第六話
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地図を見ると細い川が流れているので水は問題ないだろう、ベアーはそう思うと4、5日分の食料を買い揃えて町を出た。この2日間は命からがらの危険な目にもあったし、生まれて初めてのエルフも目にすることができた。旅を始めて一週間足らずでこれほどの経験をするとは想定外であった。
『ローリスさん、きれいだったな。胸も大きいし、人妻だし……ああ……』
余計なことを考えているとまんまと躓いてしまった。まるでコントのような動きである。それを見ていた男の子が指をさしてベアーを笑った。
『ヤベェ……見られた……』
バツの悪いベアーは何事も無かったかのように態勢を立て直し進み始めた。
*
懐が暖かいということもあり盗賊の心配もあるが最近の治安の善さは街道筋でも維持されていて、強盗や追いはぎといった犯罪は聞いたことが無い。20年前までは追いはぎや盗賊が闊歩して旅人を苦しめていたが、都の政策で新しい治安機関が作られ犯罪は激減していた。
ちなみにこの治安機関はモンスター討伐が終わり無職になってあぶれていたモンスターハンターを採用して新しい組織として改変されたものであった。治安維持と雇用創出という二つの面を同時解決したということで歴史の教科書には数少ない成功した政策として載っている。
いずれにせよ、現金を持ち歩いているわけではないのでさほどの危険は無い。野宿もさほど気にならないはずだ。ベアーは急ぐ必要も無いので比較的ゆっくりとしたペースで進むことにした。
往来する人の顔、荷車の荷物、山際で作物を収穫している農夫の一家、そうしたものを目で追いながら足を進めた。夕方近くになると人通りは急激に減り街道もさびしくなったが太陽が地平線に消えていく様はなんともいえないものがあった。
『今日はこの辺で休むか』
ベアーはそう思うとこれまでと同じように宿木を見つけ、小枝を集めて火を起こした。火を起こすのに苦労していた初日とは違ってだいぶ速く着火に成功した。
『ちょっと成長しているな……』
ベアーは茶を沸かすとポケットから日記帳を出して今日の出来事をまとめた。意外と時間がかかったが書き終える頃には睡魔が襲って来た。ベアーはバックパックからマントを取り出すとそれを体に巻いた。
*
気づくと翌朝であった。夜飯を食べずに寝たので朝は腹が減っていた。ベアーは乾燥肉を取り出すとパンと一緒に頬張った。喉に詰まり、あやうく昇天しかけたが昨日のお茶の残りで流し込み事なきを得た。
『人間て、何で死ぬか、わかんねぇな……』
朝方のこの時間、野宿をして喉を詰まらせている人間がいると思う人はいないだろう。
『意外とこうしたことで人は死ぬのかもしれない。』
ベアーは気をつけようと思った。
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この日は天気も良く、ベアーは淡々と足を運んだ。往来には動物を運ぶための大型馬車や旅芸人がチラシを配る姿があった。少しの間、止まって観察していたが大きな荷物を運びながら移動するのは相当の苦労のようだ。荷馬車を引く馬を鞭打ったり、轍にはまった車輪を5人以上の男手で引っ張ったりと、町では見ることのできない日常が垣間見えた。
*
ベアーはさらに進んだ、特にこれといったことなく無事に日暮れを迎えた。野宿するのにちょうどいい寄生木もみつけベアーは昨日と同じように火を起こした。
『着火はかなりうまくなった』
ベアーが薪に着いた火を見てニンマリすると、後ろから声をかけられた。
「もし、火に当たらせてもらっていいですかな」
声の主は体の小さな老人であった。赤いベレー帽をかぶりマントで体を覆っていた。旅人のエチケットとして旅人同士は助け合うというのが暗黙の了解である、ベアーは『どうぞ』と声をかけた。
老人はゆっくり腰をかがめると火に当たった。
「お茶でもいかがです?」
「そうですか、じゃあ一杯」
そう言うと老人はコップを差し出した。銀製のコップで大きくも無く、小さくも無い。老人の体にあった大きさであった。
老人は特にしゃべらずお茶を飲み干した。
ベアーは思い切って自分からたずねることにした。
「旅をされているんですか?」
「ええ、巡礼の旅ですよ」
「巡礼ですか、ひょっとして僧侶の方ですか?」
「いやいや、私は隠居した身で、各地の景勝地を回っているんです。」
「そうなんですか、実は僕、初めての旅で、まだよくわからないことが多くて…」
