お昼寝令嬢、眩しく見える。
広間に続く廊下には、今夜のパートナーを待っている学生達が立っていた。
彼らはパーティー会場に向かって歩いてくるユティア達──ではなく、第二王子殿下であるルークヴァルトの姿を見つけると、かなり驚いた表情を浮かべていた。
そんな学生達の視線を無視するように、ユティア達は広間へと続く大きな扉へと向かった。
扉の前に立っている二人の壮年の男性は、学園側が今回のパーティーのために臨時で雇った者だろう。
彼らは会場へと入場しようとするユティア達のために、見上げる程に大きな扉を二人がかりで開けていく。
開け放たれる扉の隙間から漏れ出す光は、次第にユティア達を包み込んでいった。
……眩しい……。
広間の天井から吊るされているのは大きなシャンデリアだ。
しかも、ただのシャンデリアではなく、魔具として作られたものなので、魔法で点灯と消灯が出来る仕組みになっているのだと察した。
魔具は本来、ユティアにとって専門外だが、他家に嫁入りした実姉のスフィアが大の魔具好きなので、彼女の影響で自身も自然と詳しくなっていた。
「……それじゃあ、行こうか」
「はい、お願い致します」
隣でユティアをエスコートしてくれるルークヴァルトがこちらを見て、柔らかく微笑んだ。
シャンデリアの灯りのおかげで彼の表情が更に輝いて見えたが気のせいだろうか。
先に入場するのは、ユティアとルークヴァルトだ。
これはユティアの案で、クラシスをあまり目立たせない入場の方が良いと勧めたからだ。
そして、クラシスとラフェルには軽くだが、周囲からの認識が薄れる魔法をかけさせてもらっている。
入場してから一曲目のダンスの後は、他の学生達に紛れるようにしながら魔法を解除する予定だ。
本来の社交の場ならば、一曲目のダンスは婚約者同士、夫婦、もしくは婚約していない場合は親類の者と踊ることが多い。
だが、今日はデビュタントの模擬練習でもあるが、親が参加しない学生同士の比較的に気が楽なパーティーだ。
婚約はしていないが今夜のパートナーを務めてもらっている者がいる場合は、その相手とのダンスが優先される。
なので、クラシスはこのままラフェルと一曲目のダンスを踊ることになるだろう。
もちろん、周囲からの認識が薄まる魔法をかけっぱなしの状態なので、誰かの記憶に深く残ることはない。
知っているのは当事者のみだ。
そんな説明をするユティアに対して、クラシスは気遣わせてすまないと謝罪してきたが、ルークヴァルトとラフェルは良い案だと採用してくれた。
……つまり、私とルークヴァルト殿下が囮のような役目を担っているということ……。
ユティアは面倒くさいことが嫌いだ。
目立つことが嫌いだ。
だが、今日だけは違う。
自分が好きな夕暮れの色と同じ髪色を持つクラシスが、今にも泣き出してしまいそうな表情を浮かべ、崩れ落ちかけていた身体を何とか踏ん張っていた姿を見てしまえば、彼女に手を貸したいと強く思ったのだ。
……だから、今日だけ。今日だけ、頑張る。
ユティアはルークヴァルトにエスコートされながら、真っ直ぐ前を向く。
歩幅を合わせて歩いてくれる彼の気遣いはユティアにはとてもありがたかった。
後ろから足音が聞こえ、自分達に続くようにクラシス達が入場したことを確認する。
それでも、先に入場していた学生達の視線を掻っ攫っていたのはユティアとルークヴァルトの二人だった。
俯くことなく堂々とした態度で歩くのは、隣に立つ人の恥にはなりたくはないからだ。
今日の日のために、わざわざエスコートを申し出てくれたルークヴァルト。
彼の優しさや気遣いを無駄にしないためにも、ユティアは周囲の空気に臆することなく、歩を進めた。
「えっ、うそ……」
「あの第二王子殿下が……令嬢をエスコートしているだと……?」
「相手は誰だ? 見たことがない顔だ……。一年か?」
ユティアに注がれる視線は好奇、嫉妬、困惑と様々な感情が込められていた。
だが、祖母に課せられた魔法の訓練を合格している肝の太いユティアが、これっぽっちの感情の圧に臆することなどあり得なかった。
何故なら、祖母から醸し出される威圧の方が何千倍も恐ろしいからだ。決して言葉にしないが。
「……嫌になっていないか?」
「え? 何が、でしょうか?」
