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ぼくのなかにいる  作者: 人工的な深爪シール
序章:彼は現実を知る
12/56

011:“気に入らない”

 その日の夕方。

 カインさんとヒルフさんと別れた後。

 宿の説明を亭主とその奥さんに詳しく教えてもらいつつ、三日分の食料をお腹に溜め込み、少し昼寝して、目覚めた夕方である。


 僕は、割り当てられた宿の部屋(ちなみに、僕が目覚めた部屋では未だファルリアという少女が眠っていたので、違う部屋となっている)のベッドに横になりながら、朝方の会話――交渉を思い出していた。


 何か勘違いが起きていないか洗い出すためだったのだが、色々思い出してみると――後から考えてみると、先に頭を下げられて、僕の行動を封じられ、その後段々こっちが頭が低くなっていき、都合の良いような流れをつくられて、策略に嵌った気がしてきた。

 ひしひしと感じてきた。

 つまり何が言いたいかと言うと、ヒルフさんとカインさんにいいように操られてただけな気がする。

 交渉、などと偉そうに言ってみたものの、実は同じテーブルに座っていなかったというのが、先ほどの現状であろう。


 ……人生経験の差か。

 結局いつの間にか僕が働いて弁償する流れになっていた……いや、至極順当で文句はないけれど、どこか腑に落ちない。

 正論、なんだけれど。

 うーん。

 まあ、命を助けて貰ったのと、依頼の失敗を回避した恩を同列に扱うのも失礼か。

 圧倒的に僕の方が下である。

 それなのに頭を先に下げて有無を言わせぬ交渉――恐れ入る。

 我ながら随分偉そうな物言いだった。


「あー……もう」


 しかし、なあ。

 こういうのって、普通全部負担してくれるものじゃないのかなあ、と言う思いが未だ拭えない。

 どれだけ働きたくないのだ、と我ながら思うけれど、そういう異世界転移のお話を少なからず知っている僕にとって、地味に期待していた展開だった。

 現実はままならないものである。

 地球(あちら)も、異世界(こちら)も。


「トーマ君、起きてるか?」


 思考が一段落したところで、扉がノックされた。

 あの声からして、亭主――ルセダさんか。


「はい。起きてますよ?」

「ちょっと早いけど降りてきてくれるか?」

「分かりました」


 そう言えばそろそろ夕食か。

 先ほど話したところ、夕食をご馳走してくれるという話がまとまっていたらしい。

 ヒルフさんたちが優秀すぎる。


「おう、まあ、まだ飯が出来てないからゆっくりでもいいけどな」

「いえ、特にすることもないので」


 がば、とベッドから起き上がって、すぐに扉を開ける。

 そこには、黒髪、碧眼という珍しい組み合わせの色を持つ、イケメン――ダンディ寄りの風貌をした、ルセダさんがいた。

 歳は三十後半くらいか?

