第38話~心は決まった~
生徒会室から出た俺は、そのまま帰路に着いた。
あの後、先輩は一言もしゃべることはなく崩れ落ちたように座り込んでしまったので、俺もそのまま放置してきたという形だ。
「少し気分がいいな……」
正直言えば、先輩の問いに答えても良かった。
多分俺が真実を話したところで受け入れてもらえなかったとは思う。最初に日和から話を聞いた時の俺と同じ。一笑に伏してしまうか、あれほど真剣だったのだから、激しく怒るかもしれない。
だったら最初から話さない方がいい。それにこの件は、日和が一般の人には知られないようにと隠蔽し続けていた問題なのだ。だったら俺がそれを勝手に話していいとはおもえなかったし、思いたくなかったのだ。
「嘘だな……」
自分の思考を自分で否定する。
確かに建前はそんなものだろう。信じてもらえないだろうから、日和が秘密にしていたことを俺がばらすわけにはいかないから。
何も知らない人が聞けば、とりあえずは納得できそうな理由だ。少なくとも責められるいわれを失くすことはできる。
だけど俺の本音、必死に懇願する先輩に俺の知ることを話さなかった理由は、そんな綺麗言とはもっと遠いところにあるのだ。
「先輩のあの顔、よかったな……」
俺と同じ思いを誰かに味合わせたかった。日和を失い、失意に暮れている俺の思いを、他の誰かにも共有をしてほしかった。
およそ正常とは程遠いところにある俺の捻じ曲がってしまった性根のせいで、先輩は今も絶望にさいなまれることになっているのだ。
それが俺の心を満たしている。
日和がいないという表現のしようのない気持ちは薄らいでなどいないが、自分と同じ境遇の人がいる。そしてその状況を自分が作り出したと思うと、少しだけ辛さが緩和したような気がしたのだった。
特に目的地も決めず歩いているはずなのに、気が付けば昨日、日和と歩いた道を歩き直している自分がいる。こんな風に思い出を辿るくらいなら他にやることなんていくらでもあるはずなのに、頭でわかっていながらも足は歩みを止めることはない。
未練がましい。
未だに手に残る日和の手の感触。別に付き合っていたわけでもないし、それこそ恋人だったというわけじゃない。
関係は、と聞かれれば先輩と後輩というのが適当だし、よく言っても友達やもしくは戦友というあたりだろうか。それなのにあいつは、いつの間にか人の心の中の中心に居座っていて、その上どんな時でも思考の中に現れては俺の心をかき乱してくる。
だというのに俺がその気持ちを伝えようとした途端に目の前から消えてしまい、残ったのは行き場のなくなってしまった日和への想いだけ。
「ほんとに勝手な奴だよな」
泣いてしまえば楽になるのかもしれない。だけどそうしてしまったら、日和が本当にいなくなってしまったことを認めてしまう気がする。頭の中では昨日のあの光景から日和が再び俺の前に現れることなんてありえないと思っているくせに、それでもどうしてもそれを認めることが出来ない自分がいる。
もはやどうしていいのかわからなかった。五里霧中、暗中模索。そんな四字熟語がぴったりと当てはまってしまうくらいに、今の俺の心情はぐちゃぐちゃだった。
まるで自分の中で区域して管理してあった感情というフォルダの中身を、全部ひっくり返してミキサーにでも突っ込んだかのような感覚。酩酊でもしているかのように思考が定まらずこれから先どうしていいのかまるでわからない。
「あれあれ、そこにいるのは秀介君じゃないかな?」
そんな時だった。歩く先から聞こえる明るい声。それは昨日も聞いた声で、こんな状態の俺の心にもダイレクトに届くような澄んだ声だった。
ああそうだ。この人はどうにも昔から、俺が弱っている時に忽然と現れる人だった。
「二日連続で会うなんてすごい偶然ですね」
「会わない時は会わないのにね。これも巡りあわせってやつなのかもしれないよね」
にこにこと近づいて来ながらそういう柚葉さんは、きっと俺が未だかつてないほど沈んでいることに絶対気がついている。どんなに強がって隠そうとしても、毎回すぐばれてしまうのだ。
