043:程遠い勝利
ほんとにお久しぶりです。
頑張ります。
その事実を認識したとき、僕の行動は早かった。
僕の取った行動はひとつ――逃亡である。
「……っ」
足元に何故か落ちていた毒剣を拾い上げ、回れ右をしての猛ダッシュ。
見栄なんか張っていられない――とにかく態勢を整えなければ確実に死ぬ。
「逃げられるとでも思ってんのか!?」
後ろから飛んでくる咆哮と殺意を肌で感じながらとにかく距離を取る事に専念する。
駆ける。
ひたすらに駆ける。
自分がどこにいるのか、どこへ向かっているのかもわからず、ただひた走る。
「ぎりぎり、だった……!」
危なかった。
あの一瞬で目が覚めたのは奇跡的だった――そしてそれに次ぐ一撃の回避、そして逃亡。これだけのことが気絶からの寝起きにできたのが奇跡だ。
しかも状況が説明できないことだらけ――何故か僕のそばに上流に刺しておいた毒剣があり、何故か溺れる直前に受けた傷や脱臼が治癒しており、何故か僕の魔力までが回復していた。
認識できない。
こちらからは知ることはできない――か。
けれど覚えている。確かに僕はあの場所にいて、起きたことを覚えている――が、それを考えている暇はない。
今優先すべきは、あのオーク異常種から逃げること――!
「オラアアアアァァ!」
当然――オークジェネラルは逃げた僕を追いかけてくる。
というか、あいつ足がめちゃくちゃ速い。
走り出したのは僕の方が先なのに平気で距離を詰めてきている。奴は川で流されたからか、鎧を既に着けていないし、それ以前におそらく基礎的な部分、足の長さや筋力が向こうのほうが圧倒的に上であるためだろう。
「痛っ……」
傷が痛む。
治ったとは言っても完治していたというわけではなく、ただ塞がっていただけのようで、走り出してから、脇腹の傷がずきずきとその存在を主張してきていた。
速度が出せない。
息つく暇もなく、多少のアドバンテージはあっという間に消え去り、オークは既に僕を槍の射程圏内に捉えていた。
二メートル以上のオークジェネラルは僕が捨てたはずの槍を振り回し襲い掛かってくる。
まずは――上からの振り下ろし!
「っぐ……!」
幸いなことに殺意むき出しの攻撃のため、飛んでくる方向だけはわかる――振り返ることなく横に飛び、その一撃を回避する。
ただ、回避するとは言っても紙一重。来る方向がわかっていても、それはわかっているだけで、安全に避けられるという意味ではない――相手のほうが実力は上なのだ。全力で回避に専念しなければ、先読みをしていても容易に当たってしまうほどの、ぎりぎりの回避。
しかも、オークの一撃は異常な筋力のためか、槍が地面に叩き付けられた瞬間、爆発したかのような強風が巻き起こる。
故に、僕はその一撃の余波である風圧を回避しきれず体勢が崩れる。
「――!」
次。
間髪いれず振り下ろしからの――横薙ぎ。
これは無理だ。
回避が間に合わない!
「『火炎球!』」
僕は崩れた体勢のまま、制御可能範囲で、地面に叩きつけるようにして『火炎球』を放つ。
狙いは、地面に当たることで起こる爆発を利用した強制移動。
僕は爆発によって転がるような体勢になりながらも、槍の一閃を回避する。
「熱っ……」
反動がなくなったとはいえ、それによって起こる爆発の熱に強くなったわけではない。
こんな回避の方法はあまり取りたくはないが、地力で遥かに劣る以上、どうすることもできない。
常に傍に寄り添ってくる死の危険。
その巨躯から放たれる一閃は強風を巻き起こしながら、森の中を蹂躙していく。
木々に当たれば真ん中から真っ二つ。
地面に当たれば見事に陥没する。
僕に当たれば――まあ、想像に難くない。
取り合えず当たったら即死だと考えろ!
