第37話~誰かの絶望~
これも予想をしていたことで、どこかのタイミングで呼び出しがかかることはわかっていた。日和の助けがない以上、生徒会長である都城先輩の監視の目を逃れることができるとは思えない。きっと昨夜の校舎への侵入もばっちりと防犯カメラに映っていたのだろう。このタイミングでの呼び出しなんて、それ以外には考えられないのだから。
「失礼します」
いつかの焼き増しのような台詞を放ち部屋に入る。生徒会室の光景はいつもと同じ。左右の机も、その上にうずたかく積まれた書類も、部屋の中には相変わらず誰もいないのも変わらない。
「いきなり呼び出して悪かったわね」
部屋の奥、一番大きい机の向こうで不敵な笑みを浮かべる都城先輩の姿もいつもと同じだった。
「構いませんよ。でも手短に終わらせもらえると助かります」
呼び出された要件は分かっているが、だからと言って今の精神状態でそれに長々と付き合うつもりはない。対応いかんでは俺の今後に決して少なくはない影響を及ぼす可能性のある相手だったとしても、今の俺にとっては割とどうでもいいことなのだ。
「あまり顔色がいいようには見えないわよ?」
「この部屋が薄暗いせいじゃないですか?悪の組織じゃないんですから、間接照明だらけの部屋で仕事なんて効率が落ちますよ?」
「御忠告ありがと。でもこの環境、割と他のメンバーからの受けは悪くないの。落ち着いて仕事が出来るって意外と評判なの」
いきなり核心に入らないのはこの手のタイプの人の常套句だ。何気ない話題で自分のペースに引き込み、それから一気に篭絡していく。何度か都城先輩と話すうち、この人のやり口は身に染みて分かっている。
純真無垢な顔の裏に潜ませる狩人の一面。巧みな話術により相手から情報を得るその様は、校内でも一部で非常に恐れられているのだ。
「それで、今日呼び出したのはどういった要件です?」
だからと言って、俺がそのペースに合わせる必要は何一つない。自暴自棄になりかけている俺にとって、失う物は何もないのだ。
「せっかちは嫌われるわよ?」
「嫌われたくない相手に対しては気を付けます」
段々と攻撃的になっている自身の言動に気が付かないわけではないが、特に気を遣う気はなかった。これが八つ当たりであることは十分承知の上での発言だ。そのせいで都城先輩にどう取られようがどうでもいい。それが今の嘘偽らざる俺の本音なのだから。
「伏見君の話の通りみたいね。いいでしょう、それじゃあ今日ここに来てもらった要件を話します」
伏見という名前が出てきたことに違和感を覚えたが、まぁおかしなことではない。何度も言うが伏見はこの学校において随一の情報力を持っている。その情報網は生徒会、いや、全ての情報が集まるはずの生徒会長である都城先輩をもしのぐのだ。
そんな危険人物を放置しておくはずがない。どういう関係か知らないが、都城先輩と伏見はなんらかの繋がりがあるのだろう。
伏見はきっと俺の依頼を受けた時、情報収集の一環で都城先輩を訪ねた。俺が先輩と知り合いだということはあいつのことだから知っているはず。情報を聞く段階で、俺の鬼気迫る様子について、都城先輩にも伝えたというとこじゃないだろうか。
当たらずとも遠からずと言った推理だが、今伏見の名前が出てくる理由はそれ以外に考えられない。伏見に伝言を伝えているのだがら、接触を持ったのは間違いないはずだし、やはりこの線といったところなんじゃないか……
そこまで考えて思考を切り捨てた。
伏見が都城先輩と繋がっていて、俺のおかしな様子を伝えたからなんだというのか。俺にそれがなんの関係があるのか?
何もない。だからそこでこの思考はお終いだ。意味のないことに割くリソースほど無意味なものはないのだから。
「千種君、あなた昨日の夜、校舎に忍び込みましたね?」
質問の内容は予想通り。あまりに予想通り過ぎて逆にリアクションが取りづらいくらいだ。
「証拠はありますか?」
「昨日の夜、裏門付近の防犯カメラに千種君が映っているのが確認されました」
「裏門付近はあくまで学校の外ですよね?それで忍び込んだというにはあまりにも早計すぎませんか?」
「以前千種君が忍び込んだのは裏門だったということは分かっています」
「一度犯した愚を二度犯すと思いますか?もしその線で話しを進めるなら、俺が校内にいたという確たる証拠を見せてください」
やはり会話が続けば続くだけ、俺の口調は攻撃的になってしまう。そんな俺の物言いに、都城先輩が顔をしかめるが、その表情を見ても俺の心は何も感じることはなかった。
「それがあれば認めますか?」
「ええ、あるのなら」
俺が校内にいる映像、それがあれば黒確定。きっと俺は停学、これが初犯ではないということを考えれば、さらに悪い可能性すらある。
だが俺はそんな映像はないと確信している。理由はいろいろあるが、何よりもそう確信できるのは、あの組織とやらが昨夜の状況を少しでも外部に漏らすようなへまをするはずがないということだ。
あの組織に対して嫌悪感はあっても信用など微塵もない。ただし、“闇”についての情報を隠蔽することに関してのみなら、俺は全幅の信頼を置いていると言っても過言ではない。そう考えれば、昨夜の校内での映像が残っているとは全く考えられないのだ。
映っているから呼ばれたのだと想定したからと言って、どこに俺が映っていたかまではわからない。そのくらいの考えくらいはあるからこそ、のこのことここにやって来たのだ。
「なぜないと自信をもって言えるのかしらね?」
「論点がずれてますよ先輩。俺は侵入していないからあるのならと言っているんです。誘導尋問は意味を成しません」
「……」
先輩からの反論はない。その反応を見るに、やはり校内の映像に俺が映る物は残ってはいないのだろう。だからこうしてかまをかける。心理的な揺さぶりをかけている。