そのせいもあって俺は柚葉さんの前だけでは強がることを辞めた。無駄なことをしてもしょうがないとうのもあるし、何より想像してみて欲しい。にこにことなにも言わずにずっと見つめられる続ける光景を。俺が何かをいうまで決して視線をそらさずに、かといって何も言わずにただ見つめられ続ける。自白を促されるのはああいうことを言うのだろう。将来柚葉さんは刑事にでもなればいいと思う。きっと犯人の自白率があがるだろうから。
「それで、秀介君はどうしてこの世の終わりみたいな顔をして歩いてたのかな?私はてっきりこれから踏切にでも飛び込みに行くのかと思っちゃったよ」
「随分と過激な冗談ですね」
「後半は冗談だけど前半は割と本気なんだけどな」
困ったような表情で小首をかしげる柚葉さん。きっとその表情でたくさんの人が勘違いし、思いを募らせてきたのだろう。しかし今まで柚葉さんにそういう特定の相手がいることは聞いたことがないので、そういつ奴らは全て爆死していったのだろうな。
しかしそうか、この世の終わりのような顔か。今の俺は他人から見るとそういう風に映るのか。
この世の終わりは言い過ぎだけど、それでも心の大半を占めていた存在が消失したのだから、実際感じているものは同じようなものなのかもしれない。
いつの間にか俺の隣に並び一緒に歩き出した柚葉さんは、俺の言葉を待っているのかそれ以上は何も言わない。それでも目的地もなく歩いていた俺をどこかに先導するかのように半歩先を歩いていくその姿は、いつの日か背中を追って歩いていた時の光景に似ていた気もした。
◇
五分程二人で黙って歩いた末に着いたのは小さな公園。その中のベンチに腰掛けるが、やはり俺たちの間に会話はない。どうやら柚葉さんは俺が何かを言うまでは自分から何かを言う気はないらしい。
こうなっては梃子でも動かないのが柚葉さんで、俺から話す以外にこの沈黙が終わることはない。無視して帰るという選択肢もあるにあるが、こんな俺にとっての数少ない信頼できる人だ。邪険に扱って嫌われたくはなかった。
それが例え、今のような最悪な精神状態であったとしても。いや、むしろそんな精神状態だからこそなのかもしれない。俺はもう、誰かを失うなんて経験を二度としたくはないのだから。
「心配してもらってありがとうございます。ちょっと日和とケンカしちゃったんですよ。それでどうにも凹んじゃって」
人を欺くための嘘というのは、その中に少しの真実を混ぜてやると途端に真実味が増してくるという。今の嘘も、日和のことで悩んでいるということは真実だが残りは嘘。だけど日和という目的格は一緒となるので嘘に聞こえづらいのだ。
「ダウト」
それなのにその嘘をいとも簡単に見破るからこの人には頭が上がらない。これまでにも何度そうやって嘘を見破られたことか。これで人を騙し、自分を騙すことも得意だと自負しているのだが、柚葉さんだけには一度として嘘を突き通せたことはないのだから。
「日和ちゃんのことで悩んでるのは間違いなさそうだけど、それだけじゃないよね?お姉さんに話してごらん」
幼い子に言い聞かせるように俺を覗き込む柚葉さんに、いっそのこと全部話してしまえたらどれだけ楽だったことだろう。
きっと柚葉さんなら信じる信じないはともかくとして、最後までちゃんと話を聞いてくれたはずだ。その上で何かしらの適切な言葉をかけてくれたことだろう。それこそ今の俺に必要な言葉を。
「嘘じゃないです。本当にそれだけなんですよ」
だからと言って、全てを柚葉さんに伝えることだけは絶対にダメだと思った。
俺の抱える問題が、“闇”という人の命を奪う危険を孕んでいる以上、内容を伝えることで可能性は低くとも、無関係の柚葉さんにも危険が及ぶことになるかもしれない。
きっと柚葉さんのことだ、学校でそんなことが起こったと聞いたなら、真偽はともかくまずは行ってみよう、などということを言いだしかねない。
いや、この人はきっと言う。理屈はともかくそう言う人なのだから。
それにだ。なんとなくだが、これは多分俺が何とかしなければいけない問題で、他の人が介入することはいい気がしないのだ。
