018:不穏な勝利
僕はカインさんに背を向け、三体目掛けて駆け出す。
相手の武器はそれぞれ、錆びた剣、木製の棍棒、弓の三つ。
前衛二人に後衛一人の構成で、やけにバランスが取れた編成だ。
気のせいだとは思うが。
接近してきた僕に、まず剣を持ったゴブリンが前に立ちはだかった。
剣を振ってきたので、慌てずにそれを弾くように打ち合わせる。
大丈夫、だな。
別段集団になったからと言って、ゴブリンの攻撃速度が上がったわけではない。
十分対応可能範囲だ。
問題は、硬直するような腕でどうやって殺すか、だが。
まさか毎度喉を食いちぎって勝つわけにもいくまい。
何度か打ち合って、距離と実力を測る。
これなら、勝てるか。
やはり、カインさんと比べると剣速も力も段違いである――いつもの訓練に比べたら全然マシだ。
ゴブリン一体くらいなら相手取れると、確信した。
確信した上で、僕は特に隙の大きい振りを狙い、ゴブリンの剣を打ち払う。
強めに剣を打ちつけられたゴブリンは、剣を離すとまではいかずとも、弾かれた衝撃で、大きく構えを開けた。
先ほどと同じような、大きい隙。
僕は今度こそ剣を振り切れるよう構え――その動きを中断させられた。
硬直したのではく、別の邪魔が入ったのだ。
後頭部に、殺意。
「っ!」
咄嗟に剣を背中に構えることで、後ろから振りかぶられた棍棒を防ぐ。
二体目のゴブリン。
いつの間にか、ゴブリンは僕の背後に回り込み、攻撃を仕掛けに来ていた。
こうなれば正直「見る」ことにこだわって戦いが出来るような状況ではない――今、肌が感知しなければ僕は後頭部を殴られ勝負は決まっていたのだから。
僕だけの力では、この状況は打破できない。
「ギィッ!」
そうやって二体目のゴブリンに構っているうちに剣を持ったゴブリンは体勢を立て直し、僕に攻撃を仕掛けてきた。
「――っらぁ!」
「ギッ!?」
僕は背中の棍棒を防いだまま、向かってきたゴブリンの胴体を蹴り抜く。
ヤケクソ気味だったのが良かったのか、思いのほか力が乗っていたようで、ゴブリンは後ろによろめいた。
それを確認して、前を見たまま肘鉄を後ろのゴブリンに放つ。
「ギ……」
棍棒の力が弱まった隙に、僕は必死こいて二体の挟み撃ちから脱出した。
「っはあ、はあ、はぁっ……!」
やっぱ無理な気がしてきた。
いや、さっき大口叩いておいて何だが、やっぱ一体と三体は違う。
気を配らないとならないところが多すぎる。
それでいて剣で殺すことも出来ない。
前途多難にもほどがあるだろう。
だが、僕がそんなことを考えたところで、この戦闘が終わるわけでもない。
始まってしまった戦闘は――どちらか死ぬまで終わることはない。
しかし――。
「やりづらいっ!」
ゴブリンの剣を打ち払いながら思う。
こいつらの連携がやけに上手い。
三体だから、とか、そんな説明で納得がいかないほどに、僕は苦戦していた。
幸い、皮膚が反応してくれるおかげで未だ致命傷は負っていないが、それも時間の問題だろう。
一体一体の戦闘力はそれほどでもないが、連携されることによって僕の攻撃のタイミングが潰されているから数を減らすことが出来ない。
それにこいつらは、弁えている節がある。
まるで――自分たちが弱いことを自覚しているかのような、そんな動きだ。
明らかにさっきのゴブリンとはわけが違う。
「ギィッ!!」
「ぐっ……!」
振り下ろされた棍棒を受け流すと、死角から剣が迫ってくる。
近付くときはどちらか片方のゴブリンが死角に回りこんで、僕が片方に熱中しようものならその隙をもう一体のゴブリンが狙ってくる。
そして僕がその二体の対応に戸惑えば、三体目のゴブリンから矢が飛んでくる。
本当に――バランスの取れた嫌な編成だ。
おかげで傷をつけることすら出来やしない。
「ギィ!」
「いい加減に――!」
埒が明かない。
棍棒に合わせ、僕は剣を打ち払おうとした時だった。
棍棒と剣が打ち付けあい――弾かれることなく、剣が棍棒を切り裂き。
止まった。
棍棒に、剣が捕らえられてしまったのだ。
木製ゆえの脆さが、最悪のほうに転がった。
「しまっ――!」
僕の武器は剣だけだ。剣を失えば殺す方法を失ってしまう。なんとか棍棒から剣を抜こうとしたが――もう遅い。
ゴブリンはここぞとばかりに剣を振ってくる。大振りだとか、そんなことは関係ない――僕は武器を動かすことができない状態なのだから、防ぐことは出来ないのだ。
どうする。
避けるか――いや。
防ごう。
「づっ……!」
ざくっ、と嫌な音が手のひらから伝わる。
