お昼寝令嬢、実力試験を受ける。
ユティアの揺るがない視線を受けたジークアルドは深く頷いた。
「分かった。では、今、ここでルークヴァルト・アルジャン・フォルクレスとユティア・サフランスの婚約を認めよう」
宣言するように発した声はその場に、響きわたる。
ひゅっ、と息をのんだのはユティアの父だろう。母がしっかりしろと言わんばかりに父へと向けた視線を細めた。
婚約証明書に署名をする婚約式は後日にするとのことだ。
今日はあくまでも顔合わせなのだろう。
婚約式は王太子達の時と比べて、縮小した規模のものを行う予定とのことだが異論はもちろんない。
むしろ、抑え気味の方がユティアの父の心情的に助かるだろう。
「正式に第二王子の婚約者となってから王子妃教育が始まる。ほとんどの教育は専門の者に任せるが、内容によっては王妃と王太子妃に任せることもあるので承知しておくように」
「心配しなくても、丁寧に教えるから安心してちょうだいね」
国王に続くように、王妃が微笑みながらユティアへと声をかけた。
ユティアは「ご指導のほど宜しくお願い致します」と言って頭を深く下げる。
「さて。この後、サフランス嬢には試験を受けてもらう」
試験、という言葉にユティアはぱちぱちと目を瞬かせる。両親も聞いていなかったようで、ユティアと同じ反応をしていた。
「本格的に王子妃としての教育が始まる前に、あなたがどれほどの実力を持っているのか確認しておきたいの」
ジークアルドの言葉に付け足すようにイルンが続ける。その声色は穏やかで優しいものだ。
「堅苦しい試験じゃなくて、あくまでも現状の能力を測るためのものよ。試験で得た情報をもとに、あなたに施す教育内容を調節していくの」
なるほど、とユティアは頷き返した。
試験内容は語学、歴史、算術などの学問だ。しかし、それだけでなくダンスや魔法の実技試験もあるらしい。
先日、ユティアが魔法管理局にて、自作した魔法を登録したことももちろん知っているそうで、魔法の実力も確かめたいらしい。
今日はさすがにドレス姿なので激しい運動は出来ない。
後日、ダンスと魔法の実技試験が行われるとのことなので、動きやすい服装などの準備もしておいた方がいいだろう。
「それではサフランス嬢には別室にて、試験を受けてもらいたい。その間、サフランス伯爵夫妻には待機してもらうことになるがよろしいか」
「は、はいっ……!」
父、がちがちである。
恐らく、内心では「同じ王城で時間を過ごすなら、大図書館に行って、本を読んで過ごした~い!」と思っているのだろう。もちろん、口には出さないが。
「もしよろしければ、一緒にお茶しませんこと? とても美味しいお菓子を用意しておりますの」
「まぁ、ぜひ」
一方で母の方はすっかり、この場の空気に慣れたのか王妃と和やかに会話をしている。
「ルークヴァルト。サフランス嬢を、試験を受ける部屋へ案内しなさい」
「分かりました。……サフランス嬢。それでは行こうか」
公式の場ではないとはいえ、今は二人きりではない。それゆえにルークヴァルトはユティアを家名で呼んだ。
「はい。宜しくお願い致します。……それでは失礼致します」
国王夫妻に深く礼をしてから、ユティアは自分へと差し出されたルークヴァルトの手に、己の手をそっと重ねた。
エスコートされるのはこれで何度目だろうか。後ろから両親達の視線を受けつつも、ユティアはルークヴァルトと共に応接間から出た。
応接間の外で待機していたのか、そこには一人の侍女がいた。
彼女は確か先日、魔法管理局に行く際にルークヴァルトの護衛として付き添っていた侍女のミルトだ。
ミルトはユティアに向けて深く頭を下げ、二メートル程の距離を保ちつつ、後ろからついてくる。
どうやら彼女は付き添ってくれるらしい。
「すまない、ユティア嬢」
「え?」
いつものように名前で呼ばれたが、ルークヴァルトは少しだけ気まずそうな顔をしていた。
「試験があることは事前に知らせてはならなかったから、驚いただろう」
「……確かに事前に試験があると聞いたら、前もって勉強する可能性がありますからね。真の実力を測るためには抜き打ちによる試験も頷けます」
ユティアがそう答えれば、ルークヴァルトも安堵したのか、目を少しだけ細めた。
……それにしても王城の中って、思っていたよりも広いのね……。
ユティアは不躾にならない程度に、周囲に視線を向ける。
長い廊下には絵画が飾られ、鮮やかで瑞々しい花が花瓶に活けられている。
……あの絵は確か、七十年程前の画家のもの……。あっちの花瓶は南でしか採取できない土を材料にしている割れにくい陶器だったはず……。
