お昼寝令嬢、苦手意識を持つ。
「──はぁ、また皆の前でお手本にならなきゃいけないなんて面倒だわ」
ユティアの隣で、リーシャが盛大に溜息を吐く。彼女の手にはユティアと同様に、ダンス用の靴が入った鞄が抱えられている。
これから他のクラスとのダンスの合同授業だ。参加する学生の中には平民出身の者もいるため、パーティーのような堅苦しさはないが、「お手本」を任されているリーシャは気鬱そうだった。
「でも、今日もスヴェン様と踊るんでしょう?」
前回の合同授業の際も、先生から皆のお手本として選ばれたリーシャは婚約者のスヴェンと楽しそうにダンスを踊っていた。
「確かにスヴェンと踊れるのは嬉しいけど……。他の学生の前だと、気が抜けないから余計に疲れちゃうのよねぇ」
「大変だね、淑女の鑑は」
「人が勝手にそう言っているだけよ」
肩を竦めながら苦笑しているリーシャだが、他人に認められる程に見えない努力をしている彼女をユティアは好ましいと思っている。
「でも、残念だったわね」
「え?」
「もし、第二王子殿下が同じ学年だったら、ユティアもあの方と一緒に踊れたでしょうに」
「……」
リーシャの言葉に、ユティアは瞳をぱちぱちと瞬かせる。
確かに、ルークヴァルトが同じ学年だったならば──授業とは言え、楽しい時間を共に過ごせただろう。
ダンスだけでなく、魔法の実習なども一緒に受けられたかもしれない。そう考えると、少し「惜しい」と思ってしまう自分がいた。
「うん、そうだね。……ちょっとだけ、残念かも」
ユティアは素直に返事をする。
すると、リーシャの方が何故か驚いた表情をしていた。
「……リーシャ?」
「……はっ! ユティアの反応が想像以上に可愛かったから、つい意識を飛ばしてしまっていたわ……!」
リーシャのこういうところは、相変わらずである。
やがてリーシャは、にまにまと面白いものを見ているような笑みを浮かべ始めた。
「え、なに、その顔……」
「ふふふっ。ユティアの成長を間近で見ることが出来て、嬉しいなと思って」
「成長……?」
どういう意味だろうかとユティアはこてんと首を傾げる。
「自覚無しなところも可愛いわ……。まぁ、ちょっとだけ殿下が不憫だけれど……」
「不憫?」
一体、何の話をしているのだろうか。
意味を訊ねようとした時だった。
「──そういうところが調子に乗っていると言っているのよ!」
ちょうど更衣室の扉に触れていた手がびくりと動いてしまう。どうやら、更衣室の中には利用者がいるようだ。
ユティアとリーシャは顔を見合わせ、困ったように眉を下げる。
恐らくユティア達のクラスの前に、別のクラスのダンスの授業が行われていたので、それを終えた者達がまだ更衣室に残っているのだろう。
更衣室で着替えると言っても、ダンスで使用する靴に履きかえたり、制服の上着を保管しておくだけなのでそれ程、時間がかかることではないはずだ。
用が済んだならば、早く出ていって欲しいのだが。
「──で、でもっ。ダンスのペアとして、誘ってくれたのはアークネスト様の方からですよ?」
その声に聞き覚えがあったユティアは内心、「出た……」と思ってしまった。出来れば会いたくはない人間第二位の「ミア」だ。
どうやらリーシャも更衣室の中から聞こえてくる声の主が誰なのか分かったようで、淑女とは言い難い表情を浮かべている。
彼女もミアという少女とは関わりたくないと思っているようで、こんな場所でなければ全力で同意したいところだ。
「だからと言って、二回も連続でダンスを踊るなんて、非常識だとは思わないの!?」
「練習とは言え、婚約者でなければ許されないことよ! しかも必要以上に密着して……。あなたに恥というものはないのかしら!?」
更衣室の中には、ミアだけでなく他の令嬢も数人いるようだ。
聞き耳を立てるなんて、令嬢らしくはない行為だが、扉越しでも余裕で聞こえる声量であるため、耳に入った以上は仕方がない。
「そんなっ……。アークネスト様は、ダンスが踊れない私を気遣って、丁寧に教えてくれただけです!」
