第33話~後悔の結末~
そんなはずはないと思う。
いくら俺が友達が少ないとはいえ、こんなに強烈なインパクトを持つ人間を忘れることができるだろうか。
記憶を思い返してみても、それらしい人物は該当しない。だからと言ってこの状況で日和が嘘をつくとも考えにくい。
「本当に、会ってるのか?」
「千種さんにとっては……多分それほど……重要な出来事じゃ……なかったんだと思います。でも……私にとっては……決して忘れられないくらい……大切な思い出……です」
確かに人によって思い出の重要性には差がつくものだが、日和がそれほどまで大事と言っていることをどうして俺は欠片も思い出すことができないのだろうか。確かに人よりも捻くれてしまっている自覚はあるが、そこまで人としての感情が欠落しているつもりはない。
だとしたら、何か理由があるはずだ。
「もう10年前に……なるでしょうか。両親を失い……誰とも知らない親戚に……引き取られる予定だったんです……。ただ泣くことしかできなかった……私の前に現れたのが……千種さんでした……」
息をすることすら苦しいはずなのに、日和は話すことをやめようとはしない。そして俺も本来ならそんな日和を止めて、早く病院に連れていくなり救急車を呼ばなきゃいけないのにそれをしない。
こうして話している間にも失われていく日和の血液。傷口を抑えているジャケットからも、すでに吸いきれずにしたたり落ち血だまりをより大きくしてしまっている。死へのカウントダウンが無情にも過ぎていっているのは分かっている。
聞くことは他にもあるはずで、日和に危害を加えた犯人は誰なのか、そもそもあの時一体何に気づいたのか。それよりも早く病院に行かなくてはならないとか、思うことはたくさんあるはずなのに。
それでも今は日和の話を聞かなければいけない。今聞いておかなければ後悔する。そんな気がしていたから。
「闇に……両親を殺された私は……絶望の淵にいました……。公園のベンチで……一人でこれからのことに怯えて……泣いていたんです」
「そこに、俺が来たって言うのか?」
「はい……。何気ない……一言でした。“どうしたんだ?泣くなよ”って……。千種さんは……私の頭を撫でて……くれたんです」
懐かしむようにそれを話す日和だが、俺はまだその時のことを思い出すことが出来ないでいた。日和にとっての大切な思い出。だが俺はそれを共有することができていない。
「それでも泣き止まない……私に……このリボンを……くれたんです。お守りだって……」
日和の髪につけられている白いリボン。最初に出会った時から視界に入るたびに、どうにも気になっていた。
日和は力の入っていない手でリボンを髪から外すと、俺にゆっくりと手渡した。古さのせいで少し汚れていたが、それでも白かったはずのリボンは、今や血で赤く変色してしまっている。
「私の……、大切な、お守りでした……」
リボンを受け取ると、朧気ながら少しずつ記憶が蘇ってくる。
そういえば、もういつだったか詳しくは覚えてないのだが、どうしても欲しかったガチャガチャの景品が出なくて何度もまわした景品の中に、リボンのようなものがあった気がする。
今となってはもう何が欲しかったのかすらわからない。覚えているのは、なけなしのお小遣いを使って出たものがそのリボンで、ただただ悔しかったという思い出だけだ。
「あれを、俺は、日和にあげたっていうのか……?」
一度きっかけをつかんだからか、記憶が濁流のように脳内に流れ込んでくる。いつも仲良く遊んでいたはずの友達が、なぜか幼く見え始めてしまった頃。次第にその思いは強くなり、段々と周囲から孤立しはじめてしまっていた。
そんな気を紛らわすために回したガチャガチャも、自身の気持ちを映し出したかのようにうまくは行かない。
虚しくてどうしようもなくて、帰り道を一人歩いていたときに見つけた小さな公園。そこで女の子が一人泣いていた。
その子の泣く姿がどうしても見ていられなくて、半ば押し付けるように持っていたリボンをあげたのだ。
「千種さんにとっては……特に……たいしたことではなかったのでしょう。ですが……私は救われました……」
何かをした方としてもらった方。
双方で感じ方が違うなんてことはよくあることではあるが、いくらなんでもこれは認識に差がありすぎる。俺はそんなに感謝をされることをしたつもりはないんだ。ただ泣いているその子が気になって、ただ泣き止んでほしかっただけ。ただの自分勝手な自己満足でしかなかった。
しかもその後に一緒に遊ぶうち、一時とはいえ荒みかけていた俺の心はその一歩手前で留まることが出来たのだ。感謝をするのであれば、日和ではなくむしろ俺の方だ。