 異世界って全体的に顔面偏差値高いよなあ。


「フットワーク軽いな」

「何も持ってないので」

「ん? ああ、そうか預かってたんだったな、これ」

「あ……」

「魔道具か? あんまり弄くったら悪いと思ってたんだが、治療の邪魔になるって言って預かってたんだ」


 ルセダさんのポケットから取り出されたそれは、僕の腕時計だった。アナログのステンレス製。

 既に破損している。

 時刻を示す針は動くことはないし、文字盤を保護するガラスはヒビ割れていた。

 しかし、むしろ良く持ってくれたほうだろう。

 安物を十何年と酷使していたのだし、何より勇者たちの追撃を受けたのだ。ポケットに入っていたとはいえ、形が残っているだけでもマシである。

 僕はルセダさんから、動かなくなった腕時計を受け取った。


「ありがとうございます」

「ああいや、礼ならカインに。……壊れてるのか、それ?」

「ええ、まあ。でも古物ですし、仕方ないですね」

「そうか」

「ええ」


 どうやら手入れをしていてくれたようで、割れたガラス片などを掃除してくれたらしい。

 腕につけても特に違和感なく装着出来た。

 動くことは――やはりなかったが。


「で、ええと。早めに呼んでくださったのは何か理由がありましたか?」

「ん? ああいや、別に大したことじゃない……ってそれなら早く呼ぶ必要もなかったかな」

「? というと」

「ファルリアが目、覚ましてな。一応顔合わせておいた方がいいと思って」

「そうですか」


 熟睡少女がどうやら目を覚ましたらしい。

 しかし、僕としては――あまり、気が進まない。

 なぜなら、自分から助けたとは言えないからだ。

 流れに流されて。

 薬から、優先順位が移っただけで。

 誰かに、あそこまで奮い立たされて。

 それでようやく動いたのだから、それはもう僕の意思ではない気がする――僕が助けたとは言えないだろう。

 成り行きで助かっただけだ。


「反応薄いな」

「……どう反応したらいいか分からないんですよ」

「んー。別に、普通でいいんじゃないのか?」

「普通って……」


 無断乗車中に奪われた薬を追いかけている途中、偶然助けた少女が目を覚ました(と言ってもファルリアという少女は僕が昏睡している間、ちゃんと寝起きしており、この場合目を覚ましたと言うべきなのは僕の方だろうけれど)時の普通の反応とは一体どういったものなのだろう。

 まず状況が普通じゃない。


「普通は普通だよ。どうもトーマ君は難しく考える癖があるな。思いのままでいいんだよ。考えて出した反応は反応とは言わない。別に、反応は自然なものなんだから、よっぽど人道に反してなければ特に言うことはないよ」

「……そう、ですかね」


 僕の場合その人道に反しそうだから問題なのだが……。


「ま、とにかく下へ行こう。話はそれからだ」

「分かりました」


 ルセダさんに連れられて廊下を渡り、階段を降りる。

 ――もし、僕が自然な反応をするとしたならば、()()()()()ということが多くなってしまう。

 どうでもいい、という思いが真っ先にくることがほとんどだからだ。

 まるで機械である。

 もしくは人形か。


 一階に到着すると、テーブル席?にルセダさんの奥さん――メールさんがご飯の準備を終えて待機しており、その隣に座る熟睡少女と喋っていた。

 黒髪の、少女。

 負い目しか感じない。

 助けたからどうこうと思えない――思いたくない。


「おう、待たせた」

「ちょうど終わったところです。あ、トーマ君、こっちへどうぞ」


 ルセダさんが声を掛けると、メールさんがこちらに気付き、手招きをする。

 メールさんは、なんだろう。

 言葉を選ばなければ、人妻感が凄いある人と言えばいいのだろうか。雰囲気が柔らかく、おっとりしていて、かと言って動作がゆっくりなわけでもなく、ルセダさんの妻として支えている感じがまたそれらしい。

