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ぼくのなかにいる  作者: 人工的な深爪シール
序章:彼は現実を知る
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007:共闘

 気分が悪いし心地も悪い。

 泥沼から這い上がった気分だ――いや。

 実際に僕は泥だらけだったな。

 ぐっちゃぐちゃのどろどろだった。

 土の匂いがした。

 体が嫌に重い。

 左脇腹に激痛。

 抉れている。

 とめどなく血液が溢れている。

 触れてみるとゴッソリと肉が削れているのが見ずとも理解できた。指先の触感は正直信じ難いものだけれど、この痛みと出血量からして幻覚の類ではない。

 これは、現実だ。


「う……ぐ、っ」


 引きずられるように血痕が地面に付いていく。

 この出血量はまずい。

 死が、目に見える。


 この世界に来て、実に三回目の死に目である。

 死に目に見えているが――止めるわけにはいかないのがなんとも辛いところだ。

 取り返すまで、死ぬわけにはいかない。

 やらなくてはならない。


 行くぞ。


 僕はそう自らを鼓舞して歩き出す。

 目指すのは馬車だ。数十メートル先で、車輪が外れて進路を逸らし止まっている馬車。

 そこで武器を取って、装備を整えて、追いかけて、それから薬を取り返す。

 何を必死になっているかはわからない。

 何故必死になっているかもわからない。

 ただ、そうしなくてはならないような。

 そんな気がした。


「……馬鹿かよ、僕は」


 多分馬鹿なのだろう。

 行動と思考が矛盾していることこの上ない。

 まるで身体だけ別人になったかのような錯覚すらある。

 感覚は自分。

 だが、身体そのものは他人が操っているかのような――いや、意識までもが、誰かに侵食されている気がする。

 僕が、僕でないような。

 僕でなくなるような。

 そんな気がしてならないのだ。


「っふー……」


 まあ。

 どちらでも良い。

 少なくとも、今気にすることじゃあない。

 僕の目的は、そこにはない。


 馬車に一歩ずつ近付く。

 馬は衝突したあと、どこへなりと消えたようだ。逃走に利用された可能性もなくはないが、そんな事故のあと馬がまともに走れるとも思えないので、考えなくていいだろう。

 馬車そのものは、二つある車輪のうちの一つが外れ、大分地面と擦ったようで、左方向だけが泥にまみれて欠けていた。

 泥にまみれて――馬車の左側についた血痕はかなり誤魔化されていた。

 流石にやり過ぎたような気もしなくもないが、過ぎてしまったことは仕方がないので気にしないことにする。

 それに、同情するような人間でもないだろう。


「っと」


 傾いた馬車に乗り込むと、ぎ、と床が軋む。

 衝突のダメージのせいか、馬車は激しく傷付いていて、再利用は出来そうにない。

 内装も大概酷い。商品やらなんやらが床に散乱し、足の踏み場もない状態だ。


「……色々と申し訳ないな」


 お金も持っていない僕がやらかした内容はかなり重い。これの持ち主にバレたらそれはそれで問題が起きそうな気がする。

 何なら奴隷落ちだってあり得そうだ。

 ……。

 いや、前向きに考えろ――というかそんなことは考えるな。

 責任の取り方はともかくとして、せめて後始末くらいはしないといけない。

 そのためには、床に転がっている回復薬を飲んで体を治さなければならない。

 なお、これも無断摂取である。

 いわば盗難。

 ……あれ、着々と奴隷落ちに近付いている気がしないでもない。

 いや、気のせいだろ。

 多分。


 何も考えず、転がっていた瓶を数本掴んで飲み干す。道徳心とか、もはやそんなことを考える余裕はない――取り返すことだけに思考の大部分を占領されていた。

 喉は全く乾いていないし、お腹だって空いていないが、飲まなくてはこれ以上の行動は厳しいと言うのが正直なところだ。


「……っ」


 薬を飲むと多少傷が塞がった――どうせまた開くだろうが、時間稼ぎにはなる。

 まだ、生きられる。


 さて、問題の冒険者の薬だが。

 雁字搦めだった薬は、そこにはなかった。

 あの呪いのような拘束が施されていた薬はなく、床に打ち付けられていた杭はボロボロに腐食しており、それに巻きついていた鎖も錆び付いていて、魔術文字のようなものは見る影もなくなっていた。


