第五話
レスタとベアーは街道に向かった。朝方の街道は人や馬車の往来が激しく昨日の夕方とは大違いである。人の多さにベアーはびっくりした。
「これからサハルの町にいってこの角を売ろう。いくらになるかはわからんが結構楽しみにしていていいぞ」
サハルは街道を歩くと1時間ほどで着く宿場町である。月に一度、大きな市が催されるが、今日がちょうどその日だ。
「多分、それなりの値段では引き取ってくれると思うが、金にしてみるまではなんとも言えん」
「どのくらいで売れるんですか」
「そうだな、5年前で5000ギルダーだったから、多少変動はあってもその辺りには落ち着くと思う。」
「5000ギルダーって大金じゃないですか!!」
ベアーは驚いて目が点になっていた。それというのも祖父の給料が月々で450ギルダーだったからである。角一本で僧侶の1年分の給料になるとは考えられなかった。
「イーブルディアーの角は珍重されるからな、それに命がけで取ったんだから当然だろ」
「いいんですか、半分ももらって」
「当たり前だろ、お前が食われかけなきゃ仕留められなかったんだから」
「あっ」
「それに、肝臓と毛皮はこっちでもらったんだから、角の半分くらいは譲んないとな」
言われてみればそうである。ベアーはありがたく好意を頂くことにした。
「…あの…」
「何だ?」
「レスタさんはどうやって生活してるんですか?」
レスタはベアーの問いかけに対して即答した。
「俺か、本職は大工だよ。この辺りは都の貴族が別荘を建てんのに人気があるんだ、今は仕事が無いが、あと3か月もすれば忙しくなる。」
「大工さんだったんですか、狩人みたいな生活かと」
レスタは笑った。
「狩人か、狩人じゃ食えないよ、確かにうちの爺さんはモンスターハンターだったけどな」
「モンスターハンターですか?」
「今じゃ廃業した職業だが爺さんの世代じゃ結構よかったらしいな」
ベアーは感心して耳を傾けた。
「俺の狩りの技術も爺さんから習ったんだ」
「そうだったんですか」
「だけど親父の世代で鞍替え、喰えない職業じゃ嫁もこねぇからな」
レスタの状況はまさに今のベアーと同じであった。喰えないと否が応でも転職を迫られる。やむを得ないことなのだろうが転職を考えているベアーにとってはレスタの話は身につまされるものがあった。
*
しばらくそうした会話をしながら進むと正面に街が見えてきた。5mほどの高さの壁に囲まれた入口の門に旗が立っていた。
二人がその門をくぐると石作りの町並みが現れた。整然とした区分けがなされ、商業地区、住宅地区とはっきり分かれていた。太い中央道を分けて東側が商業区になっているようで二人はそっちに向かった。
「よし、ちょっと交渉してくる、この辺で荷物を見ててくれ。」
そう言うとレスタは雑踏の中へ消えた。
『イーブルディアーの角、いくらで売れるかな……』
一般的に角は漢方薬か剥製のどちらかで消費される。普通の鹿の角なら値もつかないだろうがイーブルディアーともなれば別らしい。ベアーはウキウキした。
*
30分ほどするとレスタが戻ってきた。
「良い感じだぜ、着いて来い!!」
言われたとおりついていくと大きな乾物屋についた。物憂げな感じの男が主人で歳は50は回っているだろう。体つきはやせていたが、その目は長く商ってきた商人独特のものがあった。
「どれ、見せていただきましょう」
男はルーペで丹念に二本の角を見て回った。感触を確かめ、ナイフで切り落とした断面をつぶさに観察した。
「かなりモノですね、ここ10年では一番でしょう」
男はそう言うと出納係を呼んだ。
「こっちで手続きしますので」
そう言うと数字を書いた紙切れを出してきた。
「こちらの値段でいいですね」
「ああ、頼むよ」
出納係の男は大きめの手帳のようなものを持ってきた。そこに金額と日付を書き込み、屋号を彫ったスタンプを押した。
金額には5550ギルダーと記されていた。
ベアーが怪訝な表情でたずねた。
「これお金じゃないですよ」
「ああ、小切手だ。これを両替商にもっていくと金に換わるんだ」
2枚分の小切手を取るとレスタは一枚をベアーに渡した。
「両替商に行こう、そこで指紋を登録して金は預けるんだ」
ベアーはよくわからないもののとりあえずうなずいた。
*