 金髪碧眼。

 綺麗な金髪は邪魔にならないようにか、長髪を後ろに上げて束ねている。

 少し垂れている目は、ルセダさんより少し濃い碧眼。

 スタイルは出るとこが出て、お腹は引き締まっている理想のスタイルだろう。

 ルセダさんはよくこんな人を見つけたと思う。

 普通はいない。


 普通ってなんだっけ。


「お邪魔します……というか、本当に良かったんですか?」

「何が?」

「夕食です」

「いいよ、これから世話になるだろうし、むしろ慣れてもらわないとな」

「……慣れる?」

「はい、トーマ君はそこね」

「あ、はい」


 言われるがままに座る。

 そして――ついにファルリアという少女と対面する。

 ルセダさんとメールさんの娘。

 見た目は十代後半。

 黒髪は言わずもがな。ロングヘアーで、後ろに髪を持っていき紐でくくっている……傷は、見えない。

 きっと見えないようにセットしているのだろう……触れない方がいい。


 目の色は赤だ。真っ赤。

 言っては悪いが……血、鮮血のような赤い目で、どこか不安になる色だが、宝石のように綺麗な真紅でもあるので、そのイメージを払拭していた。


 容姿はかなり整っている。

 ただ、スタイル――特に胸の部分は触れないようにしてあげよう。

 メールさんから遺伝しなかったんだな。


 しかし、そんな彼女と向き合って、思う。

 なんだかんだ今まで話すらしなかった少女と改めて話すとなると、何から話せばいいか分からないということを。


「えーと、あはは。初めまして、かな?」


 最初の一言は、彼女が発した。

 その口調と態度で、彼女が明るい性格であることが窺い知れた。


「まあ、そうですね。初めまして」

「あ、うん……」

「…………」

「…………」


 なんだこの空気。

 お見合いかなんかか。


「名前は?」

「……トーマです」

「私はファルリア……ってもう聞いてるよね」

「はい」

「ここの宿で働いてます」

「そうですか」

「……」

「……」


 なんだこれ。


 なんだこれ。


 気まずいってレベルじゃねーぞ。

 いや、これは僕が悪いのか? あまり上手に返事出来ていないから悪いのか?

 しかしどうも、似ているせいなのか何なのか、委員長のことが頭の片隅でちらちらしていて気になって仕方がないのだ。僕はそんな委員長と関わりがなかったはずなのに、何故か委員長の記憶がちらほらと蘇ってくる。

 やめろ、話に集中できん。


「……えーと、その、ルセダさん、ご飯いただいても?」

「あー……うん、そうだな。積もる話は後にしよう。取りあえず冷める前に食おう」

「そうですね、頂きましょうか」


 僕の強引とも呼べる話の切り替え方に、ルセダさんたちは乗ってきてくれた。

 食事を頂くことにする――取り敢えず食べて誤魔化してしまえ。

 卑怯と言いたければ言えば良い。

 なかったことにしよう。

 そうしよう。

 僕はこの子と何もなかった。

 なかったのだ。


「…………」


 なんか凄い不満そうに見てくる少女がいるけれど無視してしまおう。

 気のせいだ。

 肌がチクチクするけど気のせいだ。

 私不機嫌ですって顔をしているけれど、そのせいで肌が過敏に反応しているけれど、僕は考えを変えるわけにはいかない。

 変に助けた、助けられたはしたくない。

 お互いに助け合ったから、なかったことでいいじゃないか、うん。


 一心不乱にフォークを動かして、何かのステーキらしきものを頂く。ちょっと臭みが残っているが、味付けが濃いのでそう気にならない――いや、本当は視線のせいで味がいまひとつわからないだけなのだが。

 けど、耐えよう。

 耐えるのだ。

 喋るな。

 ルセダさんとメールさんには気まずい空気にさせてしまい申し訳なく思うけれど、どうせ今晩限りの宿だ。

 明日からは、ヒルフさんとカインさんのところで働かなくてはならない。そうしたら、ここで泊まることはなくなるだろうし、それでも万が一、もしかしたらここを利用することもあるかもしれないが、その場合はできる限り関わらないようにすればいいだけである。


 無言の食事が続く。

 お二人――彼女の親であるルセダさんたちは、必死に場を取り繕おうとしている。

 その気持ちを無下にしているのは性質たちが悪いとは思うけれど、それでも――委員長がちらほら見えてしまう彼女とは、あまり関わりたくはない。


「ルセダさん、ご馳走様でした」


 ついに食べ終わった。

 終わってしまった。

 終始無言である。

 ルセダさんたちは疲労困憊で、ぐったりしていた――不機嫌そうな娘と、その目線を受けてまるで反応しない男と板挟みになる気分はどのようなものだったのだろう。察したくない。


