第24話~真夜中の反省会~
どうする。この状況から一体何ができる。
今俺にできることは何か。手足や体は動かないが呼吸は出来ている。つまり横隔膜や外肋間筋といった、体内組織は活動が出来ているということだ。だから今、こうして考えることもできるのだろう。
だとしたら、筋肉が動かせるのに体が動かないというのはどういうことなのか。自分の意志に反して体が動かない状況とはどういったときか。今できる思考という行動をフルに回転させ、少しでも状況を好転できる方向へと持っていくために考える。
その思いが届いたのか、記憶の引き出しから思い当たる情報を得ることに成功した。
今、俺が動かすことが出来ているのは、自分の意識下でないところで動く筋、つまり不随意筋と呼ばれるものだ。そしてその逆、意識を持って動かす随意筋が、どういうわけか言うことを聞かず動かすことが出来ていない。
だとすれば、あの目の光はその電気信号の経路を遮断するものなのかもしれない。可能性があるとするならそこだ。この効果があの目の光を見ている時に限局されるとするならば、その視線を切れば再び動くことが出来るはず。
しかしそのためには瞼を下ろすなり首を動かすなりをしなければいけないが、残念なことにそれらを動かすのはすべて随意筋だ。
ならばどうする。いや、どうもこうも、こうなってしまった段階で俺にできることはなくなってしまっている。現象に対する解を見つけたとしても、実行できなければ意味がない。何より導き出した回答が正しいという保証すらないのだ。俺が推測できるのは、あくまで現在科学で説明できる範囲。“闇”が常識の外に位置する存在である以上、この現象も、科学という枠組みの外からの攻撃である可能性も大いにあるのだ。
正解はこうなってしまう前に倒しきる。
先手を取るなんて考えではまだ生温い。一撃のもとに倒すことが出来なければ、“闇”を相手取るには不可能ということなのだろう。
動かない体に反して、ベートーベンもどきは悠然と近づいてくる。もはや打つ手はない。となれば後は、あいつに任せるしかないということだ。
「ここで颯爽と日和さん登場です」
ふざけた口上に合わせて、ベートーベンもどきの横っ腹に強烈な一撃が突き刺さる。ただ横なぎに放たれた大鎌による一撃は、慈悲の欠片もなく俺が今まで対峙していた物を数メートル向こう、教室前方にある黒板にたたきつけた。
おそらくこれで勝負は決まった。
日和の一撃と叩きつけられた衝撃で、ベートーベンもどきの本体となっていた肖像画の額縁は破損が激しく、そこから飛び出していた上半身はすでに跡形もなく消え去ってしまっている。後は例のビンに憑りついた“闇”を封印すれば終了。字面にすると、なんともあっけない幕切れだ。
すでに体は動くようになっていた。
俺の推論が正しかったのか、それとも本体の破損が激しく能力が保てなくなったのかはすでにもうわからない。それを確かめる間もなく、日和がすべて破壊してしまったのだから。
「封印と、これでとりあえずオッケーですねー」
当の本人である日和は、すでに真面目モードからいつものおちゃらけ状態に戻っている。その様子から察するに、すでにこの場の脅威はなくなったと見ていいだろう。足を動かそうと思えばちゃんと動くし、首も前後左右問題なく動く。
「千種さん、危ないところでしたねー」
「そうだな」
実際日和がいなければ、あの後間違いなく俺はやられていただろう。それを防ぎ、助けてくれた日和に、俺は礼を述べなければならないはず。なのにその言葉がどうしても出てこない。
感謝の気持ちよりも先に出てきてしまった他の感情が、それを邪魔しているからだ。
「何もできなかったことに対して苛立っているのか、横から一瞬で終わらせてしまった私に苛立っているのか、私の見立てでは多分両方が6:4くらいの比率と言ったところだと思いますがいかがです?」
そこまでわかっていて尚、それを口に出せるお前にはもはや呆れを通り越して感動すら覚えてくるよ。
日和の言う通り、俺の気分がざわついているのはそんな感じの子供じみた理由なのだろう。得体のしれないものと命のやり取りを行っていて、あまつさえ倒すことが目的じゃないにも関わらず湧き出てしまう感情。加えて本来の目的は何一つ達成できていない。
俺は一体何がやりたいのだろうか。
「ちょっと場所を変えましょうか」
笑顔を張り付けた表情をくずすことなく、かといってそれ以上は何も言わず音楽室を出ていく日和。俺も返答を返さずに黙ってついていくことにする。確かにこのままここで話を続けるのはいろんな意味でよくはないだろうからな。
前を歩く日和の小さいはずの背中がやけに大きく見えてしまう。こいつはこれまでの人生を、一体どう過ごしてきたというのだろうか。きっと俺の想像をはるかに超えた経験をしたからこそ、今のこの強さがあるはず。
