004:盗賊
夜である。
気分を切り替えていこう。
まあ、過去にやったことは変わりない事実であり、一生背負っていくべきなのだろうが、今それを悩んでもどうしようもないというのもまた事実なのだ。
悩んだところで、人が生き返るわけでもない。
精々、前の世界に戻ったら毎日墓参りすることぐらいしか僕に償えることはないだろう。
こういうところが――また、灰沼達を怒らせていたのかもしれないが、僕はこういう人間であり、今更変わることなんてできやしない。
それこそ、別人が僕を乗っ取るくらいしなくちゃ無理だろう。
「……遠いなー」
しかし、相変わらず夜までガタガタと馬車に揺られつつ不法乗車をしており、魔物にまるで遭遇することもなくノンストップで移動したのにもかかわらず、どこかの街に辿り着くことはなかった。一回くらいそういうトラブルがあっても良いと思うんだけれど、実際に止まったのは三つある馬車のうち、良い感じの馬車に乗った商人の娘らしき少女が酔ったらしくゲロを吐いたときに止まっただけだった。
なんて現実的なのだろう。
夢のない話だが、そもそもここは異世界という現実なので、現実的なのは当たり前なのだけれど。
現実的なのは移動も同じようで、随分と国と国の距離があるらしい。
別に、犬少女の傷が治ってしまったので、急ぐ必要はなくなったのだけれど、しかし、それはそれで問題が発生した。
食べるものがない。
馬車の中には薬と、少々の本くらいしか積まれておらず、腹を膨らますものがまるでなかったのだ。
あの回復薬には、空腹を紛らわす成分があったらしく、気付いたときには恐ろしい空腹に襲われた。
今は延命療法で回復薬を飲んではいるが、栄養があるわけではないので、いずれ餓死することもあり得るだろう。
流石に三日くらいなら持つだろうけれど……。
まあ、あとは外で野営している冒険者と商人達からコッソリと頂くという方法もあるにはあるが、見つかった時点でゲームオーバーだ。
リスクが高過ぎてあまり良い手段とは言えない。
我慢した方が得策だろう。
「……祈るしかないか」
ぽん、と読んでいた本を閉じる。
ちなみに、これは同じ馬車に積まれていた本であり、無断で読ませてもらっていた。
薬を無断で飲んでいるので、このあたり抵抗が薄弱になっていることは認めよう。
言語的な問題は変わらず言語変換的な魔法が働いているらしく、なんなく読めたのだが、それはさて置き。
『魔法大全 著:グレイベアード・ファルシオン』
『魔法基礎~ゴブリンでもわかる魔法を知ろう~ 著:レイル』
『歴史の流れ 著:アグル』
隣に積んである本を見る。
この世界の知識を知らない僕としては、新しい事実がてんこ盛りで中々に時間は潰せた。
たとえば、魔法は適正が必要だとか。
イメージが重要だとか。
吸収魔法が禁呪扱いしてあった本があったりとか(なお、その本は賢者と呼ばれた人間が作製したらしいのだが、後々の数々の後世の本に『賢者唯一の汚点』とかでフルボッコにされていた。擁護する本でも、『記述ミスだから』としか記述されてないあたりフォローしにくいのだろう)。
「で……魔王、ね」
魔王。
これもまた、無断で読ませてもらった本の内容の一部。
そして、僕らの最終目標であり、王国によって召還された理由だ。
魔族の頂点にして最強の王。
身体能力、魔法制御、魔力、再生力――全てにおいて人間を凌駕する。
国を一夜で崩壊させるほどの力を有し、それでいて魔王の寿命は不明――世代交代ですら百年以上経たないと行われない。
化け物。
それが、僕ら勇者が倒すべきとされる魔王である。
「敵……なのか」
王国からは「倒すべき敵」と命令された相手ではあるが、しかし、それにしては、文献に悪印象を与えるような言葉が少ない。
そりゃあ、めちゃくちゃ強そうな印象は受けるけれど――化け物なんて揶揄をされるくらいだから、想像を絶するほどに強いんだろうけれど。
でも、完全な敵、ではないような気がする。
世代交代ってことは、魔王は同じ人物ではないってことだろうし、そのときによって敵かどうかは変わるだろうし。
文献もそうだし、化け物、という比喩も引っかかる。
何百年も生きる、化け物。
人生一分一秒大切にしようという風潮があるが、逆に何百年と生きていたらどうなんだろう。
死にたくなるのだろうか。
それより先に発狂するか。
もし、何百年も生きていることで、長い間「何もしない」状態でいたとしたら――。
「何もしない」というのは生物にとって一種の拷問である。そんなものは、死んでいるのと一緒だ。
何もしないのも、出来ないのも、思わないのも、死んでいるのと一緒だ。
本当に、敵なのか。
そもそも――生きているのか?