「ああ、うん。そんな畏まらなくてもいいぞ……」

「そうですよ、カインさんたちからそういうのは貰っていますから……」


 声が疲れている。

 三点リーダまで見える気がした。

 切り上げて、退散しよう。

 逃げるが勝ちだ。


「では、ご馳走様でした。そろそろ上に――」

「待って」


 僕が立ち上がって、自分の器を持ち上げ、退散しようとしたら、行き先を塞がれた。

 それを行ったのは勿論彼女、ファルリアである。


「……」

「ええと、どうしました、ファルリアさん。僕に何かあればどうぞおっしゃってください」


 とにかく話を終わらせたくて、僕はまくしたてるように言う。ちょっとへりくだりすぎている気がするが、そんなことを気にしている余裕は僕にはなかった。

 だから――同年代にそんな敬語を使われると逆に腹が立つということを忘れていた。

 そして、そのまま予想通り僕の言葉にカチンと来たのか、彼女は僕の目を見据える。

 真紅の眼が、僕を見上げている。

 お互い立ち上がって、彼女の身長が百六十センチ前後であることが分かった。自然、僕が見下ろす形になっているが、特に怯むような様子はない。

 彼女は僕を見ている――僕の目を見ている。


「…………」

「…………」


 しばし、沈黙。

 先ほどとは違う、気まずさではなく、緊張する空気だ。

 一触即発の空気に耐え切れなくなったのか、ルセダさんとメールさんは僕から食器を奪い取り、いつの間にかいなくなっていた。

 何で先に立った僕より先にいなくなってるんだよ……。

 しかし彼女は、自分の親の動向などはさして気にならないらしく、構わず僕を問いただしてきた。


「……ねえ、なんで。何も言わないの?」

「……」


 答えに悩んだ。

 理由は簡単だ。

 委員長のことを思い出したくないからである。

 しかし、嫌な事を思い出すから、というのは彼女にとっては理由にならない。無視する、というか、関わろうとしない理由としては不適切だ。

 似ているから何なのだ、と言われたらおしまいである。

 ……しかし、他に言える理由もなかったので、正直に話すことにした。


「似ているから、です」

「私が? 誰に?」

「僕の苦手な知り合いに」

「……っ」


 少女は言葉に詰まったようだった。

 僕から目線を外し、地面に落とす。

 そして地面に視線を落としたまま、小さな声で僕に話しかけてくる。


「……じゃあ、なんで私を助けたの?」

「…………」


 今度は僕が言葉に詰まる番だった。

 何故、助けたか。

 それは、未だはっきりしていない項目である――勿論、声が聞こえたからだとか、助けなきゃいけないとか、人道的にとか、正義感だとか、そういう理由付けはできるけれど、僕はその全ての理由に違和感を感じ、釈然としないのだ。


 本当に、僕が助けたのだろうか――と。

 助けたことに、僕は違和感を感じているのだ。

 僕は、何故ファルリアという、目の前の少女を助けたのか。

 言われたからか?

 いや、言われただけでは動かない――動かなかったはずだ。

 見捨てるという選択肢もあった。

 何故?


 そんな違和感が。

 目の前の彼女であり――僕の違和感の証拠として残っている。

 本来ならば、ここにはいなかったであろう少女の存在を、どうでもいいこととして処理が出来ないことが気持ち悪い。

 考え始めると、気が狂いそうだった。

 だから。


「……分からない」


 と、そう答えるしかなかった。


「分からないって」

「分からないんですよ、本当に。何であなたを助けたのか……理由を付けることは出来ますけど、どれもしっくりこないというか」

「…………」


 ふーん、と。

 彼女は興味があるのかないのか分からない反応を返した後、数回頷き、ファルリアはくるくると僕の周りを回り始めた。僕を下から覗き込むように、ぐるぐると観察しながら時計回りで回っている。

 なんか断罪されている気分だ。

 かと思うと、再度僕の正面に回りこんだ途端、がしっ、と両手で僕の側頭部を掴んでじっと僕の目を見てきた。

 がしっと。

 そしてぐいっと、自分の方に顔を向けた。

 お互いの顔の距離が近付く。

 まるでパッと見キスシーンにでも見えなくはないのだろうが、しかしこの時、僕の側頭部には激痛が走っていた――頭部を掴んでいる手が、万力のように強力であり、締め上げられているのだ。

 ……。

 いや、マジで痛い!


「ぐ、ぐぐ……!」

「じぃーっ」


 なんとか手を振りほどこうとして、僕も負けじとファルリアの手を掴んで離そうとしてみるけれど、まるで微動だにしない。

 僕は確かに力があるほうだとは言えないけれど、いくらなんでも女子に腕力で負けるほどではなかったはずだ――つまりこの少女が、とんでもなく強い力を持って、僕の頭を固定しているのだった。