いや訂正する。することはよくないじゃなくて、してほしくない。俺だけの力じゃどうしようもないことは嫌というほどわかっている。というよりもすでに日和は死んでしまっている可能性が高いのだから、何かできることなんてないのかもしれない。どうしようもないくらいに絶望し、混乱し、途方に暮れている俺が言っていいことじゃないことくらい痛いくらいに分かっている。
「少し落ち込んでるだけですから」
それでも俺一人で乗り越えなきゃいけないんだ。日和とともに過ごしてきた夜の学校での出来事は、俺とあいつを結ぶ唯一の絆みたいなもの。弱々しいきずなかもしれないけれど、そこには誰にも入ってきてほしくない。張る意味も無いほどの、小さな小さな俺の意地。
「そっか」
自分でもどうすればいいのかわからないのだから、詳しいことは省くにしても相談をしてみるのもよかったのかもしれない。
せっかく差し伸べられた手を掴もうとしない俺に、多分さしもの柚葉さんも呆れたのだろう。困ったような顔をして、小さくひとつ息を吐いた。この後に言われるのは、じゃあ好きにしなさいという言葉辺りであろうか。優しい柚葉さんの性格からして、そこまで直接的なことは言わないであろうが、似たようなニュアンスのことは仕方がない。俺はそう言われるだけのことをしているのだから。
そう思っていた俺にかけたられた柚葉さんの言葉は、そんな俺の捻くれた予想を大きく裏切る言葉だった。
「自分では気づいていないと思うけどね、そうやって何か困ってるのが丸わかりなのに誰にも相談しないときの秀介君は、もうやりたいこと、やるべきことが分かっている時なんだよ?」
気づいてた?と微笑む柚葉さんに、俺は一体何が言えたというのだろう。
まさに青天の霹靂。今の俺は、そんな言葉がぴったりといった衝撃を受けている。柚葉さんは、俺が一体どうだと言った?
「この後自分がどうするべきか、自分の中で答えはもうしっかり出てるはずだよ」
「ちょ、ちょっと待ってください!?なんでそんなことが……」
「ずっと見てきたからね」
言葉を遮るようにそう言われた。
「小さい頃からずっと秀介君のこと見てきたもの。だから秀介君のことならある程度わかるつもりなんだよ」
そう言い笑顔で俺を見る柚葉さんはすごく綺麗で、この人の言うことは信じられる。この人は俺を裏切ることはないと、根拠はないけどそう、思えたんだ。
答えはもう俺の中では出ていて、やるべきこともわかっている。
本当にそうなのだろうか。
日和を失い、その存在を探した結果、痕跡すらも探し出すことが出来ない俺がすべきことは何か。
「ゆっくり考えて、そして動きなさい。大丈夫、きっとうまくいくから」
これを他の人に言われたのなら、俺は多分怒鳴って最悪殴りかかっていたかもしれない。お前に何がわかるんだと叫びながら、これまで溜まった鬱憤を全てぶつけるかのように。
だけど柚葉さんから言われたその言葉は、俺の心にすとんと落ちていく。本当にうまくいくような、そんな錯覚さえも起こさせてくれそうなほど優しい言葉だったから。
「それじゃあ私はそろそろ行くね」
言われたことを反芻している俺に、いつも通りのやわらかい笑顔を見せた立ち上がる柚葉さん。
そういえば俺と逆の方向に向かっていたということは、これから何か用事があったのではないだろうか。柚葉さんの家は逆方向だったはずだし。
そんなことすら気づくことが出来なかった俺は、一体どれだけ余裕がなく周りが見えていなかったのだろう。
「すみません、時間とらせちゃって」
「悩める弟のためだもの。こんなのなんでもないよ」
どんな時でも、何を言っても受け止めてくれるこの人に、俺はこの先もずっと適うことはないのだろう。敵う予定も特にないし、敵いたいとも重いけども。
「じゃあね秀介君。無事に悩み事が解決した暁には、お姉さんが二人に御馳走してあげるから」
そう言い残し去っていく背中に、もはや俺が言えることはひとつだけ。手を振りながら去っていく柚葉さんに深々と頭を下げ、しっかりと聞こえるように心からの感謝を送った。
「ありがとうございます」
もう迷いはない。後は自分の心に従うだけだ。