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第八話

 峠へ向けてベアーは進み始めた。昼になればチーズとパンを食べ、夕方になると宿木を見つけて火をおこし、お茶を飲みながら夕食をとった。夕食は干し肉を増やし、多少豪華にして飽きないようにアクセントをつけた。こうした日々をベアーは4日ほど送った。


                                *


 5日目の朝は雨から始まった。それも土砂降りである。こうなれば動かないほうが賢明といえる。下手に体を冷やせば風邪ではすまない、ベアーは雨が上がるのを待った。昼近くになると、雨が止み日差しが出てきた。足早に行けば今日で峠は越えられるだろう。ベアーはいつもより急いだ。


                                *


 途中、ポプリという亜人の村に立ち寄った。人数も少なくどことなく寂れた印象のある村だ。ベアーは食料を買うため雑貨屋を探した。


そんな時である一人の女の子に目が入った。


「どうしたんだい?」


 小さな亜人の女の子が青白い顔をして軒先に寝かされていた。女の子はベアーを見たあと目を伏せた。猫のような耳がダランとしていた、具合が悪いのは明らかだった。しゃがみこんで様子を見ようとすると奥のほうから70を超えた亜人の老婆が出てきた。


「ああ、すみません」


邪魔になると思ったベアーは立ち上がって身を引いた。


一方、老婆はちらりとベアーのほうを見た。


「あんた、僧侶なのかい?」


「ええ」


老婆の顔が喜々として輝いた。


「うちの孫を治してくれんかね、薬をもらいにいこうにも薬師が街から戻っておらんのでどうにもならんのだ。」


女の子は辛そうにしていた。時折、『ケホ…ケホ…』と力の無い咳をしている。


「薬師の帰りを待ったほうがいいんじゃないんですか、僕はほとんど魔法使えませんし…」


 ベアーは困った顔をした。回復魔法では病気は治せない。解毒の魔法を使う必要がある。だがベアーは解毒の魔法を使ったことがなかった。


「お願いします。この子は、熟してないハイラを食べてしまったんだよ」


 ハイラとは野草の一種で、アガタ地方でもこのあたりにしか繁茂しない珍しいものである。その実は木苺に似ているが味はそれよりも甘い、酸味も強くない。熟したものは高値で取引される。貴族や富裕な商人は熟したハイラを乾燥させ、それをお茶として楽しんだり、中にはカクテルの中に入れて飲む者もいる。

 しかし、熟してないハイラは人間にとって毒である。熟してない実を食べると嘔吐、発熱を引き起こす。場合によっては痙攣や神経障害というかたちで毒が具現化することもある。抵抗力の少ない子供や老人なら死に至ることは十分あり得る。


「やってみますけど……効かないかも…それに初めて使うんで…」


ベアーは不安そうにこたえた。


「いいからやってみてくれ、手遅れになったら…」


老婆は泣きそうになっていた。女の子より大きな耳はしおれ、不安な老婆の気持ちを代弁していた。


「失敗しても害は無いんで、やってみますね」


 そう言うとベアーは解毒の魔法を詠み始めた。解毒魔法や回復魔法は失敗しても自分の精神力が削られるだけで術を受けたほうに害は無い。高度な魔法や攻撃魔法はそうはいかないが初級レベルの魔法は安全といって問題ない。薬と違って副作用も無いので思い切ってやってみた。


                                 *


 周りでやり取りをみていた村人が何人か集まってきた、ものめずらしそうに見る者もいれば冷やかし半分の者もいる。


 ベアーは女の子のお腹の部分に手を当てると文言を詠唱した。最後の一説を謳いあげると女の子の髪が逆立ち、体がほのかに輝いた。4、5分すると寝苦しそうに咳をしていた女の子が規則正しい寝息を立て始めた。