路上で似顔絵を描くところから始まった画家は挫折と成功を繰り返し、紆余曲折のすえに国王にその腕前を認められ、渾身の絵を献上したと聞いている。
その絵は代々、国王夫妻の寝室に飾られていると聞いているので今、目の前を通った絵はその画家が別の機会に描いたものを買い取ったのだろう。
そんな風に周囲を観察しながらしばらく廊下を歩いていると、目的の部屋へと辿り着いた。
「試験にはミルトを同席させるが、それでもいいか?」
「はい」
やはり、王子であるルークヴァルトはこの試験に同席出来ないようだ。
添えていた手を離し、部屋に入る前にユティアはルークヴァルトの方へ振り返る。
「エスコートしていただき、ありがとうございました。……──ルークヴァルト殿下」
いつものような呼び方でなく、「王子」である彼に向けて、ユティアは名前を呼んだ。
背筋を伸ばし、自身の右手を胸に添えながら宣言するように言葉を続ける。
「今の私はあなた様の隣に立つ者として、未熟でしょう。ですが、必ずやルークヴァルト殿下に相応しい婚約者になってみせます」
生まれて初めて、誰かのために「努力」をしようと思った。
自分が望む目的のために尽力することは当たり前だったが、それはどちらかと言えば「労力」と呼べるものだった。
けれど今、ユティアは自分以外の人間のために「頑張ろう」と強く思えた。
面倒なことは嫌いだった。やるならば、効率を重視して片付けていた。
それらは全て、「趣味」のためだ。
そんな自分が少しだけ変わったことに驚いたが、嫌ではなかった。
「ユティア嬢……」
「それでは行ってまいります」
ユティアは礼をしてから、試験をするための部屋へと入った。
「……殿下。噛みしめていますね」
試験に同席する者として、ユティアの後を追おうとしたミルトは一度立ち止まり、ルークヴァルトに言葉をかける。
「……気付いているなら、わざわざ言葉にしないでくれ」
「ですが、以前よりもサフランス様の関心が殿下に向いているのでは?」
「……」
ルークヴァルトは何も答えない。そうならいいのにな、とはとてもではないが言えなかった。
「私も試験に同席いたしますので、失礼します」
ミルトはルークヴァルトに礼をしてから、部屋へと入った。その場に残ったルークヴァルトは息を短く吐き出す。
そして、ユティアが入っていった部屋の扉に向けていた視線を細めた。
・・・・・・・・・・
ユティア・サフランスがルークヴァルト第二王子殿下の婚約者として内定しているのは、王城では一部の者しか知らない。
その一部の者である、ユティアの試験の試験官達は丸い机を囲むように立ち、唸っていた。
視線の先にあるのはユティアが受けた試験の結果だ。
語学を担当した試験官、ディーク・フロンシアは遠い目をしていた。今回の試験では外国語の読み書きとどれ程の会話が出来るのか、といった内容のものを行った。
貴族令嬢で、伯爵家の出身ならば二、三ヶ国語を使うことが出来れば上出来だと思っていた。
「サフランス家では一体、どんな教育をしていたんですか……。五ヶ国語も習得しているなんて、聞いてないですよ……。日常会話だけじゃなく、その国独自の言葉も理解しているなんて……」
これでは後々、語学の教師としての自分の出番がないではないかと頭を抱えるディークの肩を慰めるように叩いたのは、算術の試験官だったロッキニア・テソートだ。
「算術も似たようなものさ。……新しく生み出されたばかりの公式を使って解答してあったんだぞ? しかも私が生み出した渾身の引っかけ問題さえ、難なく解いていた……」
ロッキニアはユティアが一度も万年筆を止めることなく、すらすらと算術の問題を解いていた姿を思い出し、深く息を吐いた。
「歴史学に関しても、国内外に問わずとても豊富な知識をお持ちでしたわ。恐らく、お父様であられるムルク・サフランス殿の影響かと。あの方も……歴史の造詣が深い方でしたから……」
頬に手を当てつつ、小さく苦笑しているのは歴史学の試験官であり担当教師のフィオレ・ルーノだ。
学生だった頃、ムルクと同様に図書館通いをしていたのでユティアの父がどのような人間なのか知っていた。
「ダンスの方も問題なく合格です。特に癖などもついていないので、矯正する必要もありませんでした。今後は復習するだけで良いかと。……まさか男性パートも踊れる上に、セリーン・グラルア夫人にダンスを教わっていたのは意外でしたが」
背筋をぴんと伸ばしたまま、抑揚なく告げるのはダンスの試験官だったカルチェ・ランバードだ。
グラルア夫人に同じくダンスを教わったこともあるので、ユティアの技量をすぐに測ることが出来た。