令嬢を相手に反論するミアも中々、肝が据わっている。
それにしても、一人を相手に多数で口撃するのは貴族の令嬢としていかがなものだろうか。
しかし、更衣室の中に入る機会を完全に見失ってしまったな、とユティアはリーシャと共に内心、唸った。
「──そもそも第三王子殿下には素晴らしい婚約者がいるというのに、あの方を差し置いてダンスを踊るなんて……!」
ああ、そういえば、とユティアは思い出す。
第三王子殿下の婚約者、クラシス・フォルティーニとユティア達は別のクラスだ。そして、アークネストとも。
だが、ダンスの合同授業では別クラス同士であるクラシスとアークネストは顔を合わせてしまうことになったのかもしれない。
もし、合同授業が婚約者と被るならば、まずは婚約者同士でダンスを踊るのが一般的だと言えるだろう。
婚約者がその場にいない場合のみ、そうではない者同士が踊ることとなっても、一度きりが常識的だと言える。
けれど、話をこっそり聞く限り、そうはならなかったのだ。
「だって、アークネスト様がこれは授業なのだから、気にしなくていいと……」
ミアは本気でそう思っているのだろう。
この学園には平民も通っているが、それでも貴族と接する際のマナーというものはある程度は学べるようになっている。
それは平民の学生の中には王宮に勤めることを希望する者が多いからだ。そのために貴族とのやりとりに注意しなければならないと、積極的に学ぶ者もいる。
王宮勤めに限らず、貴族に仕える職を得ようとしている者や貴族を相手に商売をする予定の者もいるだろう。
未来のために励む学生達が、貴族社会について学べるように平民向けの特別講座も行われているのだ。
故に平民出身の学生が少し失敗したとしても、貴族出身の学生が身分を振りかざして強く責めることは非難されるべき行いとされている。
学園の方針からして、平民出身の学生が小さな間違いをしてしまっても、穏やかに諭すように教える者がほとんどだろう。
それでも、人と対話するための努力をせず、向けられた親切心を一切受け取ることなく、跳ねのける者もいるようだが。
「……彼女、本当に教会で貴族社会のマナーを一切、学んでこなかったようね」
「そうだね」
呆れたように呟くリーシャの隣で、ユティアは肩を竦める。
きっと、ミアにも親切心から貴族とのやりとりについて教えてくれた者もいたのだと思う。
だが、彼女はそれを受け入れなかったのだ。
彼女が今後も「天地の神子」としてやっていくつもりならば、貴族と関わることは増えていくだろう。
立場としては、そこらにいる貴族よりもミアの方が上かもしれないが、疎かにしていいことではない。
相手が誰であれ、人が人と言葉や感情を交わす時、そこには少なからず礼儀というものが生じるからだ。
「それに、アークネスト様も婚約者の人と踊りたくないって言ってましたし、いいじゃないですか」
「なっ……」
「そ、そうだとしても、相手に婚約者がいるならば、形だけでも遠慮するのがマナーではなくって!?」
反論するように叫ぶ令嬢に、ユティア達は思わず同意するように頷いた。
「もぅっ。貴族の人って、本当に大変ですね。マナー、マナー、そればっかり。そんなのをずっと気にしていたら、窮屈な気持ちになりませんか? せっかく、楽しいことをしても気分が台無しになっちゃいますよ?」
ミアの言葉に、ユティアは思わず自分の額をぺしっと叩きたくなった。
これは何というか、根本的にミアとは感性が合わないのだと思う。
先程の話、貴族としてのマナーだけで済むことではない。もはや、人としてどうなのかと問われる感性について関わることだ。
たとえ平民だったとしても、置き換えられる話だろう。結婚しようと約束している相手や付き合っている相手が、自分を放置して別の人と親密にしている──。
そんな状況を目撃すれば、身分に関係なく、誰であろうと不快に思うし、お互いに築いた信頼は崩れ去るだろう。
けれど、ミアにとってはそんなことはどうでもいいのだ。
自分が良ければ、楽しければ、それでいい。そういう人間なのだろう、彼女は。
