知らない顔
―――時を遡ること8時間前―――
季節は冬、それに見合った格好といえるだろう。
制服である学ランの上にちょっとしたコート。
首には5年前の誕生日に買ってもらったマフラー。
更に腹が弱い系男子の俺には手放せない母さんお手製の腹巻き。
これらすべてを身につけていてもまだ登校する際は全身に力が入る程度には寒かった・・・はずだ。
なのにこれはどういうことだろうか。
照りつけられたアスファルトはゆらりゆらりと揺れている。
先程まではいつ真っ白な雪が降ってきてもおかしくない曇天が直視できない程の晴天。
あまつさえ大量のセミの鳴き声。
混乱した。
それも無理はない。今さっきまで家から出て、寒い寒いとつぶやきながら体を震わせ歩いていたのだ。
学校近くまで来て、便意を催したユウは目の前の公園のトイレに入った。
「ふぅ・・・出た出た、今日は何か良いことがあるかも知らん」
無事、毎朝恒例のウン占いを終えていざ学校へ、と浮足立って外へ出たつもりが。
「うおッ!?」
突然耳を貫くセミの声にギョッとしてその場にへたり込んでしまった。
と思ったら今度はこの灼熱の中に完璧な防寒対策をしたユウ。ものすごい勢いで汗が吹き出た。
「あっついっ!!!!」
何が起こったか分からないまま、慌ててマフラーをとり、コートを脱ぎ捨て、ブレザーのボタンに手をかけた。
その時、違和感に気付く。
いや、正確に言えば次に気付いたのは、制服である。
ユウが行ってる学校はブレザーではない。もはや違和感じゃないところがない。
「これ・・・どうなってんだ・・・?」
意味不明な状況で、ふと思い出す。
昨晩観た映画で主人公が突然事故で命を失うが、その記憶を保持したまま異世界へ転生する、というものである。
「おいおいウソだろ・・・!?」
すぐその映画を思い出し、自分を重ね合わせた。
「俺・・・死んじまったのかよ・・・」
顔が青ざめる。
もともとユウは物事をすぐ受け入れてしまう人間ではある。が、流石にココまで突拍子もない出来事が起こったのは初めてである。
混乱した頭で少し興奮を抑えようとトイレの横にあるベンチに腰を掛ける。
ベンチに腰をかけたまま自然と昨晩観た映画のオチを思い出していた。
もし昨晩観た映画が、転生した後の主人公が無敵で、ハーレムを作り、世界を救う!といったものなら少しは報われたかもしれない。
俺が観た映画は、転生した主人公は、周りの人間にだれかれ構わず事情を訴えかけるが、誰にも相手にされず、更には国から追放されてしまい、衣食住を確保できずにサバイバル的な生活を送り、最後にはその世界でも死んだのだ。しかもハゲてた。
「イヤだ!死にたくない・・・!ハゲたくない!!」
無意識に言葉が出てきてしまった。
俺は一体どうなったのだろうか・・・そもそもここはドコなのだろうか。
普段は極力ポジティブに物事を捉えようとしているユウも流石に今ばかりはネイティブである。
しばらく座り込むうちに歩けるくらいまでは力が入るようになってたため、トイレへ戻った。
もしかしたらここから出た時、元の場所に戻ってるかもしれない。
その観測的希望はあっけなく打ち破られる。何度トイレを行き来しても暑いまま、セミはうるさいままだった。
またしても絶望に見舞われたユウはそのまま便座に腰を落とす。
完全に光を見失ったユウは為す術なくただ座り込みそのまま目を瞑って時間だけが経過していった。
―――――――――――――――――――
――――――――――――
――――――
――
「お前昨日なんで電話出なかったんだよぉ~」
ハッと目を覚ました。外を歩いていた学生の声がトイレまで漏れてきたのだろう。
「電話!!」
慌ててズボンのポケットに手を突っ込み、汗でビショビショになったスマホを取り出す。
服を着たままシャワーでも浴びたのではないかというくらい濡れているスマホを見つめ、恐る恐る電源ボタンを押す。
パッと画面に明かりがつき、見覚えのあるホーム画面が映し出される。
「防水加工で良かった・・・!」
初めて防水加工に感謝した瞬間であった。
「まずは日付・・・!」
そう、あくまで昨晩観た映画が異世界転生モノだったというだけで今自分が本当に異世界に飛ばされたという確証はないのである。
実際今確認できている違いといえば季節だけなのである。
もしかしたらタイムワープの可能性もある。
ホーム画面に出ている日付を確認するユウは固まった。
「・・・?」
ホーム画面には
2017年7月20日
と表示されている。
「つまり・・・未来!?」
なんてこった、まさかタイムワープだったなんて!!
正直この時ユウは少し安堵した。
何故なら異世界と違い、タイムワープなら知っている人間が存在する可能性が高い。
「これなら助かるかもしれない・・・!」
猛暑の公衆トイレにこもりっきりで尋常じゃない程の汗に若干の涙が混ざる。
「へへ・・・良かった・・・」
グシュグシュと鼻水をすすりながら個室の外に出る。
「汗と涙で気持ちわりいや・・・喉も乾いてたまらん・・・」
若干とは言え、先程と比べると心が軽くなったと同時に喉の渇きを思い出す。
公衆便所内に取り付けられた蛇口をひねり勢い良く流れ出た水を両手いっぱいに救い、顔にぶちまける。
爽快な涼感を得たユウは備え付けられた鏡を不意に見た。瞬間。
心臓を金槌で殴られるような衝動に襲われ、息を飲み込めないまま唖然となる。
無意識に体が後ずさり、ソレに向かって一言、たった一言を絞り出すように声に出す。
「誰だ・・・お前。」
ソレには、知らない顔の人間が映っていた。青ざめた顔で。