僕は、ゴブリンの剣を左手で受け止めていた。
ざっくり斬られてしまったが――幸い指が落ちることもなく、剣は僕の手のひらに収まっている。
膠着状態。
お互いに武器を止められている。
しかし、こうなれば弓を持ったゴブリンには格好の的だ。
狙わないわけがない――予想通り、ゴブリンは迷いなく僕の右肩を射抜く。
「ぐぁっ……!」
痛い。
普通に痛い。
だが、僕は両方の手から武器を離す事はない――離したら負ける。
痛みに堪えている僕に畳み掛けるように、ゴブリンたちは武器に力を込め、僕のスタミナ切れを狙う。
弓を持つゴブリンは、動かない僕を狙いもう一本矢をつがえ――打ち放つ。
完璧な連携だ――が。
「――そう来ると思った!」
待っていた。
こいつらは連携が出来ている。
下手したらあのときの盗賊たちよりも上手いくらいだ。
だからこそ――狙いが読める。
僕は次の弓矢の飛んでくる方向を感じ、左手で掴んでいる剣を思い切り握り、剣ごとゴブリンを引っ張った。
「ギッ!?」
こうなったとき、普通なら手を離すだろう。
自分の意図しない動きをさせられるならば、武器を失うとしても味方がいるならばそう抵抗はしない。
だが、このゴブリンは武器を絶対に離さないことが分かっていた。
どれだけ強く打ち付けて、パリィしても――絶対にこのゴブリンは武器を手離さなかったのだから。
引っ張った先は――矢の進路上。
僕を狙ったはずの矢は、ゴブリンの右腕を貫いた。
「ギィイィ!」
苦痛そうな悲鳴。
引っ張られ、体勢を崩したまま、痛みに悶えるように地面に転がった。
それでも武器を離さないあたり流石と言うべきか。
「おまけだ」
僕は両手を武器から離し、ゴブリンの顔面を思いっきり蹴っ飛ばす。
イメージは灰沼に蹴飛ばされたときのアレ。
「――――――!!」
僕は力がないのであの時ほど飛ぶわけもないが、それでも十分な時間稼ぎにはなるはずだ。
悲鳴になっていない声を上げながら、更にゴブリンは悶え始める。
次は、棍棒のゴブリン。
「ギィィイイ!」
味方をやられた怒りからだろうか、棍棒を滅茶苦茶に振り回し攻撃してくる。
だが――先ほどよりも速度が出ていない。
当たり前だ。
剣が埋まった状態の棍棒など、まともに振るえるはずもないだろう。
ぶんぶんと振り回される棍棒の動きを見て――その動きを予測し剣の柄を再度掴む。
そして、僕が持てる最大限の力で、剣ごと棍棒を地面に叩きつける。
バキリ、と。
乾いた音を立て、棍棒が割れる。
木製であり、かつ剣でヒビが入った状態の棍棒だ。強い衝撃を受けて壊れないほうがどうかしてるだろう。
しかしその光景が意外にも衝撃だったのか、武器を失ったゴブリンは棒立ちとなった。
さあ、今だ。
動け。
動け!
動かなきゃ――死ぬぞ!
「あああああああぁああ!」
自らを鼓舞するかのように僕は叫ぶ。
ギシギシと軋む腕を無理矢理抑え込み、首筋目掛けて解放された剣を振るう。
そして――今まで封じ込めていた分が暴発したのか、ものすごい勢いでゴブリンの首が切断された。
切れ味の悪い包丁で肉を切ったかのような、そんなボロボロの切断面が、首から露出していた。
「っし!」
動いた。
しっかりと、殺せた。
その事実が脳に入ったとき、あろうことか僕にむせ上がるような嘔吐感が襲う。
まるで、生物を殺したことに嫌悪し、罪悪感に蝕まれ吐き出したくなるような、そんな気持ち悪さがこみ上げた。
「……っく! はあっ!」
冗談だろ。
何だよ、今の。
こみ上げた胃酸を無理やりに飲み込む。
いや、考えるのは後にしよう――まだ戦闘は終わっていない。
後、二体。
下に転がっているゴブリンはまだ大丈夫。
となると、優先順位は弓を持ったあちらだろう。
「ギ……!」
僕が目を向けると、ゴブリンは慌てた様子で弓を構えた。
僕はゴブリン目掛けて走り出す。
向かってくる僕に対し、一生懸命矢を放っているが、ゴブリンの矢に先ほどのような正確さはない。
肌の感覚どおりに避けてしまえば当たることはなかった。
どうやら、「味方に当てた」という事実が、ゴブリンの腕を阻害させているようであった。
「お返しだ」
ゴブリンの元にたどり着いた僕は、矢を肩から引き抜き、右目に思いっきり突き刺した。
ぐちゃり、と脳髄を抉ったような感触が矢を通じて伝わってきた。
そして――絶命の瞬間も。
「うっ……く」
先ほどよりも強い嘔吐感に襲われる。
殺したという事実が、こんなにも気持ち悪く感じられるのは初めてだった。
盗賊のときと、何が違うんだ?
