第15話~絶体絶命~
恐怖でのどが干上がるのを感じるが、もはや叫び声をあげるほどの余裕もない。
もう警備員に見つかる、見つからないはどうでもいい。むしろこの状況なら、誰か第三者に助けを求めたほうがいいのではないかとも思う。
廊下を走る背後からは、再び人体模型がこちらを追い、走り出した気配と足音がする。
「なんだってんだよ、くそっ!!」
せっかく全力で昇ってきた階段を、今度は二段飛ばしで降りる。
この後一体どこへ向かえばいいのだろうか。このまま一階にたどり着いたとしても、どの出入り口も施錠がなされているはずだ。開けて出ればいいのかもしれないが、果たして背後に迫る奴がそんな時間を与えてくれるだろうか。
さっきだって、それなりに距離を離したと思っていたにもかかわらず、いきなり真後ろに現れたのだ。
もし次、あそこまで接近されるような状況になってしまったら。出入り口の鍵を開けている最中に追いつかれてしまったら。
おそらく次は逃げきれない。根拠はないが漠然とそんな予感がする。
二階に差し掛かったところで一度急停止をかけ、再び廊下に出る。
走るその後ろから聞こえる足音は、先ほどからつかれず離れず一定の距離を保ちながら追いかけてきている。その音から察するに、それほどの距離があるわけではないだろう。
やはり扉の施錠を開け、そこから脱出するのは厳しい。いっそのこと今いる二階あたりの窓から飛び降りたほうが、よっぽど現実的な気さえするくらいだ。
だが、果たしてあれは俺が校舎内から出たからといって追うことを辞めるのだろうか。そこで追うことをやめてくれるのならいいが、もしそのままだったとしたら。二階から飛び降りることで万が一足などを俺が負傷したとしたら。
そこから先の惨劇はあまり想像したいものではない。そう考えるとやはり校内からの脱出は難しい。しかしだとしたら俺はこの後どうすればいいのか。
逃げ続けるにも体力がいつまでも持つわけがない。アドレナリンが相当量出ているはずの現状ですら、すでに足は痛み、呼吸も辛くなってきている。スピードが持続できなくなり捕まるのはもはや時間の問題だ。
それならばどうする。
ひとつだけだが、今の状況を打破する方法はあるにはある。しかし、その案を考案している本人ですら正気の沙汰とは思えない方法だ。
一言で簡単に言うなら、あの意味不明な人体模型と闘って破壊する。
いかに怪談的要素が満載なあれも、そこに物質として存在していることは間違いはない。現に先ほどあれは俺に触れているのだ。それはつまりあれがこの世のものでないとか、まして幽霊だとかという類のものでないという証拠ではないのか。人間という物量をもつ存在に触れるためには、相手も相当する物量が必要となる。
動いている原理はさっぱりだが、言ってしまえばただの人体模型。所詮はプラスチックなどの合成高分子でできているものにすぎないはずだ。それならば叩き壊せないことはない。少なくとも、片足だけでも損傷させてしまえば逃げ切れる公算は飛躍的に増す。
廊下を走り、再び階段を上に昇りながら考える。
戦うという選択肢を取るとは決めた。あれの目的が何で、果たして本当にこちらに危害を及ぼそうとしているのかはわからない。
だけど、俺の本能のようなものが警鐘を鳴らすのだ。あれは危険だ。絶対に近づいてはいけないと。それは先ほどの一度きりの接近で余計に大きなものとなっている。あれが追ってきていて、逃げ切れない以上迎え撃つしかないのだ。
なら次はどういう手段をもって戦うかだ。
俺に残された時間は多くはない。今こうして知恵を絞っている間にも、体力は減り続けている。あれと戦う以上、ある程度の体力は温存しておくべきなのは間違いない。
階段を一階分だけ昇り、三階をまた走る。でたらめに走ることで、少しでも距離を稼げればと思っているのだが効果は薄いようだ。背後から聞こえる足音が、ちっとも小さくなりはしないのだから。
それでも走る。確かこの階にはあの教室があるはず。この階の端、二つの教室の壁をあえて作らずにおいたらしい、多目的室という名の物置部屋。
その部屋の前にはいつも入りきらなかったのか、単にしまうのが面倒だったのかはわからないが、パイプイスが出しっぱなしになっていたはずだ。
後ろから迫る足音が心なしか大きくなってきている。人体模型が追い付いたというよりは、俺の体力がそろそろ限界なのだ。
足が重い。
折れそうになる心を奮い立たせてひた走る。あの角を曲がれば多目的室が見えてくるはずだ。
半ば前のめりになりながらも、ようやくそこにたどり着いた。そして予想通り目当ての物はそこにあった。
「これで……!」
体力はもうない。