「他に何もないなら失礼させてもらいます。俺もこれでそんなに暇じゃないんですよ」
嘘だ。むしろ時間なら持て余しているくらいにある。しかし、だからと言ってその時間を先輩との押し問答に使うつもりはまったくない。
ここで仮に先輩がさらなる揺さぶり、もしくは決定的な証拠を出してきたとしても、俺が引くことはないだろう。
「強がってもいいことないわよ?」
「それを判断するのは俺自身です」
失う物は何もないのだから。
俺の言葉を最後に生徒会室に沈黙が落ちる。必要なことは全部伝えた以上、俺が何かを発することはない。対する先輩は、何やら非常に険しい顔をしてこちらを見ている。
無理もない。今まで従順だった俺の態度がほとんど180度急変したのだ。しかも敵意むき出しで噛みつくかの如く。その代わり用をみれば、そんな表情にもなるのも仕方がないだろう。
「昨夜、宿直の教師が一人、行方不明になりました」
沈黙を破ったのはやはり先輩だった。
「先日行方不明になった警備員の方と同様、なんの痕跡も残さず、しかも目撃も何もなく煙のように消えてしまったのです」
さっき伏見から聞いた内容と同様の話。おそらくこの話の出どころは先輩なのだろう。先輩が伏見に伝え、伏見が俺に伝えた。そこにどんな理由があるのか知らないが、少なくともいまの俺の食指を動かすような内容ではない。すでにさっき伏見から聞いた段階で興味を持たなかったのだから、今更別の人物から伝えられたところでそれは変わらない。
「その教師は、今年で定年を迎えるはずの方でした」
新しい情報、しかしやはり俺の感情を揺さぶることはない。
「生徒のからの評判はよく、教師の間でも頼りにされている。時にきつく叱ることもありましたが、それは生徒のことを思ってのこと。なので生徒思いの先生と教え子は例外なく尊敬したそうです」
確かにそんな教師がいたということは聞いたことがある。すごくいい先生がいると、教室で誰かが話していたような気はするが、俺の興味を引くことはなかった。だから今先輩がそんな教師の身の上話をしたところでなんの感情も湧いてはこない。強いて言うなら、早くこの場から立ち去りたいという思いくらいだ。
「その先生は生徒会の顧問も務めていました。だから私は先生のことをよく知っています」
先輩の表情が、この時初めての変化を見せる。いつもにこやかな笑顔が、もしくは厳しい表情しか見せてこなかった先輩の悲しそうな顔。どうやら先輩もその教師のことを尊敬していた一人なのだろう。
なるほど、この話の行きつく先が見えてきた。
「会長ということもあり、私は先生と話す機会が人よりも多かった。だから先生の家族や、お子さんのことも知っているし、会ったこともあります」
会長が敬語を崩さないのは、これが会長としての通告だからだろう。今まではあくまで都城静香としての言葉。そして今話しているのは生徒会長としての言葉ということだ。
「先生は退職したら家族みんなでたくさん旅行に行くんだと言っていました。世界中、たくさんの国を周ると。教師として生徒と深く接していた分、家族との時間を削ってしまったと嘆いていたことを聞いたこともあります」
絵にかいたような立派な教師像。生徒のことを第一に考え、自分のいろんなものを犠牲にしてでも生徒たちと向き合う姿勢。それは確かに尊敬に値する行為だと思う。しかしそれは同時に生徒達以外の者を蔑ろにしてしまうという面も持つ。どうやら件の教師もその例に漏れない一人だったようだ。
「だからこそ、退職後は家族のために時間を使いたい。贖罪というわけではないけれど、これまで自分を支えてくれた家族に少しでも報いたいとおっしゃっていたんです」
尊敬され、勇退を約束されていた人物の謎の失踪。手掛かりはなく、これが前回の警備員と同じ原因なら、見つかる可能性は極めて低い。
もし俺が会長と同じ立場なら、きっとその夜の監視カメラの映像を隅から隅まで見たことだろう。それこそ穴があくまで、かすかな手がかりでもいいと思いながら。
「もう一度聞きます。千種君、あなたは昨夜学校で何をしていたんですか?私はあなたが先生に何かをしたとは思っていません。ただ手掛かりが、なんでも構いません、ただ先生に繋がる手掛かりが欲しいんです。お願いします。知っていることを私に教えてください」
そう言うと先輩は頭を下げた。それはこの学校での先輩の立場を考えれば、ありえない行為。権力のトップである会長が一般の生徒に頭を下げるなど、もしこの光景を誰かに見られればそれだけで各所で問題が起こるほどの案件だ。
「やめてください。会長が頭を下げることがどういうことかわからないはずはないでしょう?」
「先生を見つけるためなら頭の一つくらい安いわ。お望みなら千種君の望むことをしたっていいの。だから何でもいい。昨夜、学校であったことを教えて?」
会長にとってその教師は大切な存在だった。どういう理由で生徒が教師をそこまで慕えるのかは知らないが、それなりの理由があるのだろう。それを俺が詮索する理由はないし、むしろするべきではない。
大事なところは先輩も俺と同じだということ。俺と同じ、昨夜、大切な人を失ったということだ。
「先輩の気持ちは分かりました」
「じゃあ……!?」
「はい。昨夜俺は……」
期待に満ちた目で先輩が顔を上げる。俺の言葉を一言も聞き漏らすまいとする様子も伝わってくる。
だから俺はこう答えた。
「裏門の前まで来て家に帰りました。侵入して先輩に怒られたくはなかったですからね」
俺は人の表情が絶望に染まる光景というのを、その日初めて見た。きっと、昨日の俺もこんな顔をしていたのだろう。
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