「治ったのかね」


村人の一人が聞いた、中年の男である。


「いや…」


 初めて魔法を使ったので正直どうなったのかわからない。失敗してないような気はするが治ったのかと問われれば返答に困る。


「その、なにぶん初めてなんで…」


ベアーはとりあえずやることはやったのでその場を離れようとした。


そのとき老婆が言葉を発した。


「熱がさがっとる」


村人からどよめきがおこりベアーを包んだ。


「いや、その……」


村人の中には魔法を見たことがない者も多かったため賞賛の声が上がっていた。


「今日はうちで泊まりなされ」


「いや、今なら峠を越えられるので」


「そう言わずに」


老婆はベアーの袖を引いて家の中に入れた。


                                  *



「いや、久々に魔法を見たよ、何十年も前だったかな」


「時代が変わったんですよ、今でも魔法をきちんと使える人はお婆さんの世代の人だけです。僕らの世代では皆、魔法はもう使いません」


「まあ、とにかくお茶でも」


「はあ」


ベアーはため息をついた。


 老婆をそそくさと台所のほうに行くとお茶を持ってきた。この辺りに生えているブリーナという野草のお茶である、ブリーナはその色から橙草とも呼ばれ乾燥させてお茶として出される。砂糖や蜜を入れて甘くしたり、夏場は冷やして飲むのがこの辺りでは一般的だ。


「別にそんなに感謝してもらわなくても…」


「いえいえ、ただで助けてもらってそのまま返すのは失礼ですから。」


老婆はそう言うとまた奥に消えた。


女の子は相変わらず青白い顔をしているが気持ちよさそうに眠っていた。


「効いたんだな、多分…」


 一時期、インチキな魔法で法外な値段を取る、成りすまし僧侶ビジネスが横行したことがある。結局はそのインチキが露見し犯人は牢に入れられたが、巧妙なやり口の成りすまし詐欺は手を変え、品を変え、今も続いている。こうした経緯から、魔法を使う者は詐欺士ではないかと怪しむものもいる。


 そんなことからベアーはあまり魔法を使いたくなかった。魔法の発動が失敗すれば笑い話ではなく、インチキ詐欺士と思われる可能性があるからである。実際、祖父も旅に出るに当たり『魔法を使うのは止むを得ないときだけにしろ』と釘を刺されていた。


ベアーはインチキ詐欺師と思われることなく無事に魔法が発動したことにホッとした。


そんな時である、後ろから声がかかった。


「今晩はお泊まりください、ささやかながら夕餉を用意しますので」


「いや、お構いなく」


ベアーは断ろうとしたが後ろから服の袖を引っ張られた。


「おにいちゃん、誰?」


 寝ぼけ眼でベアーを見たのは起きたばかりの女の子であった。青白い顔は変わっていないが耳がピンと張っている。元気になっているのは間違いなかった。昔、祖父が『亜人は耳を見れば調子がわかる』と言っていたのを思い出した。


