お昼寝令嬢、起こされる。
ふわふわと、ふわふわと。
そんな心地で夢うつつ。
ユティアは夢の中へと片足を突っ込み、現実世界との間でまどろむことが好きだった。
簡単に言えば、昼寝をすることが好きなのだが伯爵家の令嬢である自分の趣味が昼寝だと告げれば、怪訝な顔をする者は多いため、親しい者以外に昼寝が好きだとは伝えていない。
だが、そのようなことはどうでもいいのだ。他人からどう見られようが、自分はこの趣味を止める気はない。
もはや、ユティアにとって「昼寝」は生き甲斐なのだから。
太陽の日差しによって暖められた場所で、そよ風を味わいながら目を閉じる。
その時間こそが至福と言わずに、何を至福と謳おうか。
ああ、幸せだ。何と最高なのだろう。
自分が詩人だったならば、この気持ち良さを詩に残したいくらいだ。
そんな穏やかな時間を仮にも通っている学園の広い庭──木々に囲まれた奥深くの空き地で過ごしている時だった。
「……こんな場所で何をしているんだ?」
どこか訝しがるような低い声がその場に響いたが、ユティアは無視を決め込む。
今日の夢はとても現実味を帯びている声が聞こえるのだな、と思うことにした。
そういえば、今日は不可視の魔法を自分自身にかけることを忘れていたなと思い出す。
どうせならば、この秘密の場所に誰も辿り着かないように周辺に結界を張ってしまって、完全に存在を隠したいくらいだ。
だが、仮にも学園の敷地内なので私有地のような扱いをして、学園側に知られたならば罰せられてしまうかもしれないため、さすがに手をつけずにいた。
そのため、不可視の魔法をかけていない今日に限って、誰かがこの秘密の場所まで辿り着いてしまったらしい。
ここに辿り着くまで、鬱蒼とした木々の間を通ってこなければならないはずだが、声の持ち主はどうやらそれらを突破してきたらしい。
「おい、大丈夫か?」
低い声が近づいてきたかと思えば、先程よりも焦っているような声色へと変わっている。
「具合が悪いのか?」
どうやら、声の持ち主はユティアがこの場所で昼寝をしているとは思わず、倒れていると思い込んだようだ。
一生懸命に自分に話しかけてきてくれる相手に対して、そんな風に思い込ませてしまったことに少しだけ申し訳なさを抱き、ユティアはこのまま眠ることを諦めて、薄っすらと目を開ける。
これでまどろみの時間はおしまいだ。
芝生の上で眠っていたユティアが瞳を開ければ、太陽の光と自分を遮るように──儚い程に美しい銀色が自身の視界を覆っていた。
「……むにゃ……。うぅん……白銀の獅子……?」
「……」
視界に映った美しい色は、小さい頃に大好きだった絵本に登場する銀色の鬣を持つ獅子のように見えた。
その獅子の呼び名が「白銀の獅子」だったなとつい呟いてしまう。
だが、思わず感想を口にしたユティアの意識はやがて覚醒していく。視界に映ったものがこちらを見ていると認識したからだ。
そして、芝生の上に転がしていた身体をばっと起こしてから、状況を確認しようと周囲を見渡した。
周辺の景色に変わりはない。眠ってからそれ程、時間は経っていないようだ。
それでも一つだけ、眠る前と比べて変わったことがあった。
「えっと……?」
頭に付いていた葉っぱがはらりと芝生の上に落ちていくが、自身の現状を特に気にすることなくユティアは小さく首を傾げる。
しっかりと開いた瞳の先には、美しい銀髪の持ち主がこちらを見ていた。一体、誰なのだろうか。
一方で、透き通るような深い青の瞳を持つ少年は真っ直ぐに視線を向けてくるが、そこには困惑しているような感情が含まれている気がした。
恐らく、眠っていた自分に声をかけて起こしたのは彼なのだろう。
着ている制服は自分が通っている学園の男子用の制服であるため、彼が学生であることが窺える。
何か言いたげな表情を浮かべている少年はユティアと同い年か、少し年上のように見える。
「……寝ていたのか」
静かに訊ねられたため、ユティアはこくりと頷き返す。
内心では、よくも大事な昼寝の時間を邪魔してくれたなと思っていたが表情には出さなかった。
「だが、何故こんな場所で寝ているんだ?」
こちらを窺うように見ていた少年はいつの間にか目の前に腰を下ろしていた。
どうやら、ユティアがこのような場所で寝ていたことに疑問があるらしく、質問で責めてくるつもりらしい。
確かに何も知らない人間からしてみれば、通っている学園の広い庭──更に言えば誰も来ないような場所で、まるで自分の家のソファで眠っているように芝生の上に寝転がっている人物がいれば驚くだろう。
それでもユティアは世間的な常識を全て、夢の中に置いて来てしまったように、率直に答えた。
それが全てに関する答えだと言わんばかりに。
「この場所がお昼寝に適しているからです」
「……は?」
少年は理解が出来ないと言わんばかりに口をぽっかりと開ける。せっかくの美形だが、今は間抜けな顔をしているため台無しである。
「綺麗でふかふかの芝生と温かな太陽の光、そして周辺の草木によって調節される爽やかなそよ風、日光次第では絶妙な木陰となる場所、誰も来ないような学園の庭の奥深く……。そんな素晴らしい場所があるというのに、お昼寝に使わないなんてもったいないではありませんか。お昼寝、それは単なる休息ではありません。それは極上の時間の使い方であり、この世でありながら天国のような心地を味わえる尊くて儚いひと時……! 最高だと思いませんかっ?」
ユティアはここぞとばかりに昼寝に対する素晴らしさを広めようと饒舌に力説する。
普段はおっとりとした性格だと思われがちだが、昼寝に関する時だけ、ユティアはお喋りになるし、表情はころころと変わる。
それ以外のことは全て無気力なのが玉に瑕だと親友に良く言われているが、気にしたことはない。
好きなものは好きだし、色んな人に昼寝の素晴らしさを知って欲しいと思う。
なので、ついユティアが喋り過ぎてしまったと気付いた時には、目の前に居る少年は目を丸くしてこちらを凝視していた。
……引かれたかしら。
お互いに初対面の相手だというのに、ついつい昼寝について力説してしまったようだ。
今まで、「昼寝が好き」と告白した相手には呆れられることがよくあったのだが、果たして目の前に居る少年はどのように思っているだろうか。
ユティアが口を噤んでから、少年の様子を窺っていると、目を丸くしていた彼はやがて噴き出すように笑い始めた。
だが、その笑い方は嘲笑の笑い方ではなく、ただ楽しいものを見つけた時の笑い方のように思えたので不快な感じは全くしなかった。
……でも、笑うようなところなんて、あったかしら。
昼寝について力説しただけだがと、ユティアは思わず、こてんと首を傾げる。
すると、まだ頭に付着していたのか、葉っぱがはらりと落ちて行った。それを見ては、少年は更に声を上げて笑う。
全く、人を見て笑うなんて、とユティアは少しだけ拗ねたように唇を尖らせる。
「ふっ、すまない……。……くっ……」
そう言って少年は謝って来るが、笑い過ぎて涙目になっている。
失礼な人である。
それでも彼の笑い方は清々しい程に軽やかで、二人だけしか居ないこの秘密の場所の中に、静かに響いていた。