「……しかし、魔王があんまり書かれてないな」
しかし。
ざっと本を眺めてみたけれど、その中で魔王が世界を滅ぼそうとしている、という文献はやはり思ったほど無い。
御伽噺の中で分かりやすい敵として配置されていることはあったけれど、歴史書で明確な悪として書かれていることはなかった――というか、そもそも書かれていないことが多い。
どちらかと言うと……安っぽい表現になってしまうが、“邪神”なるものが敵であるらしい。
新しい敵出すなよ。
それこそ嘘くさい。
まあ、読んだことをまとめると。
魔王は世界の敵ではないけれど、人類の敵ではあるというのが本を読んだところでの見解だ。
“邪神”は世界の敵とされているけれど、描写があいまいで実際にいるかどうか怪しい――というか、御伽噺っぽい。
火のないところに煙は立たないとは言うけれど、意図的に火を焚きつけるやつもいるので、一概にどうと言うことは出来ない。
……色々見たけれど、どうなんだろう、全部が全部御伽噺に見えてきた。
現実――元の世界になかったものが当然のように記されているので、どれが本当かどうかの判断ができないのだ。だからやたらめたったらに読むことで、情報をすり合わせることで本当の情報を得ようと思ったのだが……。
読めば読むほど何でもあり過ぎて意味が分からなくなってきた。
「……ディベル歴537年、著。ディベル歴945年、写」
本の最後のページにはそう記されていた。
今が何年なのかは知らないけれど、この本が正しいならば、最低でも408年はたっている計算となる。
……400年以上昔の本だとすると、歴史書としても判断が難しいし、何より生きるための知識とは言い難い。
ともあれ、そんな感じで、いつの時代の本かは判断ができなかったものの、それなりの知識は詰め込めた。
特に魔法関係の知識が得られたのは大きい――なんせ、僕は王国に魔法の教育をされる前に投獄されているからな、さっぱり魔法のことを知らなかったのである。
そんな時に正しい知識(『賢者唯一の汚点』と記述されてたということは、それ以外は大丈夫だと信じて)が得られたのは、非常にありがたい。
僕は魔法は使えないけれど。
使えなくとも、対策くらいはできるはずだ。
今は役に立たずとも、そうやって知識をつけていって、実力をつけていけさえすれば、弱くともこの世界を生きていけるはずだ。
別に強くならなくても、適当な商業都市とか過ごせればそれで良い。
そのためには、無事にこの馬車でどこかに辿り着くことなのだが、そこで。
僕は、首を刺された――かのような錯覚を覚えた。
「っか、っは……っ」
兆候も、前触れもない一撃だ。
慌てて喉を抑えるが、傷はない。
無傷だ。
錯覚、気のせい。
確かにその通りだ――だけど、それだけではないと、肌の感覚が言っている。
ゾッとするほどの寒気が脳を刺激する。
「何だ……?」
馬車には犬少女しかいない。
近付いて確認してみても、その犬少女ですら未だ目覚めていないし、犬少女や外にいる冒険者達には変化はない。
だから、この感覚を経験しているのは、僕だけということになるのだろうけれど……だけど、気のせいだとはとても思えない。
周りの雰囲気はまるで変わらないのに――僕の感覚は危険を訴え続けている。
まるで、ナイフを喉元に突きつけられているような殺意が、僕を緊張させる。
それは、まるで勇者達に襲われたときと同じ感覚で。
本物の殺意が、痛い。
僕が殺意を向けられ過ぎたせいで、ついに幻覚が出るようになったのかとも思ったけれど……それよりは、非常識が常識なこの世界では、それが僕の能力だと思う方が納得がいった。
やはり気のせいではない。
僕というよりはこの馬車全体というべきだが、誰かに狙われているのは確かなようだった。
それを証拠に。
僕がその殺意に気が付いて数秒後、外が騒がしくなった。あのカインと呼ばれた冒険者の声が響き渡る。
「ちっ……お前ら! 今すぐに盗賊を片付けて商人たちを守れ! クラークは俺と馬車に向かうぞ!」
盗賊。
馬車、ってことは。
僕は、背後に置かれているあの封印薬を見る。
盗賊の狙いは――この薬か。
乗り込まれたら、僕らがここにいることは速攻でバレる――殺される可能性だって十分にある。