逆流してくるものをなんとか押さえ込み、剣ゴブリンの元へ戻る。
矢を引き抜いたせいで右肩からかなり血が出てきており、歩く速度はかなりゆっくりになったが、それでもゴブリンが回復する様子はなく、無事にたどり着く。
最後だ。
右肩を押さえながら、剣を持ち上げる。
胴体を足で押さえ、身体を固定する。
そして、一思いに剣を打ち下ろした。
ギィ、とすら鳴くことはなく。
首を切断されたゴブリンは、目をぐりんと回転させて絶命した。
命の気配は感じなくなった。
殺意も――消えた。
「――っは、はあー。終わった」
倒した。
そのことを自覚したとき、どっと力が抜け、地面に腰を下ろす。
びちゃ、と血の海に腰を下ろす形になったが、気にしている余裕はなかった。
三体相手にここまで苦戦するとは思わなかった。
致命傷は負わなかったものの、手のひらに切り傷、右肩に矢傷、体中に軽い打撲と擦り傷。
一体どんな大物と戦ったのだろう。
相手がゴブリンだなんて信じられないな。
「う、くっ、は」
と、気を抜いたら、栓が緩んだのだろうか。
僕は、前触れもなく思いっきり吐いた。
滅茶苦茶吐いた。
忘れていた――この嘔吐感を我慢して戦っていたんだった。
その我慢した分が返ってきているのだろう、かなり長い間吐き続けた――多分、胃の中のもの全部吐いたんじゃないだろうか。
具体的にどのくらいの長さ吐いたかと言えば、二十体以上排除したカインさんがこちらにやってくるまでの間、である。
またもや引かれた。
それと同時に――何故か安心もされたようだったが。
「おう、大丈夫か」
「全然」
「だろうな、ほれ、水だ」
「どうも」
水が美味い。
ようやく本当に一息つけた。
僕はカインさんに肩を貸してもらい、血の海から脱出して木陰に座り込んだ。
「どうだった、ゴブリン戦」
「死ぬかと思いました」
「ま、危なっかしいのだったのは確かだな」
「……見てたんですか?」
「ゴブリン駆除が終わってからだし、途中からだけどな」
「どこから?」
「お前が二体挟み撃ちされたとこから」
「……」
二十体駆除するの早すぎだろ。
まだ全然序盤じゃねえか。
自信なくなるぞ。
「そう言うな、初心者が初めてで三体同時に相手取れただけで十分だよ。ましてやお前は最近この世界に来たばっかの人間だ。戦えるだけでマシだろ」
「そう、ですか」
「ああ」
さて、と。
話に区切りをつけ、カインさんは腰を上げる。
僕も釣られて立ち上がろうとすると、カインさんに制された。
どうしたんだろう。
「どうしました?」
「まだ座ってろ。今回はちょっとイレギュラーが多すぎた。負担もでかい筈だ」
「いや、別にもう大丈夫だけど」
「いいから座ってろ。それに正直こんな事態だからギルドに報告しなくちゃならんし、そうするとお前に後始末を教えながらゆっくりやれる時間はない。悪いが今回はとっとと終わらせて終了だ」
「はい、分かりました」
まあ、ともあれ。
時間がないというのなら大人しく待たせてもらおう。
僕が木にもたれかかり腰を落ち着けたのを確認して、カインさんは後処理に向かった――と思えば振り返った。
「……どうしました?」
「ひとつ、聞いていいか」
「うん」
神妙な顔で聞いてくるということは、重要な話題なのだろう。
僕も真面目に耳を傾ける。
「お前、森でゴブリンに会ったことがあるか?」
「え……?」
会ったもなにも、今日会ったばかりなんだが。
「違う、そういうことじゃねえ。お前が森で彷徨っていたとき、ゴブリンに遭遇したかって聞いてんだ」
「……」
言われて、思い出してみる。
王国から逃げるように森に入って、一晩歩いて。
……!
「遭遇していない……?」
――いや、それどころか。
魔物と一体も会っていない。
「……分かった、ありがとうな。休んでて良いぞ」
そう言って、今度こそカインさんは後始末に向かっていった。
だが、僕は。
休むことなど――出来なくなっていた。
異世界に詳しくない僕でも。
何か異常が起きているのは、雰囲気で分かる。
あれは、あの団体行動は、引越しなどではないだろう。
それはきっと、妙に連携が上手いゴブリンや、あの矢も無関係ではないはずだ。
どうやら神様は、本気で僕を異世界で平穏に暮らさせる気はないらしい。