「誰にも……気づいてもらえず……、邪魔者扱いしかされなかった……私にとって、千種さんに声を……かけてもらえた……それだけですごく……嬉しかったんですよ」
微笑みながら話す日和の唇は紫色で、酸素を運ぶ血液が少なくなっていることを如実に訴えかけてきている。
だけど俺はそこから動くことが出来ない。日和の話を黙って聞くことしかできないでいた。
話しに理解が追い付かない。自分のしたことに対する大きすぎる認識の違いと、なぜこの時までそのことを忘れてしまっていたのかという後悔。
様々な感情が行きかう脳内では、すでに正常な判断が出来なくなってしまっていたのだ。
「それから私は……闇と戦うために組織に……入りました。そしてこの高校に……配属されたんです。そこで……千種さんをみつけた……とき、私がどれだけ嬉しかったか……わかりますか?」
日和からしてみれば、それは運命の再会と呼べるものだったのかもしれない。幼い頃に絶望の淵から救ってくれた人に、再び出会うことが出来たのだから。
日和が組織に入るまでに何があったのかはわからないが、その道のりが平坦でなかったことだけは確かだろう。だけどその中で起こった奇跡。その時の日和の気持ちは、俺には想像に余りある。
だけどそこでふと、おかしなことがあることに気づく。あのとき俺は特に名前を名乗った記憶はないし、それに時間もそれなりにたっている。どうやって日和は俺に気づいたというのだろうか。
「組織の力は……それなりにすごいんですよ……?あの時に私を……救ってくれた人を探す……くらい、わけありません」
前から思っていたが、やっぱりお前の組織は危ないんだよ。個人情報も何もあったもんじゃない。組織とやらの前では、どうやら一般市民のプライベートなどあってないが如しのようだ。
「千種さんを……見つけたときからもう……私は千種さんを守る……ことしか考えてません……でした。だからなるべく傍に……いようと思って一緒に……戦うことを提案したんです」
「普通そういうときは危険から遠ざけるもんじゃないのか?」
「傍に……いてくれた方が……守りやすいですから」
それに一緒にいる時間も増えますから、という日和に俺は何も言い返してやることが出来なかった。
つまり日和はずっと前から、それこそ最初に会った時から俺のことを想ってくれていたということじゃないか!?もちろんその状況が再会した時のあれでは、思い出すことなんて難しかったかもしれないけど、それでももっと他の態度がとれたかもしれない。もっと違った時間を過ごせたかもしれない。もっと、違った結末だってあったかもしれないんだ!!
「だったら早く言ってくれよ……」
「言ったら……千種さん、気を使い……そうですもん。その分……時間はかかりましたが、ここ最近は……とても幸せでした」
やめてくれ、そんなこれで最後みたいな言い方は。
「だからこそ……残念です。こんな形で……お別れしなくちゃ……いけないなんて」
「何言ってんだよ。終わりみたいな言い方するなよ!」
おもむろに持ち上げられた日和の手が虚空をさまよう。何かを探すように揺れる手は、俺の顔に触れて動きをとめた。
おい、まさか、もう目が見えてないのかよ。
「最後まで……守れなくて……すみません。千種さんはもう……今まで通り、普通の……生活に戻ってください。そして……私のことは……忘れてください」
俺の頬を撫でる手が優しく動く。だからこそ怒りが湧く。勝手なことばっかり言いやがって。
「忘れられるわけないだろ!まだお前としたいことも行きたいこともたくさんあるんだよ!伝えたいことだってまだ……あるんだよ……」
俺の気持ちをまだ伝えてないだろうが。あの時言いかけてそのままになっている言葉。それすら伝えられていないのに、こんなところで終われるわかがない。
「それにリボンだってまだ買ってないだろ!お前が帰っちまうもんだから、色だってちゃんと考えたんだぞ」
「うれ……しいです。私なんかのために……ほんとにありが……とう……ございま……す」
声が段々と小さくなっていく。日和の命の灯が消えようとしている。
「待てよ!待ってくれよ!」
気が付けば俺は泣いていた。懇願のように、ただ日和に言葉をぶつけていた。失いたくない。やっとお互いに信頼しあえたんだよ。頼むから、どうかお願いだから。
「大好き……で……す」
その言葉と同時に、日和の手が頬から床に静かに滑り落ちた。
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