第七話
日が昇り往来が激しくなった。多分8時をまわった頃であろう。荷馬車や人が多くバックパックを盗んだ老人の姿など見えもしなかった。
「ほんとは西に行ったのかな……」
ベアーは泣きそうになっていた。金目の物も、地図も、そして着替えも、必要なものはすべてバックパックに入っている……この先に事を考えると甚だしい不安感が襲ってきた。
そんな時である、注意力散漫になってベアーは荷馬車に轢かれそうになった。
「馬鹿野郎、どこみて歩いてんだ!!」
御者がベアーを怒鳴りつけた。
「すみません」
御者は気がおさまらなかったのであろう、降りてきてベアーの胸倉を掴んだ。
「謝ってすむと思ってんのか!!」
性質の悪そうな御者がそう言って右手を振り上げた。ベアーは殴られると思い顔をかばおうとした。
その時である。鋭い笛の音がなった。
*
「子供に手を上げるとは、傷害でもっていかれたいのか!」
馬に乗って近寄ってきたのは緑の制服に身を包んだ治安維持官であった。治安維持官の表情を見た御者は何ごともなかったかのように振る舞うとヘコヘコと頭をさげ荷馬車に戻っていった。
それを見た治安維持官はベアーのほうに目を向けた。
「君、危ないぞ、どうしたんだね」
治安維持官は42、3といった歳だろう、落ち着いた感じで骨太の体格をしていた。
「あの、実は昨日の夜、バックパックが盗まれて……それで」
ベアーが脈絡のない話し方をすると治安維持官の男はベアーの方をポンとたたいた。
「落ち着いて話しなさい」
言われたベアーはうなずくと昨晩の顛末を語った。
*
当初は厳しい目で聞いていた治安維持官であったが話を聞くうちに置き引きの被害者だとわかったのだろう、尋問口調だったのがやさしくなった。
「何が入っていたのかね?」
「全部です、お金も、着替えも、食べものも」
治安維持官は困った顔をした。
ベアーはその表情を見てバックパックは取り返すことができないだろうと悟った。治安維持官の表情が険しかったためである。
命からがら、イーブルディアーから逃れ、やっとのことでその角を手に入れたのに、現金化してから、わずか1日で藻屑と消えてしまった。祖父にもらった少ない現金も一緒である。一晩にして一文無しになっていた。
「お金はいくら入っていたんだね?」
治安維持官が尋ねるとベアーが小さな声で答えた。
「100ギルダーと残りは預り証です」
「預り証? 君のバックパックには預り証が入っているのかね」
「はい」
「何故そんな物を持っているんだ」
ベアーはかいつまんでイーブルディアーの角の話をした。
「ちょっと待ってなさい」
そう言うと、治安維持官は馬を飛ばしどこかに去っていった。
*
ベアーは木陰に入って途方にくれた。泣いてもしょうがないし、愚痴ったところで天から金が降ってくるわけではない。ベアーは気持ちを切り替えるとどこかでバイトの口を探して金をためるしかないと思った。
『しかし、あのジジイ、普通にみえたのに………人間ってほんとわかんねぇなあ。』
故郷の村を出て一週間あまり、いろいろな経験はあったが、まさかこんな早い段階で痛い目にあうとは……
ローリスの言ったとおり、まんまと騙されてしまった。占いが当たったことは素直にすごいと思ったが、実際、被害に遭うとヘコむものである。
*
太陽が真南に差しかかった時、馬のヒヅメの音が聞こえてきた。
「君、ここにいたのかね」
治安維持官が声をかけるとベアーは顔を上げた。妙に生き生きした治安維持官の顔にベアーは首をかしげた。その時である、治安維持官が元気な声を上げた。
「バックパックだが見つかったぞ」
「えっ?」
まさかの展開にベアーは驚いてでかい声を出した。
「持ち主不明の預り証が午前中に見つかったと両替商から連絡があったんだ。削られた名前の部分に君の名前と思しき筆致がある。ただ本人確認のため駅所まで来てもらわないと困る」
「行きます、どこへでも行きます」
ベアーがそう言うと治安維持官は馬の背にベアーを乗せて走り出した。
*
駅所は治安維持官の詰め所になっていて5、6人が駐在できるようになっていた。レンガ造りの二階建ての建造物でそれほど大きくはないが地下には留置所もあった。ベアーは一階の奥にある取調室のような所に連れて行かれた。
「ちょっとここで待っててくれ」
治安維持官にそう言われたベアーは椅子に座ろうとしたが、馬に乗ったことがないためケツが痛くて椅子になかなか座れなかった。
『ケツ痛ぇ……』
ベアーが10分ほどケツをさすっているとさきほどの治安維持官がバックパックを持ってやってきた。
「これかね?」
治安維持官の手には祖父の用意してくれたアルカ縄のバックパックがあった。
「それです、それです、間違いありません!!!」
ベアーはその眼を血走らせて大声を上げた。
「じゃあ、指紋を見せてもらうよ」
治安維持官にそう言われたベアーは人差し指をだした。治安維持官は指に黒いインクのようなものをつけ、人差し指を持ったままフィルムのような素材に押し付けた。