自分と同じく真正面を向いて歩いているルークヴァルトに声をかけられたが、その言葉の意味が分からず、思わず訊ね返してしまう。
「周囲から向けられる視線だ。……俺は、これがあまり好きではない」
王子として生まれた彼は、周囲から向けられる様々な視線を幾度となく味わってきたのだろう。
それが一年中どころか一生続くのであれば、うんざりするに決まっている。
「ふむ……」
ユティアは無表情のまま考える。
ルークヴァルトの呟きを甘えだと言う人もいるかもしれない。
だが、自身も同じ状況に当てはめてしまえば、彼の気持ちが深く理解出来る気がした。
「私も目立つのは好きではありません。面倒なので」
「そうだと思った」
「ですが……まぁ……正直、周囲の目はどうでもいいんですよね」
ユティアはぶっちゃけた。
思いっきりに本音をぶっちゃけた。
令嬢らしくはない言葉でぶっちゃけた。
「自分に注がれる視線にどのような感情が乗っていても、それは私自身を正しく形成するものではありませんし。相手が勝手に、こちらを見ているだけに過ぎないのです。どのような目で見て来ようとも、特に気になりませんね」
「……」
なので、とユティアは言葉を続け、頭一つ分高いルークヴァルトの顔へと視線を向けた。
「私は平気です。どうか、お気遣いなく」
「……そうか。なら、良いんだ」
ユティアの返事をルークヴァルトはどこか、安堵するような表情で受け取った。
ルークヴァルトは恐らく、彼と共に居ることでユティアへと向けられる様々な視線が嫌ではないかと心配してくれているのだ。
……自分だって、注目されるのが嫌だろうに。こうやって気遣ってくれるなんて、本当……奇特な人だなぁ。
王子に対する表現ではないかもしれないが、その言葉しか出てこなかった。
「……しかし、随分と注目されていますね、ルークヴァルト殿下」
「婚約者もいない上に、去年の新入生歓迎パーティーの際のエスコートを全て断り続けた男がこうやってパートナーと共に入場するのが、よほど珍しいのだろう」
「……私をエスコートして下さったのは助かりましたが、『前例』を作ってしまったのではないでしょうか」
「ん?」
「このパーティー以降、たくさんのご令嬢からエスコートの申し出が殺到することになったら、申し訳ないです……」
周囲に聞こえない声量でぼそり、と呟けば頭上からは小さな笑い声が聞こえた。
誰かが、「氷のようなあの王子が笑った」と囁いた声が耳に入ってくる。
「ユティア嬢。君が気にするところはそこなんだな」
こっちは彼の今後を心配しているというのに、ルークヴァルトは特に気にしていないのか、軽やかに笑っていた。
「まぁ、君の予想の通りになってしまうかもしれないな。多くのご令嬢から望まぬエスコートを押し付けられそうになるだろうが、それは勘弁したいところだ」
「ふむ?」
「……つまり、今年だけ、だ」
ちらり、とユティアはルークヴァルトを見上げたが彼もまた、こちらを見ていた。
その視線は今まで一度も受けたことがない感情が含まれている気がして、ユティアは彼の視線の真意を読み取れなかった。
「今年の新入生歓迎パーティーだけだ。もう、他の誰かをエスコートするつもりはない」
「あら、そうなのですね」
要するに今後は令嬢達に迫られても、強く拒否するということだろう。
ルークヴァルトに負担が掛かってしまうのはユティアをエスコートしたせいだろうが、彼が強い意思を持って断っていくつもりならば、ぜひ応援したいと思う。
「……やはり、これくらいじゃ、伝わらないか」
「……? 何の話ですか?」
「いや、こちらの話だ」
苦笑しているルークヴァルトにこれ以上、訊ねることは出来なかったので、ユティアは口を噤むことにした。
「ユティア嬢」
「はい」
「今日は楽しもう。……何も気にせず、今夜は共に楽しもう」
見上げたルークヴァルトの表情はただ、ただ眩しかった。
頭上のシャンデリアの灯りのせいではない。
決して、比喩表現などではない。
本当に彼が輝いているように見えて、眩しくて仕方がなかった。
だが、ユティアは逸らすことなく、彼の深く青い瞳を真っ直ぐ見つめながら、返事をした。
「──ええ、楽しみましょう、ルーク様」
自身が自然と笑みを浮かべていることにも気付かず、ユティアは己の心のまま、言葉を返した。