 あの盗賊の姿は、既に馬車にはない。

 だが、慌てる必要はなかった。

 逃げた方向は知っている。

 見ている。

 僕がやるべきことは、男を追い掛けて薬を取り返すこと。

 休んでいる暇はない。


 取り敢えず、僕はナイフと剣を盗賊の遺品から取り上げ、ベルトに差し込んでさっさと馬車を後にした。

 早いとこ追いかけなくてはならない。

 馬車から出て男が逃げた方向に目を向けると、かすかにだが男の背中が見えた。


 歩いていては間に合わない――僕は既に限界であるはずの身体に鞭打って走り出す。

 ただ、既にボロボロな体である。走るたびに、筋肉を使うたびに血が傷から噴出してくる。


 しかし、僕は気にならなかった――いや、気にすることが出来なかったと言うべきか。

 痛みは、とうとう麻痺していた。

 脳が痛みを認識しない。

 受け入れない。


 僕が走っていると、思いのほかぐんぐんと距離が縮まっていく。

 思ったより離れていないようだった。

 いや、というか――立ち止まっている?


 どんどんと男の姿が大きくなっていくと、異常に気がつく。

 男が、誰かと口論している。

 こんな森の中でだ。

 背が低く、体は細く、明らかに綺麗な身なりをした、男とは対照的な存在が、危険人物に立ち向かっていた。

 ……女の子、か?


 一瞬、男の仲間かとも思ったが。

 仲がよさそうには見えないし、なにより僕が事態を把握する前に、その二人は揉み合いになった。

 何らかの話が決裂したらしい。

 大方、女の子の方が男の怒りを買ったのだろうが、僕はそれを止めることはできず――男の太い腕が少女の頭に振り下ろさた。

 丸太のような腕から繰り出された打撃に、女の子は糸の切れた人形のごとく倒れこむ。


 少女は、異世界では珍しい黒髪だった。

 倒れる黒髪を、僕は静観していた。

 見ていた。

 そして、()()()()()()()()


「――っ!」


 覚えている。

 僕の隣で息を引き取っていた委員長。

 そして、委員長の隣で気絶していた()()()


 その記憶が、一ヶ月ぶりに、脳内で鮮明にフラッシュバックした。

 いや。

 今のは、おかしいだろ。

 なんで、僕が見えたんだ?

 なんで――第三者の視点なんだ。


「――っは、はっ、はっ………!」


 息が上がる。

 その荒い呼吸を行う度、僕の景色は過去から現実へと戻ってくる。

 ああ、そうだ。

 僕はまだ、この場所にいる。

 まだ――終わってない。

 切り替えろ。

 思考は――後回しだ。


「動け……!」


 自分自身に命ずるように呟く。

 立ち止まってる暇なんてない。

 今のうちに――盗賊が少女に気を取られているうちが勝負だ。

 ――殺そうとしているうちに。

 僕の優先順位は薬であって、命ではない。

 少女は、助けない。


 その事実を把握した時、ギシ、と身体が軋んだ。

 それと同時に――声。


 ――ふざけるな。


「……っ!」


 脳に響く声に、視界が揺らぐ。

 突然の衝撃に、目に見える景色が歪む。

 来やがった。

「誰か」だ。

 わざわざ釘を刺しに来るあたり、監視でもされてるんじゃないだろうかという気分になる。

 言うことは聞きたくない――だが、声はそんな僕の行動を阻害するかのような衝撃を持って迫ってくる。

 乗っ取られそうになる。

 声が聞こえる度に、ふらつく。


 ――助けろ。


 助けるしか、ないのか?

 しかし――どうすれば良い?