 そこまでして僕の頭を固定して何をしているのかと思えば、僕の目を覗き込んでいるだけだ。

 観察しているようにも見える。

 ていうか口で「じぃーっ」って言うやつ初めて見た。


 そうして。

 彼女はしばらく観察したあと、はっきりと言う。

 僕に、正面から、言った。


「気に入らない」

「え」

「私は、あなたが気に入らない」


 ずばっと。

 迷いなく。

 飾ることもなく。

 ただ思いのままに、気に入らないと言い放った。


 頭の中で反芻する。


 ……。

 ちょっと待て、気に入らないっておい。


「……何が、です?」

「まずそれ!」

「はい?」

「同年代に見える人から敬語使われてるのが気持ち悪い!」


 …………。

 僕の処世術完全否定か。

 僕は元の世界では出来る限り敬語を使うよう心がけていた――その方がはっきり言って楽だからである。

 具体的には、敬語とタメ口を使い分けなくても良いし、過剰過ぎでなければ、まず第一印象でマイナスになることはない――少し変わった奴だとは思われるかもしれないが。

 あれ、マイナスか?

 いや、考え方の違いだろう。

 まあ、そんな感じで、延長してそう話しかけていただけなのだが……いや、まあ確かに昔、同年代に敬語を使うと距離を感じるからやめて欲しいと言われたことはあるけれど、まさか気持ち悪いとまで言われるとは思っていなかった。

 まるで委員長みたいな事を言う。


「……はあ」

「あとその目!」

「うおっ」

「その真っ黒な光の無い目が気に入らない」

「…………」

「何しても目の色は変わらないし、目の感情が変化することもない」


 さっきからずっと見ていると思ったらそれか。

 今更ではあるが、僕の目には光が無い。俗に言う死んだ魚の目というやつだ。

 生まれつきでは勿論ない――いつの間にか勝手になっていたものなので、正直ほっといてほしい。


「その、夢も希望もない、自分が不幸だと思ってそうな目が気に入らない」


 言い過ぎである。


「……そうですか」


 ただ、言い返すことは出来なかった。

 夢も希望もない、という言葉には反論できない。この現状――王国から殺されかけた現状で、夢や希望などあるはずがないのだから。


「……」


 気に入らない。

 しかし、それならば好都合だ。

 彼女と関わらないようにするためには、好都合である。

 最悪わざと酷いことを言って、嫌われて距離を取るつもりだったのだが、向こうから離れてくれるならばそれに越したことはない。

 ならば、ここでお互いに不可侵条約を結ぶ提案でもしよう。


 そう提案しようとして――しかし、僕より先に彼女が遮るように放った一言で、僕のその提案は二度と発せられることはなかった。


「なので、私が直します」


 僕の思考が、硬直する。

 がっ、と鈍い音を立てて思考回路に何か引っかかったような錯覚すら覚えた――それほどまでに、意味不明な言葉だった。


「…………は?」


 ちょっと荒い言葉が出てしまう。

 いや、けれど、仕方ないだろう?

 直す、だって?


「いや、その。意味がわからないんですけど……」

「あなたの目に光を取り戻します」

「……」


 なんだその格好良い台詞は。


「というわけで、まずは敬語からやめよう?」

「いや、ですから意味がわからないと」

「敬語をやめよう?」

「ですから」

「やめろ」

「ハイ」


 ヤバい。

 普通に目が怖い。

 赤い目というのはどうやら人に並々ならぬ恐怖を与えるらしい。

 そう言えば妖怪とか化物とか魔物とかって赤い目が多かったな。


「よし」


 そう彼女は言って、ようやく僕の頭を離してくれた。

 あー……まだズキズキする。


「じゃ、明日から頑張ろうね」

「……いや、ですから僕はまずここにはもう来ないんですけど」

「敬語」

「……だから、僕は明日から働くから、もうここには来ないんだけど」

「……んん? ごめん、意味が分からない」

「なんでだ……」


 もう彼女の中では僕がここに来ることが決定しているのだろうか。

 いささか乱暴じゃないか?


「なんで明日から働くのに来れないの?」

「いや、普通来ないでしょ――だろ」


 眼が一瞬細められ、本能的に危機を感じたので咄嗟に敬語を外した。諦めたほうがいいらしい。

 と言うか――え、他にご飯や泊まれるところって無いのか?

