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日常と非日常の境界線 ~闇と戦う少年の物語~  作者: ナル
第1章 学校の怪談編
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第34話~喪失と発現~

 かすかにだがあったはずの呼吸も、今はもう聞こえない。その口がもう俺に何も発することはない。つい数時間まであったはずの幸福な時間。しかしそれはもう帰ってくることはない。


「なんでだよ……。なんでこんなことになってんだよ……!?」


 手の中にあるリボンと、もう動くことはなくなってしまった日和。

 どうしてもっと早く気が付いてやれなかったのか。どうしてあの時に、日和を一人で行かせてしまったのか。後悔と絶望という感情にさいなまれ、涙がとめどなく溢れてくる。


「言いたいことだけ言って行きやがって……。俺がまだ返事してないだろ……」


 隠していたことを全て伝えたからか、穏やかな表情で眠る日和に俺の言葉はもう届くことはない。

 俺だってお前のことが、最初はとんでもない奴だと思ってたけど、それでも一緒に過ごすうちに気になる存在になってたんだ。その気持ちはいつの間にか俺の中で大きくなっていて、隣でもっと笑いあっていたい。こいつと一緒の時間を過ごしたいと思うようになってたんだ。


「俺だって、お前のことが……」


 伝えられなかった言葉。言えなかった言葉を、すでに伝わることはないと分かっていながらも、それでもちゃんと言葉にしようとした時だった。


「すまないが、その子をこちらに渡してもらってもいいかな」


 気持ちを言葉にすることは出来ず、割り込んできた声に遮られてしまった。


 背後から聞こえる声に振り返れば、そこには黒の外套を着込んだ長身の男が立っていた。暗くてよくわからないが、その表情からは何も読み取ることが出来ない。

 どちらにせよ、人が大量の血を流しているこの状況で動揺の一つも見せないやつだ。敵であれ、味方であれ、まともな奴でないことは確かだ。

 事務的にそう告げるそいつに、俺は敵意をあらわにして噛みついた。行き場のないこの感情をぶつけるにもちょうどいい。そう思ったことも決して嘘ではない。


「誰だよ……」


「簡単に言えば、その子の上司のようなものだ。時間があまりないのでね、端的に説明するからよく聞くように。組織の一員であるその子の体は、多少普通とは違う。組織に入り際に全員が受ける特殊な手術をしてあるからな。よって、そのままその子が君の手によって病院なり警察に連れていかれると非常に迷惑なんだ。ゆえにこちらで引き取るからその子をとっととこちらに渡せ」


 男は最初こそ温和に話そうと努めているようだったが、言葉の最後はほとんど命令に近くなっていった。おそらくだが、男の本来の性格は、後半のしゃべり方のが近いものなのだろう。月明かりの中除く表情は、本人自身は精一杯柔和な表情をしているつもりなのかもしれないが、目は全く笑っていない上に、敵意どころか軽い殺気まではらんでいる気さえする。


 だからと言って、こちらが男の要求に応じる理由にはならない。

 今までどこにいたのかは知らないが、いきなり出てきて日和の上司だからそいつを渡せ?

今の今まで現れることもせず、何か言葉をかけるわけでもなく、ただ渡せと言っているこいつは一体何を言っている?


「日和の上司だっていうのなら、今まさに日和が死にかけてた時にお前は何をやっていたんだ……」


「基本的に、私たちは業務を遂行する際に相手の領域に立ち入らない」


「目の前で倒れてたんだぞ!?それでも助けないっていうのかよ!!」


「それでもだ」


 感情のままに怒声を浴びせようが、何一つ変わることのない目の前の男の表情。おそらくはこんな光景が、男にとっては日常の光景に過ぎないのだろう。こいつが日和の上司だとするならば、こいつも“闇”と深く戦ってきた人間なのだろう。

 だからこそ、“闇”によって訪れるこの状況にも心を乱すことはなく、男にとっての優先事項を事務的にこなそうとしている。きっとそれが男にとって、組織にとっては正しいことなのだから。


 だが、それが俺にとってもそうかと言われれば話は別だ。俺は組織の人間でもなければ、まして誰かを失うことも初めてだ。しかもそれが親しい者との別れだったのだから、この男のそんな反応を許すことなんてできるわけもない。


 男の反応に、俺の中でどす黒いものが渦巻くのが手に取るようにわかる。これが具現化できるのならば、きっとすぐにでも男を殺してしまえるだろうほどに。


 この感情を抑えることなんてできやしない。日和をこんな目に合わせたのは、きっとこいつじゃないんだろうし、本当に上司としての行動をとっているだけなのかもしれない。 平静を装っているだけで、内心では悲しんでいるという可能性だってある。