盗賊なら尚のこと、殺処分に躊躇はないだろう。
冒険者なら、まだ生き残れるかもしれないが、しかし。
盗賊にしろ、冒険者にしろ――ここに向かってくるのは時間の問題だ。
「とりあえずは……」
状況と立ち位置を確認しなければ対応も遅れることが目に見えていたので、僕は外の様子を確認しようと、犬少女のもとを離れようとしたところで。
ぐっ、と引っ張られる感覚で、僕は足を止める。
既にボロボロ制服なので繊維が引っかかることもあると思い、そのまま無理やり引っ張っても良かったのだけれど、引っかかったにしては弱々しく、疑問に思い振り返ると――僕のズボンを犬少女が掴んでいた。
一瞬、起きたのかと驚いたけれど――起きて何故僕のズボンを掴んだのか色々と考えたけれど。
よく見たら眠っていた。
……眠ってる、な。うん。
寝惚けて掴んだだけだったか。
僕はその手を外そうとして、犬少女の前に屈み込む。
だから、自然顔が近付いて。
犬少女の呟きが聞こえた。
「……お姉、ちゃん」
「――――」
――お兄ちゃん。
「……ああ、っとに」
僕を求めた声ではない。
けれど、それがトリガーになった。
幻視する。
幻聴が聞こえる。
もういない彼、彼女達を、犬少女に重ねて見てしまう。
守らなければならない、と。
教えられた言葉が、僕を責める。
「……命を優先するか、他人を優先するか。嫌な選択肢を突き付けるね、先生」
こういう場合、僕は自分を優先してきた人間だ――とことん自分本位に動いてきた。
だから、正直ここでも同じことをしようとしていた。
犬少女も――見捨てていたかもしれなかった。
けれど、ここで見捨てることはできなくなった。
「……ほんと、大丈夫か僕」
一人呟く。
自分らしくない。
自分ではない気すらしてしまう。
それでも、記憶の中の彼女らは、目の前の犬少女と類似している。
酷似している。
容姿ではなく、そういう行動が。
そういう風に無意識に頼ってくるところが似過ぎていて、とてもではないが――裏切ることはできなくなった。
……まあ、この犬少女は僕の姿を一度も見ていないので、裏切るも何もないけれど、その辺りは僕個人の問題である。
そもそも助けられるかどうか自信はないしな。
しかし、そうなると見つかることを回避するのは不可能に近くなる。彼女を守ろうとすれば僕がここから離れるのは論外だし、彼女を背負って移動しながら盗賊から逃げ切れるとも思えない。
だから。
僕が、勝つしかないのだ。
馬車に侵入してきた盗賊を倒さなければ、彼女を助けるなど到底不可能だろう。
それに、この盗賊達を迎撃することで、多少は冒険者も多めに見てくれるかもしれないという打算もある。
盗賊を倒し、薬を守ることで僕達が馬車に乗ったことは許されるかもしれない、とか。
許されなくとも、多少免除してくれるかもしれない、とか、そんなみみっちい打算である。
「……それでいくか」
なんて楽観的な考えだとも思ったけれど、そんなものはただの言い訳だった。
彼女を守る口実だった。
それでも、捻くれ者の、人として色々と欠けている僕が誰かを助けようとするには、それがどうしても必要だった。
そんな資格は、委員長を殺したことで無くなったと思っていたから。
「……守る、か。守れるか、僕に」
勇者としては最弱扱いされた僕に、盗賊に勝つことができるのか。
傷一つ負わせず、目の前の犬少女を守ることができるのか。
――いや。
「ここは絶対に守らなくちゃいけないところ、なんだろうな」
犬少女の手をゆっくりと外し、ボロボロの上着をかける。毛布とかあれば良かったんだけど、ほとんど薬しか置いてないからな、この馬車。
――今思えば。
そのときの僕はおそらく正気ではない。
自らの命を優先し、他人の命を切り捨ててきた僕の行動とはまるで当てはまらないと今でも思う。
ただ、きっと、そのときの僕は。
間違っていなかったはずだ。
強くはなくとも。
勇者ではなくとも――正しかったはずだ。
「今度は」
見捨てた命だ。
だからこそ、償うべきだ。
今は、それだけで良い。
僕は、犬少女の頭を撫でる。
洗っていない、汚れた髪で、ところどころ引っかかったりして、とても撫でれたものではなかったけれど。
それでも、僕は撫で続けた。
「ああ、本当――らしくないなあ、くそ」