それを俺が一朝一夕でどうにかするなんて、不可能だということなんて最初からわかっているはず。それなのに俺の気持ちはまるで晴れない。その気分の理由もよくわからない。
「さぁさぁ、とりあえずここで一息つくことにしましょう。すぐにお茶をいれますので待ってくださいねー」
連れてこられたのは新校舎の最上階。そこにある家庭科室だった。
普段から火を扱うこのフロアは、他の階よりセキュリティはきついはずだし、この教室だってしっかりと施錠されていたはずだ。その場所にこれほど簡単に入れるなんて本当に何をどうしているというのだろうか。むしろこの学校のセキュリティは大丈夫なのだろうか。
「今日はいい紅茶の葉を持ってきたんですよー。期待してくださいねー」
そんな俺の心情などお構いなしに、日和は言葉のごとくお茶の準備を始めていく。壁際に並べられた棚の中から、カップやティーポット、ソーサーなどを取り出していく。
紅茶の缶を机に置き、てきぱきと用意を始める日和の姿に、もう、なんというかどこから突っ込んだらいいものなのか。ここはお前の家かよ、という安直な突っ込みを思いつきもしたのだが、『家のようなものですよー』という回答が聞こえて来たのでやめておいた。
心具については何もつかめなかったが、未来予知でも習得したのかもしれないな。
夜の家庭科室に、火にかけられたやかんのお湯が沸く音が静かに響く。
なんとなく俺と日和の間には、先ほどから会話らしいものは何一つない。もっとも、その原因を作っているのは他ならない俺なのだから、俺から何かを言うべきなのだが一向にいい話題が思い浮かばない。それもまた、さらに俺の苛立ちを加速させていく。
「何かつかめました?」
聞かれるとわかっていた問いだが、俺はそれに答えなかった。
掴むも何も、そもそも心具を出そうとすら考えずに突っ込んでいっただけ。戦えば何か見えるかもという安易な考えで戦い、相手の策にまんまと嵌った。きっかけどころか、どちらかといえば無様を晒したというのが正解だろう。
「質問を変えましょうか。今回の相手についてどう思いましたか」
俺の無言を想定していたのか、日和は質問を変えて来た。自分が出来なかったことに対して八つ当たりをするような、こんな子どもじみた態度は取りたくはないのだが、自分の不甲斐なさに苛立ちが止まらない。
しかし、流石にいつまでもそんな態度を取り続けるわけにもいかない。今は今回の戦闘に対するいわば反省会のようなもの。ささくれ立った心を見なかったことにして、日和の新たな質問に対し考える。少しでも別のことを考えていたほうがまだましだという判断もあるのだが、どちらにせよやることは同じなのでどうでもいい。
「人体模型と比べてスピードはなかったし、こっちの想定通りに先手もとれたし攻撃も入った」
ついさっきの戦闘を思い返す。
結果的には何もできなかったに等しいが、少なくとも初手だけは自分の思い通りに事が進んだと言っていいだろう。
「ベートーベンもどきが完全に後手だったっていうのもあるけど、反撃も回避できたし、あんな能力がなければもう少し攻撃を入れられたはずだ」
命のやり取りに『もし』なんていう甘い言葉は通用しない。光る眼による体の硬直も含めて相手の力なのだから、それを喰らった段階で俺の負けなのだ。これはスポーツの試合でもなければ、まして法律が守ってくれるものでもない。
殺るか殺られるか。
わかっていてもそんな言い訳が出てしまうのは、果たしてなんでなんだろうな。相手がきっと、日和じゃなければそんなこともないのかもしれない、と考えてその思考を止めた。
「ベートベンが敵だった時点で、光る眼については考慮に入れとくべきだったのに、安易に目を見た俺のミスだ。心具についても何もわからなかったし、ただお前の足を引っ張っただけってのが今回の結果だよ」
一度言葉が出てしまえば、後は簡単だった。
反省点なんてすでにわかっていたし、敗因だって当然理解している。それでもここまで言葉にせずに黙り込んでいたのは、俺のつまらない見栄とプライドのせいだ。
「目的の心具についても何もわからなかった。優先すべきものを差し置いて、勝てない相手に特攻して負けた。何も得られなくて当然だ」
言いたくなかった胸の内をすべて吐き出した。
言葉にすれば自分の悪かったところがいくらでも出てくる。これでは“闇”に勝つどころかどこかで犬死にしてしまうだろう。日和に呆れられても仕方がない。むしろ冷静に叱責してもらった方が、今の俺にはいい薬になるはずだ。
少なくとも俺は今回の戦闘にいいところなど何一つ感じていないし、むしろ悪い点ばかりが思いついていた。そして、日和もまた俺の行動にきっと落胆していると思っていた。
「……驚きですね」
しかし、日和の方はどうやらそうではなかったらしい。
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