 普通に走っても間に合わない。

 ならば、遠距離攻撃が必要になるが、僕は魔法は使えない。

 とすれば、何か投げるべきか。

 ……どうやって? 何を?

 それにこの距離で――この僕の筋力で当たるのか?

 当たったところであの男を止められるほどのダメージになるのか?


 ――助けろ。


 黙れ。

 僕は、別にどっちでも良いんだよ。

 彼女が死のうが、生きようが――僕の生き方や考え方は変わらない。

 委員長の時だってそうだったじゃないか。

 だから、助ける必要はない。

 薬を取り返す工程上、邪魔になるだろう。

 それどころか、むしろ助けたら、死ぬ可能性が跳ね上がるんだぞ?

 自分が死ぬんだぞ?


「……分かってるんだよ、そんなこと」


 分かっている。

 目に見えている。

 けれど、一瞬でも、彼女と委員長が重なってしまった瞬間に――僕の考えは助ける方向へと動き出した。

 そうするのが当たり前かのように。


「ああ、畜生――!」


 本当に変だ。

 僕が僕じゃないみたいだ。

 前だったら余裕で見捨てていたはずなのに。

 葛藤すらしなかったはずなのに――!


 だが、もう時間がない。

 僕だけの力では助けることはできないだろう。


 ……だから。


 なあ、見てるんだろ。

 分かってんだろ。

 助けるべきなら、お前が助けたいんだったら――


「力を貸せ」


 誰だか知らないが、助けたいんだろ。

 助けろって言ったのはお前だろ。

 だったら。


「お前がそう言うんだったら――力を貸せ!」


 ヤケクソ気味に放った言葉と同時だった。

 僕の右腕に、全能感とでも言うのだろうか、なんでもできてしまうかのような錯覚が宿る。

 ()()

 もう迷うことはない。

 僕は考えるまでもなく、ズボンのポケットに手を突っ込み、目的の物を引っ張り出す。

 ――ひしゃげた南京錠。

 よく残っていたものだ。

 妙な悪運に呆れながら、しっかり握って、狙いを定める。


 ひしゃげていようがなんであろうが、鉄の塊だ。

 狙え。

 当てろ。 

 僕は、自分に暗示して。

 力を込めて――僕は今までしたこともないような見事な投球フォームで南京錠を投擲した。僕の限りなく少ない良い所――コントロールの良さが功を奏した。

 投擲した南京錠は吸い込まれるように男の頭部目掛けて飛んでいき、直撃した。

 ゴッ、と鈍い音を立てて男の頭部から血が舞い、ふらついた。

 男は飛来物の方向に視線を向け、僕の姿を確認した。僕を見て驚いたように目を見開き、それでも少女を殺そうと目線を戻して剣を振り上げる。


 本当に、僅かな隙を作り出しただけだった。

 だが、十分だ。

 足に、全能感。

 僕はありったけの力で地面を蹴る。


 何かが割れた。


 飛び込んだ。


 何十メートルもあるはずの距離を一気に詰めた。

 僕が動いたのではなく、景色が動いたとさえ思えた。

 瞬間移動のごとく。

 僕は男と少女の間に割り込んだ。


 金属音。


「――はあっ、はっ、はっ……!」


 止めていた息を吐き出して、呼吸を整える。

 間一髪だった。

 僕は今にも振り下ろそうとしている剣との間に滑り込み、ナイフと剣を同時に突き出して、振り下ろされた刃を受け止めた。ナイフで刃を受け止め、それを剣で支えている感じだ。