 だけどもう無理だ。この行き場のない俺の怒りを誰かにぶつけなければ、もうどうにかなってしまう。


「ふざけるなよ……」


 日和をこんな目に合わせた奴への怒り。そして心無い言葉をかけてくる男への怒り。何より日和を守ってやれなかった自分に対する怒り。


「ふざけんなっーーーーー!!!!」


 もうあの笑顔も楽しかった時間も戻ってはこないなら、いっそのこと全てを壊してしまっても構わない。俺の中で日和が笑っていてくれるなら。

 そう心の底から思った時に、手の中に感じた硬質な何かの感触。確かに俺は何も持っていなかったはずなのに、確かにその手の中には何かがあった。


「これは驚いたな」


 俺の手の中の物を見て、男が距離をとるのがわかったが、それに伴い俺も全てを理解した。そういえば日和が言ってたっけか。『心具』を発現させるために必要なのは、“認識”と“覚悟”だって。


「覚悟しやがれ」


 こんな形でしか覚悟を決めることができないなんて、ほんとに俺はどこまでも哀れで、愚か者だ。いつも失ってからしか大事なことに気が付けないんだから。

 だったらそれはそれでいい。きっとこの先、いつまでも後悔の念にかられて生きていくことになるのだろうが、今はこの力で目の前のあいつを殺すことができるのだから。


 特にためらいはなかった。

 初めて握るはずの自身の心具。緩やかな曲線を描くグリップから、リボルバーを介して伸びる銃口。

 

 コルト・シングル・アクション・アーミー


 通称ピースメーカーと呼ばれる西部開拓時代に使用されていた、回転式拳銃の代表格。頭文字をとってSAAとも呼称されるそれは、1873年に製造が開始され、その後アメリカの陸軍でも採用されていた物だ。歴史は古く、造りは単純だが、その反面非常に操作性と耐久性に優れる現在でも生産が続けられている銃。


 明確な殺傷能力を持ち、操作性に優れるそれは、俺にとってまさに理想的な武器。


 怒りに塗りつぶされた思考回路に、この武器を男に使わないという選択肢はない。

 距離を取った男に銃口を向け、撃鉄を起こし引き金を一気に引いた。破裂音と共に打ち出された弾丸は音速を超え、確実に男の頭を貫いた。いや、少なくとも俺にはそう見えたのだ。


「そんなものは当たらない」


 言葉と同時、一瞬にして逆転する視界。その次に感じたのは浮遊感、そしてすぐ後に感じる背中への鈍い痛み。

 この痛みはついこの間感じたことがある。あの人体模型に投げ飛ばされた時と同じものだ。つまり、俺はあの男に投げ飛ばされ、どこかに激突したということなのだろう。だろうというのは、俺がその工程をまるで認識できなかったからだ。


「心具まで発現させることができたということは、確かに見込みはあるのだろうな。だがそれもここまでだ。悪いがすべて忘れてくれ」


 背中を打ったせいで一時的に呼吸筋が麻痺し、うまく肺に空気を取り込むことが出来ない。視界も明滅し、意志に反して体もうまく動かすことが出来ない。

ゆっくりと男がこちらに近づいてきていることはわかるのだが、酸素を求め詰まる喉は声すら発せず、出来ることと言えばなんとか指先を動かすことくらい。こうなってしまっては、せっかくこの土壇場で発現することができた心具もまったく意味が無くなってしまう。


「心配はいらない。今夜のことも、今までのことも、私たちに関することを全て忘れるだけだ」


 男のその言葉は、まさに死刑宣告といってもよかった。


 それはすなわち、日和のことも忘れるということではないのか。こんなふざけた現実や、“闇”との戦いの事だけを忘れられるならいい。目の前のくそったれな男のことを忘れられるのであれば、むしろこちらからお願いしたいくらいだ。人体模型との命がけの鬼ごっこなんて、今でも思い出したくもないのだから。


 だが日和のことは別だ。あいつとの記憶なら、たとえそこに“闇”がどれだけ絡んでいたとしても、何一つとして忘れたくなんてない。

 だからやめてくれ。あいつとの思い出は、例えあいつがこの先いなくなったとしても、俺にとっては何よりも大切なものなんだ。


 仰向けに倒れこんでいる俺の頭に男の手が触れる。何をするつもりなのかはわからないが、さっきまでの話からすれば俺の記憶を改ざんするとみて間違いはない。


「やめ……ろ……」


 微かに出た声は、まるでさっきまでの日和のようにか細くて、そして自分でもわかるくらいに弱弱しくて情けない。

 視界の端に映る、横たわって動かない日和の姿。どうしてこうなってしまったんだろう。俺はただ、あいつと笑っていたかっただけなのに。何気ない日常を過ごせればそれでよかったのに。


「さらばだ」


 その言葉の後に俺の視界は白く包まれた。白い光の海に落ちていく意識の中で、最後に俺が思い浮かべたのは、つい数時間前の少しだけ照れくさそうにはにかみながら走り去っていく日和の後姿だった。


 もう見ることはできない日和の笑顔。非日常は、こうして再び日常へと戻っていく。


今回もお読みいただき本当にありがとうございます。

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