「私でわかることなら、お茶も頂きましたし。」
「いいですか」
ベアーは正直うれしくなった、独りで明かす夜というのはモンスターに襲われたということもあるが、やはり緊張感がある。精神的にはあまり休まらない。話を聞けるとなれば気もまぎれるし、知らないこともわかるかもしれない。
「旅のコツってあるんですかね?」
「コツね……そうだね、やはり無理しないことだね、節約するのはいいが野宿で無理をすると次の日がきつい、安宿でいいから止まったほうが良いこともある。」
「安宿ってどんな感じなんですか?」
ベアーはまだ宿に止まった経験が無いので興味があった。
「基本は独り部屋か大部屋という選択だね、もちろん大部屋のほうが安いが、大部屋連中にはたちの悪いのもいる。お前さんみたいに若いとカモにされやすいな、特に賭け事で嵌められるのはよくあることだ。」
ベアーは『賭け』はあまり興味が無いので大丈夫だと思った。
「ただ、大部屋連中には旅芸人やわしの様な旅人も多いから情報交換するには一番良い」
ベアーはなるほどと思った。
「大きな町になると宿が何件もあって、それぞれ特徴がある。例えば商人が集まるような宿、ばくち打ちや酒飲みが集まる宿、貴族や学者が泊まる宿、職業で結構わかれるもんだよ」
老人の話は旅のしおりには書いてなかったので、面白いと思った。
「あの、パン食べますか? 乾燥肉とチーズもありますけど」
「チーズとパンをもらえるとありがたいね」
ベアーはパンとチーズをナイフで切って老人に渡した。老人はパンをゆっくりとちぎって食べ始めた。
「あの、旅で気をつけることってなんですかね?」
「そうだね、治安は昔と違って安全だし…」
老人は少し考えていた。そうするとポンと手を叩いて話し始めた。
「見たところ、お前さんは小さな村か町から出てきたのだろう?」
「はい、そうです」
「それなら、大きな町に入ったときは女性に気をつけにゃならん」
「女性ですか?」
「夜の女じゃ」
「夜の?」
老人は深くうなずいた。
「お前さんくらいの歳なら一番のカモになる。気づいたときには財布は空じゃ」
「そうなんですか?」
「そういうもんじゃ、遊ぶなら高い料金を出してでもしっかりしたところで遊べ、そうせんとぼったくられるだけじゃ、最悪、病気をもらうこともあるぞ」
「はあ」
どうやら老人は性病のことをさして注意をくれたのだろうが、娼婦と寝る気は微塵も無い。確かにマギーとローリスの巨乳には悩殺されたが、それでも何とか自分を抑えることができた。この旅で羽目を外さない自信がある。
「それから、酒を飲むときもじゃ、中には親しげに近寄ってきて、気づかぬうちに眠り薬を入れる輩がおる、目が覚めたときにはスッテンテンじゃ」
「そんな奴いるんですか?」
「たいていは非合法のクスリを手に入れられる奴等と組んでそうしたことをしておる。」
ベアーは素直に気をつけようと思った。
「後は、食中毒じゃな、もうすぐ夏だろ、旅の物は日持ちがするようになっとるが、通気性の悪い袋に入れるとやはり、いたんでしまう。匂いをかいでおかしいと思ったら、もったいぶらずに捨ててしまうことじゃ。」
ベアーは痛んだ物を食べたことがないので、どこまでがセーフでどこからがアウトかという線引きがいまいち判らなかった。
「やはり、すっぱさじゃな、そう酸味ジャ、それを感じろ」
とりあえずベアーはこのこともおぼえておこうと思った。
「そろそろ、わしは寝かしてもらっていいかい?」
「あっ、すみません、気づきませんで」
「いいんじゃよ、お休み」
そう言うと老人はぱたりと倒れた。
横から見ていたベアーは一瞬、死んだかと思ったが、老人はもう寝息を立て始めていた。
「よかった、死んでなかった。」
ベアーも眠りにつくことにした。
*
明け方は不思議と冷え込みいつもより速く目が覚めた。用を足そうと思い起きあがった時だった。
『おじいさん…いないぞ……あれ、バックパックもない……』
まんまとやられていた、旅のコツをわかりやすく教えてくれたのでベアーは信じてしまった。まさか老人が盗むとは……
とりあえず追いかけなくてはならないが、青の老人が街道を東に行ったのか西に行ったのか、ベアーにはまったくわからなかった。焚き火付近には足跡を残しているが、わざと攪乱するようにいろいろな方向に足跡は向いている……
『どうしよう……』
『まだ夜は明けてない、そんなに遠くまで入っていないはずだ』
とにかく追うしかないとベアーは思った。