼んでるんだ」
僕が母さんのことをママとか言ったら1ヶ月ぐらいからかわれそう。
間違いなくそれが父さんにも伝播し、あの家では途端にいづらくなる、絶対に。
「……いいでしょ別に、集合場所は私の家の前ね」
「どこに行くの?」
「うーん……分からないわ」
「じゃあやめておいた方がいいのでは……? それに、気になって駄目でしょ」
ふと我に返った時に、どうして横にいるのが安藤なんだろうって思われても嫌だ。
おまけに色々と聞くのが単純に嫌だから、どうしたって断る方向でしか考えられない。
「気になるって美希のこととかが? あのねえ、どんだけ気になると思っているのよ。私はね、確かに椋大のことが好きだけど、だからこそ縛ったりはしないわ」
「そっか。でも、お礼とかしてほしくてやったわけじゃないから。だから土曜日はそれぞれ自由に過ごそうよ」
「分かった」
「うん」
彼女と別れて引き続き歩いていく。
が、
「あ、みりん買ってきて」
母は無情にもお使いを頼んできた。
わざわざ迎えに来てくれていると言うより、なにかを頼むために来ていると言う方が正しい。
「またこのパターンか……」
「今日こそすき焼きだから」
「よしっ、いまから行ってくるよ!」
より美味しいものが食べられるのなら寒い中走ることだって全然問題ない。
恐らくこの日、僕の足の速さは椋大よりも速かった。
「湊、予定変更だ」
「え……」
土曜日。
早朝に起床しトイレに、というところで椋大が突っ込んできた。
「今日は4人で行くぞ」
「4人っていつもの?」
「そうだ」
そしたらまず間違いなく内田さんは喜ぶと思う。
でもなあ、それなら3人で行ってくれればいい気が。
それにさ、こっちは大事なところが出てるんだからさ、出てほしいかなって。
「とりあえず、トイレから出てくれる?」
「気にすんなよ今更」
「いや、出ないから」
「分かった、リビングで待っているからな」
こんな早朝にどうやって入ったんだろう。
実は合鍵を持っていて、待ちきれずに突入してきたとか?
母さんといけない関係――なんてことはないか。
「ふぅ……」
「出たか?」
「うん。でさ、それって僕も行かなきゃ駄目なの? お金ないんだけど」
「別に美希とあかねとだけでもいいんだけどな」
「じゃあ3人で行けば?」
「それがな……美希がやっぱりお前を連れて行くって言うんだよ。もしお前が来なかったらそもそも今日行くのやめるとすら言ってきた」
なにそれ、内田さんのためにも断れないじゃんか。
そういう選択肢がないルートだけは避けたかったんだが……。
――でも、了承するしかなかった。
で、実際に入場してからのこと。
「入場料高い……」
「文句言うな、この2倍くらいかかるところだってあるんだぞ」
そう言われてもね……本当は来なくて良かったのに強制的に来ることになってこの値段はね……。
「あー、アジだー」
焼いたら大変美味しそう。
この季節に来ると全部食べ物にしか見えなくなる。
「安藤くんはアジが好きなの?」
「え? ああ、美味しそうだからだよ」
「えぇ……ここは物色する場所じゃないんですけどー」
お客さんはそれなりにいるから「帰ったら鯖食べよう」とか考える人もいそうだけど。
さて、僕を呼んだ理由を探ってみよう。
まず、誘ったからと言って当然僕の側にずっといるわけではないようだ。
どちらかと言うと内田さんと仲良さそうにしている。
椋大はそんなふたりと適度に距離な距離を保ちながら一緒に見ていた。
「このお金でお魚を買った方が良かったのでは」
「なにひとりでぶつぶつ言ってるのよ」
「だってさ、高くない?」
「そう? 特に問題はないわよ」
おでんの具を少し買っただけで金欠になるレベルの人間にとっては大変厳しい。
「それより良かったね、椋大と来られて」
「まあね」
その椋大は休憩中、豊崎さんは見えるところでじっと水槽内を見つめている。
手を掴むのは申し訳ないから腕を掴んで内田さんを連れて行くことにした。
「椋大、ちょっと内田さんのことよろしく」
「トイレか?」
「そんなところかな」
特に用事とかないんですけどね。
だから適当にひとりで眺めていくことにした。
「お、チンアナゴだね」
「あれ、いつの間に来てたの?」
「誰かさんがひとりで行くところが見えたもので」
遠慮しているように見えたから椋大とふたりきりにしてあげたかっただけ。
口で言うと絶対に余計なことをするなと怒られてしまうからああするしかなかった。
女の子って体温が高い、あと柔らかい、水槽内のお魚さんは美味しそう、これが今日の感想だ。
「安藤くんってチンアナゴに似てるね」
「え?」
「だってほら、いつもは来てくれるけど大事なところでは来なくなっちゃうところがさ。チンアナゴって潜ったり顔を出したりしているから安藤くんみたいだなって」
「僕はチンアナゴみたいに可愛くはないよ」
「だね!」
お、おう……可愛くないから傷つきもしないけど、そこでそんな可愛い笑顔を浮かべる意味あります?