迫る足音はもうすぐそこだ。おそらくその曲がり角の向こうにまで来ているだろう。やるしかない。
多目的室の前にいくつも立てかけられているパイプイスの一つを手に取り、一気に方向転換をかけ、曲がり角へとこちらから向かう。
チャンスは一度きり。狙うはお互いが交差するときを狙ったクロスカウンターだ。
とにかく相手を一撃で沈めなければいけない以上、より大きな威力が求められる。中途半端な攻撃では防がれるか耐えられ、その後にこちらが攻撃を受けてしまうかもしれない。
こちらからも向かっていっているせいか、人体模型の足音がどんどん大きくなる。
お互いが曲がり角に差し掛かるまでおそらくもう二秒もない。とにかくためらうな。やられる前にやれ。
「くらえ!」
パイプ椅子の一番固い足の部分で、思い切り頭部と思われる場所へのフルスイング。
夜の廊下に響き渡る鈍い音。間違いなく手ごたえはあった。現にインパクトの瞬間、当たった場所から生じた振動が、手を通し体の芯まで響いてきている。
ほとんど不意打ちの攻撃。しかもこちらが走る力と相手の走る力を合わせた合力。これを普通の人間に行えばよくて大けが、ほとんどは死に至るほどの威力なはず。だというのに、それだというのに目の前のそれは倒れない。
「冗談きついだろ…!」
正面からクリーンヒットしているはずだが、そんなことはまるで意に介していない。そもそもそれに痛みを感じることなどがあるのかも疑わしい。
考えたくもないことだが、少なくとも俺の攻撃はそれにとってなんのダメージを与えることすらできてはいなかったのだ。
こうなってしまっては他に打つ手はない。
再度距離を取り次なる手段を考えるしかないのだが、流石に相手もそこまでは甘くはなかった。
パイプイスを持つ俺の手をそれがつかむ。こちらがそれに気づき手を引こうとした瞬間には時すでに遅し。とてつもない力に押される感覚を体に感じたかと思う間もなく背中に受ける強い衝撃。
どうやら俺は思い切り突き飛ばされたらしい。背中に受けた衝撃から呼吸が怪しいが、うっすらと目を開けると眼前には先ほどまでいたはずの廊下が見える。
背にしていた多目的室に向けて突き飛ばされた俺の体は、扉をぶち破り教室の中に転がっているようだった。すさまじい轟音をあげていたにも関わらず、俺がそれに気づけたのは背中に感じた激しい痛みの後。それだけの衝撃を受けて背中の痛みだけで済んでいるのは、投げ飛ばされた先がよかったからだろう。
背中に触れているのは体育の授業などで使用されていたマット。
だいぶ劣化しているところを見るに、新しいものに更新された際にここに突っ込まれたのだろう。
その隣には跳び箱や石灰などの、体育の授業で使用される物品や、調理器具などの家庭科で使われるものもいくつか転がっていた。なぜこんなものがここにしまわれているのかは知らないが、投げ飛ばされたのがあっちの固い方じゃなくてよかったと思う。もしあちらだったら、打ち所が悪ければ最悪の事態になっていたかもしれないからな。
もっとも、今の状態がいいのかと言われれば決してそんなことはない。
人体模型の攻撃に対しては、運のおかげで助かっただけ。今も教室の外にはあれがいるはずだ。いつまでもここに倒れこんでいるわけにはいかないが、一体どうしたらいいかなどわからない。
四肢に力を込めてみるが、いたるところをぶつけたらしく、痛みは残るが問題なく動かすことはできる。
外にいる人体模型の気配が、ゆっくりとこちらに向かってきているのを感じる。どうやらこのまま見逃す気はないらしい。
逃げ出そうにも、出口は今しがた俺が投げ飛ばされて外れている扉部分だけなのだが、そこから出れば人体模型に自分を差し出すようなものだ。
後ろに窓はあるが、ここは三階。飛び降りるわけにもいかないし、長年閉じられたままの窓は空くかどうかも不明だ。
もう一度攻撃を試みようにも、生半可な攻撃ではかすり傷ひとつ与えられないことは、先ほどの攻防の中でよくわかった。
まさしく八方塞がり。このままただやられるのを待つしかないのか。
いや、そんなのは冗談じゃない。確かにそんなに愉快な人生じゃないかもしれないが、こんなところで終わりになどしたくはない。やってみたいことだってまだまだあるし、少しくらい恋愛だってしてみたい。こんな時に邪な願いだということはわかっているが、それが俺の嘘偽らざる思いだ。
それに、まだあいつと、日和との話が済んでないんだ。
どんな結果になろうとあいつともう一度ちゃんと話す。そのためにこの場をなんとか凌いでみせる。
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