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日常と非日常の境界線 ~闇と戦う少年の物語~  作者: ナル
第1章 学校の怪談編
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第10話~激怒~

 日和が言うだけのことはあって、運ばれてきたパンケーキは確かに絶品だった。ほどよい生地の塩加減と生クリームの配分が抜群であり、シンプルさの中に匠による計算しつくされた精密さを兼ねそろえたようなそんな味。これなら少々値が張るのもうなずける。

 もっともそれが俺の口に入ったのは最初の一切れだけで、残りはあっという間に日和の胃袋に収まってしまったのだが。小さいくせにこいつの胃袋はどうなっているのだろうか。


「いやー、私、今なら死んでもいいかもしれませんよー」


「ずいぶんと安っぽくなったもんだなお前の命」


「何を言ってるんですかー。これだけのパンケーキはそう食べられませんよ?女の子にとってスイーツの価値はそのくらいするものなのです」


 千種さんはもっと女の子を学んでください、などと言いながら、甘い匂いを放つココアを満足げに飲む日和。その様子は子ども以外の何物でもないのだが、これもまた言わぬが華だろう。

 仮に日和の言う通りだとしたら、世の中の女性の人口は軒並み減少の一途をたどることになってしまう。

 もっとも日和にとってこのパンケーキがいかに重要なのかということは、俺をここまで強引に連れてきたあたりからも伺えるので、これ以上の余計なことは言わないでおく。

 まったくもって懸命な判断だ。店内という逃げ場のない空間で、先ほどのように印象操作的な捏造でもされたらたまったものではない。冗談抜きで社会的に抹殺されかねないのだから恐ろしい。


「千種さん、浸っているところ申し訳ないのですが口が半開きなので閉じていたただけませんかー」


 どうやら自分の思考に入り込みすぎて意識がお留守になっていたようだ。慌てて表情を正すが、その経過を見ていた日和の視線が、まるで哀れなものを見るような目だった。

 自分の方が年上のはずなのだが、どうもこいつと話していると調子が狂ってしまう。しかしそれをどこか楽しんでいる自分もいるのだから始末に負えない。

 一か月前の自分からは想像もできなかった変化だ。それがいい変化なのか、あるいはただ流されているだけなのかは定かでないが、少なくとも今の環境を悪く思っていないのだからきっといい変化なのだろう。


「ところで」


 運ばれてきたパンケーキもなくなり、今飲んでいるコーヒーも後一口で終わる、そんな時だった。

 日和が不意に口を開く。店内のBGMがちょうど入れ替わりのタイミングで無音となっていたせいか、そのたった一言が嫌に大きく耳に届いた気がした。


「一か月前にお話しした件、考えていただけましたか」


 沈黙。


 一か月前の話、つまりは闇がどうこうという与太話。俺と日和の不思議な関係が始まった日の話。

あの話のあった翌日から今日まで、日和の口からそのことについては一度も出ていなかった。完全に忘れていたわけではないが、そのことを意識の奥底に飛ばしていたことは事実だ。

 というよりも忘れるように努力していた。

 正直に言おう。俺は日和と過ごす時間を間違いなく楽しんでいたし、これからも続けばいいと思っていた。友人も少なく、決して人間関係がうまくはいっていなかった俺にとって、日和と一緒にいることが何よりも楽しくなっていたのだから。


「私はこの一月で、それなりに千種さんの信頼を得ることができたと確信しています。その証拠にこうして校外まで一緒に来てくださいました」


「それはお前が強引につれてきたからだろう……」


「本当に来たくないのであれば、逃げ出すタイミングはいくらでもありました。それ以前に用事があるとでも言われれば、私も後日にしたと思います」


 静かに告げる日和。雰囲気の変わった日和の言葉にはあまり抑揚がない。

 そして言われたことはまさに図星。

 実際、本当に嫌であればここに来る途中でも日和をまくことなど造作もなかった。しかしそれをしなかったのは、単純にする理由がなかったから。つまり俺は俺の意志でここまで一緒に来たのだ。


「お前は俺の信頼を得るためだけにこの一か月一緒にいたってことか」


「語弊はありますが概ね間違いではないでしょう」


 その言葉に、少なからず俺はショックを受けたんだと思う。

 最初の頃はただのねじのぶっ飛んだ奴だとしか思っていなかった。しかしこの一か月を一緒に過ごす中で、間違いなく日和という存在は自分の中の、他人との距離の境界線を越えてきていた。