「よし、ここでまってなさい」
治安維持官は目を光らせると取調室を出ていった。
*
しばらくすると治安維持官が戻ってきた。
「預り証と比べたところ君の物と確認が取れた、よかったな」
治安維持官はそう言うとバックパックをベアーに返した。
ベアーはうれしくてたまらなくなった。中を調べるとパン、チーズ、干し肉はなくなっていたが、他の物はすべて手付かずだった。
「爺さん、捕まったんですか?」
治安維持官は首を縦に振った。
「預り証を現金化しようとして失敗したんだ。」
「えっ?」
「預り証の指紋を偽造して両替商に持ち込んだが、そこで偽造と判明---それで御用だ。」
「偽造なんてできるんですか?」
ベアーが素朴な疑問を呈すると治安維持官が答えた。
「普通の人間じゃできない。預り証に記してある指紋は特殊な技法で写されているから素人に偽造は不可能だ。だが、犯罪者が集まる地下街で指紋の偽造を請け負うところがある……爺さんの持ち込んだ預り証は偽造指紋だったんだよ。」
ベアーは感心して聞いていた。偽札なら聞いたことがあったが指紋まで偽造する人間がいるとは…
「ベアー、悪いんだが、君に面通しをして欲しい。君のバックパックを盗んだ人間かどうか」
治安維持官の男はロギンスと名乗った。この駅所のチーフだそうだ。彼はベアーをつれて小さな小部屋に入った。小部屋は四方にカーテンのような帯状の布がかかっていた。
ロギンスはその一部をあけた、小さな穴が二つ開いていた。
「覗いてみてくれ、それからこれをつけると老人の声が聞こえる」
ロギンスは真鍮のような素材をベアーに渡した。それは貝殻のような形でちょうど耳にフィットするようになっていた。
*
穴から覗いてみるとそこには悪態をつく老人がいた。貝殻のような耳あてから声が聞こえてくる…
「あれはわしのバックパックじゃ、預り証もわしのじゃ、お前ら年寄りを捕まえていじめおって…」
老人は涙目になって訴えだした。
「わしが指紋を偽造するように見えるか?こんな年寄りにそんな技術はない」
若い取調官にそれが効かないとわかると今度は態度を豹変させた。
「お前らの上司を出せ、都のお前らの上官に訴えてやる。」
老人は目を血走らせわめき散らしだした。その後は「急に具合が悪くなった」とか「孫が病気で死にかけている」など他の理由をさらにわめいた。
『こうも人は変わる者なのだろうか……』
ベアーはそう思うと怒りが込み上げてきた、だが老人の言動を見ているうちに徐々に気分が悪くなった。
「間違いありません、あの爺さんです……」
ベアーがそう言うとロギンスが反応した。
「そうか、ありがとう」
「あの…」
「なんだね?」
「あの爺さん、なんで本当のこと言わないんですか、正直に話せば罪は軽くなるんでしょ?」
ロギンスはそれに対して治安維持官らしい表情で答えた。
「まあな……だがこの件で有罪になれば、あの老人は二度と塀の外には出られない。預り証の偽造は罪が重いんだ。残り少ない人生を塀の中で過ごすことになる。それを見越して何とか逃れようと必死なんだ。」
ロギンスはベテランらしい渋い表情で答えた。
「あの歳で、こうした結末になるのは気の毒な部分もあるが、法は平等だ。彼は裁かれなくてはならない。そして人生の最後を獄舎で終えるだろう。」
ロギンスはそう言うと机に戻り調書の作成に取り掛かった。
ベアーにとってこの出来事はかなりの衝撃を与えた。逃れるためになりふり構わぬ年寄りの姿は浅ましく見えたが、刑務所で死ぬとなれば必死になるのもわかる気がした。一つの窃盗事件が老人の人生をこうまで変えるとは想像していなかった。
「あの時……会わなければ…こうはならなかったのに…」
人の出会いとは決していいものだけではない。心苦しくなるようなこともある。タイミングの悪い出会いは悲劇さへ引き起こす……
14歳の少年は老人の末路を垣間見て何とも言えない気持ちになった。
「この後、あの老人は裁判所に送られるが、証拠が堅いので100%有罪になるだろう。」
淡々とロギンス続けると調書を書き上げた。
「わざわざ時間を取ってもらって悪かったね、どうするかね、元の場所まで馬で送るかね?」
「いや、いいです」
馬に乗ってケツが痛いと言うのは格好が悪かったので、ベアーは歩くことを選択した。
「あの、元のところに戻りたいのですが、どうやって戻ればいいんですか?」
ロギンスはベアーの持っていた地図を見ると経路を書き込んだ。
「じゃあ、気をつけて行きたまえ、それから、旅人でも妙な人間はいるから充分注意するようにな。」
ベアーは駅所を出て歩き始めた、空は茜色に染まり雲が点々と浮かんでいた。
「刑務所行きか…爺さんの話、全部嘘だったのかな…」
あまり深く考えないようにした、考えたところで爺さんの罪がなくなるわけではない。とどのつまり荷物も無事かえってきたので、それでよしとしようと思った。だが、後味の悪さは拭えなかった。