「っ、あなた! いいかげんにっ──」
どうやら、ミアの言葉が踏んではいけない一線を越えたことで、一人の令嬢の怒りがとうとう爆発してしまったらしい。
……まずい。
感情のままに令嬢がミアに暴力を振るう可能性があると判断したユティアは、思い切って更衣室の扉を開け放った。
「──あ。まだ、中に人がいたのですね。確かめもせずに入ってしまい、申し訳ありません」
出来るだけ申し訳なさそうな表情を装いつつ、ユティアは謝罪の言葉を述べる。
状況としては、声を荒げた令嬢が今まさにミアへと手を上げようとしていたところだ。何とか間に合ったようでユティアは内心、安堵した。
ミアと対峙するように立っているのは同じ学年だが、別のクラスの令嬢二人だ。
「そろそろ私達のクラスの授業が始まってしまうから、更衣室を空けてもらってもいいかしら?」
ユティアの後ろからひょっこりと顔を出したリーシャは、令嬢達に向けて穏やかに微笑む。
あくまでも自分達はここに来たばかりで、更衣室の中での会話を一切知らないとばかりに、リーシャと共に装った。
令嬢達ははっと我に返ったような表情を浮かべつつ、ミアから距離を取る。
「あ……。えっ、ああ、そう、ね……。もう、そんな時間だったのね」
「つい、長く話し込んでしまっていたようね。……失礼するわ」
ユティア達の視線から逃げるように、荷物を抱えた令嬢達はそそくさと更衣室から出て行った。
その後ろ姿をミアは不思議なものを見るように眺めている。
「何だったんでしょう、あの人達……」
「……」
ぼそりと呟くミアを無視し、ユティア達は彼女の隣を通り過ぎる。
きっと、ここで先程の令嬢達が何故怒っていたのかをミアに説明しても、彼女は理解するどころか、理解しようとする努力さえしないのだろう。
……多分だけれど、この人は他者への共感性が低いのかも。
ユティアも共感性が高い方ではないが、ミアほどまでではないな、と改めて思った。
共感性が低いからこそ相手の立場に立って考えられないし、自分の視点からしか物事を判断出来ないのかもしれない。
「……」
ユティアが無言のままでいると、リーシャが困ったような顔で小さく溜息を吐いた。
「ほら、そこのあなたも。次の授業が始まるわよ。よほどの事情がない限り、この学園では遅刻は許されないのだから」
リーシャがミアを急かせば、彼女はちょっとだけむっとした表情を浮かべ、それから更衣室からやっと出ていった。
扉が閉じられてから、ユティアは深く息を吐く。
するとリーシャが苦笑しながら、軽く肩を叩いてきた。
「珍しいわね。ユティアが人に対して苦手意識を持つなんて」
「……分かるの?」
「分かるわよ。何年、一緒にいると思っているの。ちなみにどういうところが苦手なのか聞いてもいいのかしら?」
「うーん……。何というか、本能的なものなの」
「本能的?」
「人に限らず、自分にとって未知なものや強大なものって自然と恐れることがあるけれど、それと似ているかな」
ユティアにとって、ミアという少女の存在はよく分からないものだ。
ただ単に彼女の魔力が多いことだけが理由ではない。だからこそ、ミアを見かけると離れたくなってしまうのだろう。
「……まぁ、こんなところでクラスが違う彼女と鉢合わせすることになるとは思っていなかったけれど」
「そうねぇ」
「それにしても……ちょっとだけ心配かな」
ユティアは何気なく、ミアが去っていった扉へと視線を向ける。リーシャは何が心配なんだと言いたげな表情でミアを見てきた。
「……あのミアという人が第三王子殿下と共に、色んな人から不興を買っていることだけは確かだからね。そのうち、手がつけられないくらいに暴走して、止められなくなってしまうかも」
先日の疲れ切っているルークヴァルトの顔を思い出し、何となく靄のようなものが胸あたりに生まれてくる。
下手に身分がある人間が暴走すれば、その迷惑を被るのは諫めている周囲の人間だ。
どうにか例の二人を大人しくさせる方法があればいいのだが。
ユティアは零せない言葉を飲み込みつつ、ダンスの授業のための準備を始めた。