「椋大といなくていいの?」
「またまたー、あかねちゃんといさせようとしているくせに」
「まあ、そうなんだけどね」
豊崎さんと違い、内田さんの本音を聞いてしまっているからどうしても動いてあげたくなる。
もちろん余計なお世話である可能性は高いだろうし、完全に自己満足だから本人は嫌かもしれない。
でもまあ、やめろと言われるまではやめるつもりはない。
そういうことはハッキリ言うタイプだから心配する必要もないだろう。
「椋大くんにはあかねちゃんの方が似合うと考えているのかな?」
「いや、変に遠慮しているのが気になっただけだよ。君が好きなら――」
「君じゃないけど」
「豊崎さんが好きならさ」
「前も同じようなこと言ってたよね、なんで?」
なんでってそりゃ……距離感が近いからだ。
いまでこそ4人で来ているが、元々はふたりきりで行こうと約束をしていた。
特になんとも思わない異性に対して、高いお金を払ってまで出かけようとはしないはず。
全部「~なはず」という考え方しかできないのがなんとも引っかかるところだけども。
「どうなの? この際だから教えてくれないかな」
「仮にもし私が椋大くんのことを好きだと言ったらさ、その時は私だけを応援してくれるの?」
「……僕はふたりの味方をするかな」
「えー、優柔不断じゃんか。じゃあ私は言わなーい」
これ、僕は誘われていなかったのでは。
直前になって椋大が呼んだだけという可能性がある。
この子、こちらのことなんて微塵も信用していないと思う。
だって肝心なことは教えてもらえたためしがないから。
「随分長いトイレだなおい」
「あ、椋大。そうなんだよ、この水槽分ぐらい出ちゃってさ」
実際は行ってすらないんだけど。
あの場ならああするしかなかった。
「ははは、そりゃ大変だったな。そうだ、あかねが呼んでるぞ」
「分かった」
これは絶対に怒られる流れだから覚悟して向かったら、
「余計なことするんじゃないわよ」
案の定、チクリと言葉で刺されてしまった。
そして本人からこう言われたことにより、これい以上露骨に行動するのはできなくなったことになる。
「あとね、気安く触らないで」
「それはごめん」
「それはって……あんたいいことをしたとでも思ってるの?」
「いや、それは思ってないよ。もしかして……喧嘩しちゃった?」
「いや……まあ楽しく話せたけど」
「ははは、なら良かった」
彼女はすんごく丸くなってしまった。
椋大と幼馴染で友達である僕を嫌うよりも、最低限の関係でいる方がいいと学んだんだろう。
一応椋大は僕のところに来てくれるから心証が悪くなることを恐れたのかもしれない。
「安藤、私は――」
「ごはんを食べに行こう!」
あ、遮られてしまった。
こういう形で大事なところを聞けないと気になるからやめてほしいんだけど。
あと、お金がないから食べになんかとてもじゃないがいけない。
「ごめん、僕もうお金がないんだよ」
「奇遇ね、私もこれ以上は使えないわ」
「えぇ……普通多めに持ってくるでしょうがー」
「「入場料が痛い」」
あとね、つま先を内田さんに踏まれてて痛い。
精神的にと物理的にを同時に味わえる場所、めちゃくちゃいいね。
薄暗いところだから誰にも気づかれてない――って、僕は当然気づいているけど。
「なら別れるか」
「それは駄目だよ、私が許可しない」
「じゃあどうすんだよ、さすがに奢れるほど持ってきてないぞ」
「分かった、なら私の家に行こうよ。そうしたらごはんぐらい作ってあげるから」
そこまでして一緒にいる理由はない気がしたが、内田さんが了承したから付いていくことになった。
――そうして僕らに振る舞ってくれたのは、
「昼からとんかつとか凄えな」
そう、いま椋大が言ったようにとんかつさん。
「え、全然簡単だよ?」と答える彼女に対して、彼は「や、色々と面倒くさそうなイメージがあるからなー」と返す。なんとなく分かる、多分昼間から作る人はあんまりいないと思う。
「サクサクしていて、いい食感ね」
「でしょ? 私はこの家で誰よりもとんかつを揚げるのが上手いんですよ」
ああ……想像していた通り、エプロン姿がとてもいい。
あ、でも家を教えてしまったことになるが良かったのだろうか。
「安藤くんはどう?」
「美味しいよ、ありがとう」
「えへへっ、どういたしまして!」
ふたりきりだったらここで恋に落ちて終了だろうな。椋大や内田さんがいてくれて大変助かった、まだまだ元気に過ごしていたいから失敗するわけにはいかないからね。
「湊、食べ終わったらちょっといいか」
「うん、分かった」
それでも味わわせてもらって、食べ終わったらもちろん食器を運ばせてもらう。
さすがにこういうところまで全部やらせてしまったら申し訳ない、人として常識なことだから理解してほしかった。
「それで?」
「なあ……ああいうことはやめてくれないか」
「それって……内田さんを近づけたこと?」
予想していなかったわけじゃないが、こちらから指摘がくるのが先だったか。
「そうだ。いや、嫌いじゃないんだ、それにお前があかねのことを考えて行動しているのは分かってる。でもな……あれは違うだろ? あれではあかねの意思で来てくれてるわけじゃない」
「ごめん……」
「いや、分かってくれればいいんだ。それにお前が優しいのは昔からそうだしな」
そのせいで優柔不断と言われたけども。
でもやっぱりそうか、結局のところ自己満足でしかなかったわけだ。
去られないよう対応に気をつけよう、求められない限りは動くのはやめよう。
「湊、あのふたりのことを名前で呼んでみたらどうだ?」
「それはちょっと……求められてないからね」
「ま、いつかはしてみたらどうだと言いたいだけだ」
「うん、まあいつかはね」
そのいつかはいつなんだろうなあ。
このままだと先に卒業を迎えてしまいそうだった。