「ここまでユティア・サフランス嬢が優秀な方だったなんて……」
「彼女に施す王子妃教育の内容を見直さないといけませんな」
「それで、アイドック氏は先程から何にずっと落ち込んでいるんです?」
わざとらしく溜息を吐きながら、カルチェが指摘する。
項垂れているのは魔法の試験官を務めたアイドック・フォスターだ。
国に属しているものの、騎士団や魔法管理局とは別の組織である「魔法師団」に勤める第一師団の団長でもある。
「俺は……恐ろしいものを見ました……」
微かに震えながらぼそりと呟くアイドックだが、魔獣討伐の戦績はかなり優秀で次の副団長かと言われている程だ。
そんな彼の瞳には揺れるものがあった。
「辺境の戦神……。あれは……彼女は、間違いなく辺境の戦神です……。再来したんです……」
ぶるぶると言葉を紡ぐアイドックに、その場にいた他の試験官達は小さく首を傾げる。
「辺境の戦神……。……ああ、ザクセン辺境伯のことですか」
「懐かしいですな。我々の世代の魔法師ならば、誰もが彼女に憧れて、弟子入りを望んでいましたね」
「お会いしたことはありませんが、六十を超えた今でも魔法の腕は衰えていないとか」
「ええ、ええ。ユランネル・ザクセン辺境伯……。とてつもなく魔法の発動が早く、凄まじい威力で魔獣を討伐する腕をお持ちなんですよ」
「その! ザクセン辺境伯の! 孫だったんです、彼女は! ……ごほんっ。……本人に話を聞いたところ、幼少期に魔力制御を会得するため、ザクセン辺境伯に弟子入りして学んだらしく、もう教えることがないくらいに魔力制御は完璧でしたよ!」
「それならいいではありませんか」
「それだけではないんです!」
ディークの言葉に噛み付くようにアイドックは答える。
「魔法の的撃ちを試させた際に彼女、何と言ったと思います!? 『この試験で重要視されるのは魔法の発動速度、攻撃速度、威力、精度のどれですか』ですよ!? 俺は! 試しに得意な魔法を撃ってみてくれって言っただけ! それは魔法師団に入団する際の試験内容!」
「お、おう、そうか……」
ロッキニアは引き気味に相槌を打つも、アイドックの言葉は止まらない。
「しかもユティア嬢が撃った魔法がこれまた恐ろしかったんです! 何なの!? 一般の貴族令嬢って皆、こんなのこと出来るの? 普通は出来ないですよねぇっ!? だって、俺の妹の得意な魔法はせいぜい風を起こして涼むくらいでしたよ! 魔法の発動速度、攻撃速度、威力、精度を全て練り上げた状態で風魔法の連撃を的に当てるってどういうことなんですかぁっ!? 木製の的、木っ端微塵になって食堂の厨房の薪にしか使えなくなったよ!」
「わぁ……」
「それはまた……」
つまり、ユティアの魔法の腕前が想像以上だったため、魔法師としての矜持をずたずたにされたということだろうか、と試験官達は苦笑いした。
「……まぁ、なんだ。うん、頑張れ」
「応援の仕方が雑!」
「いやぁ、サフランス家の者は一つのことに特出している血筋だと聞いていましたが……。彼女は恐らくサフランス家の最高傑作と呼べる令嬢でしょうな。家族や本人に自覚はないとしても」
サフランス家は底が見えない一族だ。
自分が好きなことのために人生を費やすが、他者にあまり興味を持たないし、何より──自分と他者を比べることなどしない。
それを知っているのは一部の貴族だけだ。そして、サフランス家の者を敵に回すとかなり厄介だということも知っている。
サフランス家は他者からの悪意や媚びなどを受け付けない。サフランス家と付き合いたいならば、信頼できる対等な友人関係を築かなければならなかった。
「くぅ……! 惜しい……! あの才能、もっと活かしたい! せめて、ルークヴァルト殿下の婚約者でなかったならば、魔法師団への入団を誘えたのに!」
「あ、悔しい感情ってそっちなのね」
「あれほどの逸材、中々見ませんよ! 俺は彼女の才能を見た時、身体が震えました……。そして、今も震えている……」
魔法の試験のことを思い出しているのか、少しだけ恍惚とした表情を浮かべたアイドックをカルチェが引いた顔で見ている。
「とにかく、魔法の試験も合格だったんだろう。……さて、この試験結果を国王陛下達にどのように伝えたらいいか……」
試験官達は唸りながら悩んだ。
こんなに悩んだのは、第三王子であるアークネスト殿下の王子教育が進んでいないことを国王陛下に相談した時だ。
結局は公爵家に婿入りが決まったので、教育内容は変わってしまったが。
とりあえず、今後始める予定の王子妃教育の内容を相談しないと、と誰もが思った。