 ナイフと剣の位置逆のほうが良かったかもしれない。


 ちら、と後ろの少女に目を向ける。木に背を預けるようにして、気を失っている――あんな腕に殴られて首が折れていないだけマシか。

 少女が一命を取り留めたことに安堵し、視線を戻す。

 目の前の、盗賊に。


 と、同時。

 横からわき腹を蹴りぬかれ、少女への剣筋を無理やりこじ開けさせられた。


 僕は横に倒れながらも、少女を殺そうとする男を引っ張って狙いを逸らさせる。

 剣筋は少女のぎりぎり上に逸れて、少女がもたれかかっている木の幹を切り裂くにとどまった――とか、そんなレベルではなかった。


 木が――腐り始めた。

 見る見るうちに、溶けるように。

 じゅう、と灼けるような音を発しながら、木が切り口から腐食していく。侵食していく。


「……っ!」


 僕は、無理やり自らの身体を叩き起こし、少女を突き飛ばして、その木から距離を取らせる。

 なんとなくだが、これに触れていてはいけない気がした――そして、その直感は当たっていた。


 次第に、木は真っ黒に腐り、枯れ始めたのだ。


 黒く錆びるように。

 溶解するように。

 腐食する。


 あの薬の封印みたいな奴もこれで溶かしたのか。


 では、あれが。

 あの毒が、人に触れた場合は――どうなる。

 ……考えたくはないな。


「ふーっ……!」


 軋む身体を無視して、顔についた泥と血を拭う。

 そうして――僕はようやく、まともに盗賊と対峙した。

 揺らぐ視界のまま、敵の姿を見ると。


 その盗賊の顔は、有り得ないものを見たかのような、警戒を浮かべていた。

 そして、搾り出すように言う。


「……お前、なんで動けてる」

「……何が」

「何でその傷で動けてんだ」


 男は、僕の全身に視線を動かしていた。

 顔に、首に、胴体に、腕に、脚に。

 僕の身体の傷を確認しているようだ――多分、さっきの鍔迫り合いの状態だと、僕の全体が確認できなかったために気が付かなかったのだろう。


 その時は僕自身も気がつかなかったが、身体は真っ赤に染まっていた。

 血がついてない場所のほうが少ないくらいだ。

 制服はボロボロで雑巾のようで。

 黒い制服は僕の血を吸っているためか、赤黒く変色しており、妙な重さを主張している。

 それでも――残っているあたり頑丈であると思うが。


 そんなボロボロの僕が、動いているのが有り得ない、ということらしい。


 しかし。

 何故、と言われても分からない。

 痛みが麻痺しているから、としか言えない。

 僕には、腕や脚に裂傷があり、腹が裂けていて、全身に打撲痕があった。

 改めて自分自身の傷を見てみると――なるほど、たしかに普通なら戦闘不能になる傷だ。

 まあ、顔の辺りの血はミンチになった盗賊の血なのだけれど、それを差し引いても異常である。

 戦闘不能どころか――死んでいてもおかしくはない。

 どうやら、想像以上に重傷だったようだ。

 血が失われている。

 普通なら、死んでいる。


 こんな怪我をしてまで動く理由。

 自分を誤魔化してまで動く理由。


「……やらなくちゃいけないからだ」

「ああ?」

「やらなくちゃ――僕は僕でいられない」


 僕の存在を否定されそうな気がした。

 だから、やらなくちゃいけないんだ。

 まあ、気がするだけ、なのだが。


 何にせよ――僕は助けないといけないとは思っているらしい。

 あの、女の子を。

 まるで勇者のような思考で、自分でも少しおかしい気がした。

 僕は、そんな性格じゃないはずなんだけどな……。


 先程突き飛ばした女の子を見る。

 僕と同じくらいの年の子だ。

 そして――委員長と同じくらいの子。


 重なっただけ、だ。


 ただ――もう、殺したくないと思う。

 殺してはならないとも。

 たまらなく、可笑しかった。


 ――助けろ。


 ああ、わかってるさ。

 逃げることはできない。

 逃げることはしない。


「助けるさ」


 やってやる。

 今の僕は僕じゃなく、操られているようなものだけれど。

 助けられなかった奴に似ている奴を助けるために、僕は動く。


 それがどれだけ傲慢であるかを理解しながら。

 それがどれだけ滑稽であるかを理解しながら。

 歪んだ正義を執行する。


「さあ、戦闘開始だ」

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