「僕は旅をしているんだ」


「魔法の使える僧侶様なんじゃよ」


老婆がそう言うと幼子は不思議そうな顔を見せた。


「魔法?」


「そうじゃよ、魔法を使えるんじゃ」


老婆が女の子に説明している。


神妙な顔をして女の子はベアーに尋ねた。


「魔法っておいしいの?」


ベアーはこの質問には顔がほころんだ。


「魔法は食べられないんだよ」


女の子はきょとんとしていた。


「……食べれないんだ……」


どうやら魔法が食べ物で無いとわかりがっかりしたようだ。


「僧侶様はお前をその魔法で救ってくれたんじゃよ」


女の子はお腹を見ると何度かさすった。


「あ、いたくない、バアバ、いたくない」


さっきのが嘘のように飛び跳ねていた。


「そうじゃろ、そうじゃろ、よかったなあ」


老婆はうれしそうにしていた。


女の子の体力はまだ回復していなかったがどうやら解毒は成功したようだ。


 その時である。女の子が下を向いてしゃがみこんだ。力のない目で窓のほうをみると小さなため息をついた。具合がまた悪くなったのかと思い、老婆は急いで孫に近寄った。


「どうした、お腹が痛いのか…どうしたんじゃ?」


女の子は老婆の目を見て言葉を発した。


「お腹……すいた」


確かにもう夕方である。何も口にしてない女の子は空腹だったのだろう。女の子のその言葉で夕餉の支度へといっきに傾いた。


                               *


 老婆は台所で玄米を炊き、奥のほうに行って鱒の切り身を焼き始めた。女の子はベアーのまたぐらにちょこんと座って老婆の様子を見ていた。


「すぐに夕食できますんで、待っててくださいね」


老婆がそう言うと、孫がまねをして


「マッテねクダサいね」


とベアーの顔を見て言った。よく見ると歯が抜けていて何ともいえないユーモラスな表情だった。


「お兄ちゃん、一緒に、たべようね』


そう言われたベアは結局、夕餉を頂くことにした。


                                *

 

 お膳の上には麦飯と塩焼きした鱒、野菜のたくさん入った澄まし汁そして玉子焼きが乗っていた。玉子焼きはフンワリとしていてほのかに甘かった。祖父の作る玉子焼きは一切甘みのないものだったので、老婆の味付けはベアーにとって斬新だった。


『甘い玉子焼きって意外とイケルな』


 女の子は苦しんでいたのが嘘のようにパクパクと食べた。食べ終わると女の子はしばらくベアーにじゃれついていたが、そのうちコロンと横になるとまた眠りだした。


老婆はそれを見ると孫を寝かしつけた。


「湯が沸いてますのでどうぞ使ってください」


「すいません、何から何まで」


「いいんですよ、ハイラ中毒は子供なら死に至る事もありますから、これくらいしかできなくてこちらが申し訳ない限りです」


 老婆は本当にすまなさそうにしていた。もともと豊かな村ではない。小さな孫を連れた老婆では稼ぎもたかが知れている。それでも歓待しようとしてくれるのは人の良さの表れであろう。ベアーは素直にお礼を受けようと思った。


                              *

 

 翌朝になると女の子は頗る元気で走り回っていた。朝餉を食べると家を飛び出し遊びに行ってしまった。


「お世話になりました」


ベアーは頭を下げると老婆は手をふってまだ終わってないというしぐさをする。


「お土産がありますので」


 そう言うと老婆は厩のほうへ向かった。この家には馬はいないはずである。どうしたのかと思うと、老婆は耳が長く足の短い動物を連れてきた。


ロバでであった。普通のロバより小さい、大型犬より一回り大きいくらいだ。


「どうぞ、旅のお供に」


「えっ?」


「大丈夫です、餌はやる必要ありません、勝手に食べますから、それに荷物を運ばせるにはロバほど役に立つものはいません。」


ベアーはロバの世話をほとんどしたことが無かったので断ろうと思った。


その時であった。ロバがベアーに近寄り頭を腕にこすり付けた。


「こんなに人になつくなんて……」


老婆は感嘆の声を上げていた。


 老婆が言うに、このロバは人を乗せることを嫌がり、家の者にもなつかないそうだ。元来、ロバは頑固で人の言うことを聞かずマイペースで生活するのが常である。しかしこれほど超然としたマイペースを貫くロバは珍しいらしい。


 ただ不思議なことに重い荷物を持って苦労しているときや、困っているときは助けてくれるらしく、孫がハイラ中毒になった一昨日もこのロバが真っ先にそれを教えてくれたらしい。


「どうぞお持ちください」


 ベアーは困ったが、仕方が無いので連れて行くことにした。貧しいながらも何とかお礼をしようとする老婆の申し出を断るのは悪いと思ったからである。


一方、ロバはバックパックを噛んで離さない。


「わかったよ、連れて行くから、噛むな」


 ベアーがそういうと不思議とロバは噛むのをやめた。ロバはしげしげとベアーを眺めると早く手綱を引けと目で訴えた。


 ベアーは老婆に挨拶を済ませると峠へ向けての道にむかった。村を出るとき女の子がよってきてロバに挨拶していた。


「さよなら、お馬さん、またね」


ロバは女の子を見ると一声いなないた。


『このロバ、この子の言ってることわかってんじゃないの?』


 一瞬、そんな考えが頭の中によぎったがまさかそんなはずがある訳がないわけで、ベアーは思い過ごしだと判断した。


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