 だけど結局、それは俺の信頼を得るための日和の計画の内であり、俺は日和の掌の上で踊らされていただけ。思惑通りに思考を誘導されていただけ。


「失礼は承知の上です。それでも私は千種さんに協力していただきたいと思ったから、こうして正直にお話させていただきました」


「だとしたらそれは逆効果だったな」


 面白くもなかった高校生活。このまま卒業まで続くと思っていたつまらない毎日。そこに突然やってきたおかしな後輩。何かが変わるんじゃないかと期待してしまった自分。


「俺の答えは前にも伝えた通りだ。証拠や根拠のないことを信じる気はない。他をあたってくれ」


 財布の中から札を取り出そうとするが、あいにく細かいのが入っていなかった。仕方ないので一万円札を取り出し伝票の上に置く。

 もったいないがまあいいさ。

 手切れ金と少しの間ではあったが、俺に楽しい時間を過ごさせてくれた礼だ。たとえそれが俺を利用するための計画だったとしても。


「どうしても私に協力してはもらえませんか」


 問いかける日和の顔は極力見ないようにする。情にほだされていいことなんてひとつもない。


「闇の脅威は間違いなく迫ってきています。私一人でできることにはどうしたって限界があるんです」


 その一言に俺の中で抑えていたものがあふれるのを感じた。

 それは何も日和だけに対する物ではなく、今まで抑圧していたはずの心の奥にあるどろどろとしたもの。寂しさや辛さ悲しみなどの負の感情の集合体。

 それを日和にぶつける。ただの八つ当たりだ。


「お前いい加減にしろよ」


 口から洩れるのは自分でも驚くほどの低い声。


「お前の言っていることが仮にすべて真実だったとして、実際に脅威が目の前に迫っているとしてもだ。お前のしたことが俺に対する裏切りであることに変わりはないんだよ」



 両親が忙しく一人で過ごすことが多かったのは誰のせいでもない。

 友達が少なく、一人で過ごすことが多くなってしまったのは自分のせいだ。

 誰に対してもどこか一歩引いたところから接してしまうのも自分の考え方のせいだ。

 それなのに今だけはどうしても我慢することができない。日和を少しでも信頼してしまった自分と、裏切られたという事実。それが今までの過去の気持ちまでをもそっくり乗せて日和に向かってしまう。


「自分のしてることをよく考えろ。どこまで最低なんだよ」


 口から出た言葉は戻ってはこない。

 だからこそ、これまでの人生で発言には十分に注意し、言葉を選んで生きてきたのだ。

 それでも今回ばかりは我慢できなかった。日和との時間が居心地がいいと感じてしまった。だから余計に許せない。


「じゃあな」


 荒々しく席を立ち日和の横を通り過ぎる。

 通り過ぎざまにちらりとその顔を見たが、見なければよかった。見なければこんな感情を引きずることになることもなかったのかもしれない。


「……」


 引き結ばれた唇は何かを耐えるように固く噛み締められている。


 その表情を俺は知っている。


 感情を殺して、耐えて、我慢して。溢れるものをすべて押し込めているときに出てしまう表情。

 だけど後ろを振り返ることはしない。歩みを止めることもしない。ただ黙ってそのまま店を出る。

 俺ははっきりと決別の意志を伝えたんだ。ここでそれを翻し、このまま中途半端な状態を続けることはお互いにとって良くないはずだ。あいつにはあいつの言い分があり、俺はそれを突っぱねた。これ以上の交渉の余地などない。


「くそっ」


 だというのにこの感覚はなんだ。

 先ほどまでの怒りはすでにどこかに霧散してしまっていて、残ったのは胸に広がる虚無感のみ。一面すべてが焼けてしまった荒野が広がるような、そんなどこまでも無が広がる感覚。俺は一体どうしたいのか。もはや自分正確な感情すらつかめず、ただ何かを失くしてしまった幼子のような、おぼつかない足取りでその場を後にするしかなかった。


 ここに来るときは、あんだけ楽しかったんだけどな。


おかげさまで10話に到達しました。

もし少しでも気に入っていただけたり、続きが気になると思って頂けましたらブックマークなどして頂けると泣いて喜びます。

是非よろしくお願いします。

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