 いや、流石にそんなことはないだろうし、それに最悪、野宿すればいい話だ。

 一晩中歩き続けたり、外で気絶していた僕にとって、野宿くらいならばもはや抵抗はない。

 ここに来なくてもいい――はずだ。

 はず、なのだが。


「ご飯や泊まる場所はどうするの?」

「適当に間に合わせるつもりだけど」

「うーん。明日から働くのに、ご飯や泊まれる場所があるのに、どうして来ないのかな? 借金してるんでしょう?」

「それは、そうだが」


 どこまで話してるんだあの人ら。

 一介の看板娘に話すようなことじゃないだろう。


「来れない理由でもあったりする?」

「来る理由が無かったりする」

「うーん?」

「…………」


 絶対話が噛み合っていない。

 何かしらの思い違いが発生しているからだろうけれど、どっちが間違えているのかはわからない。

 ……考えるのが面倒になってきた。


「とにかく、僕はもうここには来ないから、直すことなんて出来ないぞ」


 先生ですら出来なかったんだから、簡単にやられても困る。

 異世界だから何とも言えない部分はあるけれど。


「……ふーん。そういうこと言うんだね、三日間色々とお世話した命の恩人にそんなこと言うんだねー」

「……あのな」


 脅しにかかって来た。

 命の恩人はお互い様だろうが。


「カインさんたちも勿論、回復薬を湯水のように使ったりして助けてくれたのに、私も微力ながら回復魔法で命を繋いだのにもかかわらず、そう言うことを言うんだー」

「ぐ……」


 しかし、反論は出来ない。

 確かに、今の僕の現状は借りが多過ぎて、もはや僕を構築する大部分が借りと言ってもいい。

 僕の信用度など無に等しいのだ。

 そんな中、ちょっとだけ頑張った僕と、僕が倒れた後色々と苦労したであろうカインさんたちどちらが苦労したのかと言われてしまうと、もうどうしようもなく不利である。

 反論のしようもない。


 ……こうなったら仕方ないか。


「取り敢えず、明日カインさんとヒルフさんに聞いてからです……じゃなくて、聞いてからだ。直す直さないはその時に決めよう。というわけで、じゃっ」

「へ?」


 ファルリアの抜けた声を背に、僕はテーブル席からスタートダッシュを決め、二階に駆け上がった。

 要するに逃げた。

 足が麻痺していたはずなのだが、なんか普通に走れた。

 ばたんと扉を閉め、元の部屋に戻ったときに、ようやくファルリアの声が聞こえた。


「あ、ちょ、ええ!? いや、待ちなさい! 何逃げてるの!」


 そんな言葉が聞こえた気がするが、放置してベッドに身体を投げる。

 直す、なんてどういうつもりで言ったのかはわからないが、関わらなければ問題ないだろう。

 騙している可能性だって、なくはない――ここは日本ではないのだ。

 色々と丁寧に扱ってもらえたから忘れていたけれど、ここは、僕にとって、すぐに死ぬ可能性がゴロゴロと転がっている世界なのだ。


「…………」


 ここに泊まるのは最後にしよう。

 そして、お金を稼いだらちょっと味をつけて返金しよう。

 そうすれば、彼女も納得……はしないだろうけど、恩うんぬんで責められなくなるはずだ。

 ああもう、面倒くさい。


 なんにせよ、また明日だな。

 そう思って、目を閉じて。

 意識を闇に沈め――


「まだ夕方でしょう!」

「……」


 ばんばん、とけたたましくドアを叩く音に起きざるをえなかった。

 つーかなんで僕が寝ようとしてるって分かったんだろう。

 叩いてるのは勿論ファルリアであり、どうやら追いついてきたらしい――いや、同じ宿内だから追い付くのは当然だけど。

 それでも、部屋に閉じこもるように逃げた人間を追いかけるあたり、彼女の性格が相当世話好きというか、なんというか。

 人の目を直そうとするなんて、お人好しというか、なあ。


「……仕方ない」


 僕は渋々体を起こし、ファルリアの下へと向かう。

 この後、様々な実験をして、僕の目の治療は行われた。

 なお、直ることは無かったということをきちんと言っておく。

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