「逃げんなあああああ!」
目を充血させて襲い掛かってくる様は完全に正気を失っている。
というか滅茶苦茶怒っている。
いやまあ、僕のやったことを考えればそりゃあそうなんだが、しかし、本当に僕以外のことは目に見えていない様子で、僕を殺せさえすればいいという感じですらある。
完全な私怨。
おそらくこの行動は独断専行だろう。
少なくとも、将軍と呼ばれるだけの冷静さはない。自らの復讐心にかられ、部隊が全滅してもなお敵に向かっていくなど、上官がすることじゃない。
こうなってしまえば感情に振り回される、ただの一個体の魔物。
「まあ、だからって勝てるわけじゃないけれどっ……!」
暴れるだけの魔物に堕ちたとはいえ、力は間違いなく異常種なのだ。
オークの槍が引き起こす暴風は直接当たらずとも僕の体勢を崩すほどの力を有しており、いくら攻撃の方向がわかるとはいえ、これではいつまで逃げ続けられるか時間の問題だった。
どうする。
カインさんに頼るつもりだったけれど、川に流されたせいで現在位置がどこなのかはさっぱりだし、カインさんだって僕がどこにいるか把握していないだろう。
村の人たちには何も言っていないから、そもそも僕について気付いているかどうかというところ。
支援は期待できない。
であれば、不可能に近くとも僕独りでどうにかするしかない――!
「『火炎球』」
ひとまず牽制だけはしておこうと、僕は手のひらサイズの火炎球を創り出す。この程度では足止めにすらならないだろうけれど、残念なことに僕の制御可能範囲はこれが限界である。
回復していたとはいえ、ただでさえ減った魔力を無駄遣いしたくはないのだが、かと言って足の速さは向こうが上である以上、何もしないではジリ貧で追い詰められるだろう。本当に焼け石に水でしかないけれど、まずは捕まらないことが最優先!
「効くわけねえだろうがァ!」
しかし、やはりと言うべきか。
手のひらサイズの火炎球は確かにオークの腕に直撃したものの、衝突直後何もなかったかのように霧散する。
やはり、効いていない――が、オークの足は魔法を相殺するために一瞬止まる。
足の速さは筋力、足の長さが相まってあちらが上。
そんな状況で捕まらないようにするには。
「『火炎球!』」
ひたすら撃ち続けて距離を取るしか方法は無い。
けれど、この方法は有限――魔力が保つまでの応急措置にしかなり得ない。
そして何よりこの方法では一切のダメージソースにならない。いくつ撃とうがこの威力ではオークジェネラルには効かないだろうし、効かない以上何発撃たれようが僕を諦めることもないだろう。
もしも、ダメージを与えるのであれば。
あいつに対し攻撃するのであれば――腕を犠牲にした玉砕覚悟の魔法でなければならない。
太陽の如き、あの火炎球。
左腕を犠牲にする火炎球なら、どうにかできるんじゃないだろうか。威力が落ちた水中でも十分に効果はあった。
ならば、地上で放てば確実にダメージになるはずだ。
――トーマ。
――絶対に怪我しないでね。
「――馬鹿か、僕は」
何を今更、と自分でも思う。
さんざ約束を破りまくった自分が、そんな忠告を思い出して躊躇っている。
約束は守らなくてはならない、と。
左腕の使用を押しとどめる。
「何を――動揺してるんだ」
何で、動揺してるんだ。
どうでもいいんじゃなかったのか。
違う、そうじゃない。
思考が安定せず、ぐるぐると廻る――
「鬱陶しいんだよ!」
「っ……」
僕の首を狙うオークの槍を、伏せて回避する。
今はそれどころじゃない。
集中しろ、考えるな。
それに――どちらにせよそれは駄目だ。そもそも効くかどうかすら不明な上、僕の片腕が使えなくなる状況になること自体がそれこそ詰みに繋がる。
「っふー……!」
落ち着け。
左腕を叩くように抑える。
包帯がぐるぐる巻きになっている腕。治療の痕。撃てたとしても、おそらく一回限り。
撃ったとしても――犠牲は大きい。
よく考えろ。
思考しろ――最善策を見つけ出せ。
僕の魔力が、尽きる前に。