両替商というのは都から免許をもらって決済の仲立ちをする機関である。大きな取引に現金を使ったり、手元に保管するのは危険なため、現金を払う側が小切手や証文で支払うのだ。そして受け取った側はその小切手や証文を両替所に持ち込んで現金化するのである。両替商はそのときに発生する手数料で儲けを得る。
ベアーの村に両替商は無かった。小さな村は現金で事足りるし、村人の場合は物々交換というケースも多い。大きな現金決済が無いため両替商がなくともやっていけるのである。しかし街となると人口も多いし、そこに出入りする商人の数も多い。当然、決済も便利で安全な方法が好まれる。
ベアーは初めての経験に少し緊張した。
「よし、ここだ。」
レスタは入り口の大きな石造りの建物に入った。中は繁盛しているらしく人でごった返している。
「小切手を預かって欲しいんだけど?」
「3番にどうぞ」
入り口のカウンターの所にいた男は無愛想に答えた。
二人は言われた通り3番の窓口に向かった。
「俺が先に行くから、それを見てろ。預り証を発行してくれるから、それから指紋もとられるぞ」
両替商では初めての客が小切手や証文を持ち込んだとき指紋を取る。これは安全性を高めるための行いである。預り証を使って現金を下ろそうとした場合、両替商では預り証に押された指紋と持ち込んだ人間の指紋とを必ず照合する。一致すれば現金を渡し、残金を預り証に新たに記す。一致しなければ治安機関に通報する。こうすることで本人確認を厳密化し預り証を悪用しようとする輩を排除するのだ。
「次の方どうぞ」
窓口の女が手招きした。
ベアーは多少緊張したが滞りなく事務作業が終わると、窓口の女に向かって声をかけた。
「あの、現金が欲しいんですけど」
「いくらですか」
「100ギルダーです」
女は預り証の金額を書き換えて100ギルダーと預り証をわたした。
「詳しいことは預り証の裏に書いてあるからしっかり読んでおいてね」
「はい」
こうして当面の生活費を得たベアーは新たに両替商という商売も知ることになった。
*
ベアーが出てくるのを待っていたレスタが声をかけた。
「昼飯でも食うか?」
ベアーはうなずくと二人は大衆食堂に入った。掘立小屋を改築したような簡素な所であったが間口からは数多くの客がいることが分かった。
「ここは美味いんだ」
レスタはそう言うとニヤニヤして暖簾をくぐった。
レスタはビールと煮込みを頼んだ。煮込みは雉の内臓を特製のミソで煮込んだものだ。一見すると黒々としていてうまそうには見えないが、つまんでみると臭みも無く想像以上の味だった。臭みを消すために湯通ししたり、複数の香草を入れて煮込むことで独特の風味付けをしているとレスタは話した。
一方、ビールだがこの辺りはホップで有名な土地でダリスでは一番のビールが飲める酒飲みの聖地である、レスタは上気した顔を見せた。
「どうだ、飲んでみるか?」
言われたベアーはとりあえず試してみようと思い「はい」と答えた。
程なくすると給仕の女が木製のジョッキになみなみ入ったビールを持ってきた、ベアーは恐る恐る口をつけるとその苦い味になんともいえない表情を浮かべた
その姿を見たレスタは笑った。
「ビールはこうして飲むんだよ!」
レスタはジョッキをいっきに煽った。ゴクリゴクリという音を立てて喉仏の上下するさまはなんともいえない。それを見たベアーも真似してみたがやっぱり駄目だった………まだ14歳には早いようだ。
そうこうしている内に別の料理が来た。川海老のから揚げと鳥のもも肉を炙った皿である。もも肉は山椒でアクセントがついていた。ピリッとしているが唐辛子のような辛さではない。
「ビールにあうだろ、ここの川海老は皮がパリパリしていけるんだ。」
レスタは食べるよりも飲むことに集中していた。立て続けに3杯、ベアーの分まで飲んでしまった。
「家じゃビールは飲めないからな」
一方、ベアーは鳥にかぶりついていた。辛みそで味付けされたものは経験があったが山椒の風味で食べる物ははじめてだった。
『同じ鳥の料理でもこんなに味が違うんだ…香辛料ってすごいな』
夢中で頬張りながら、川海老に手を伸ばした。こちらはシンプルな塩味だが、殻がカリっと揚がっていて家で食べたものとはまったく違っていた。
レスタいわく、『揚げ油が違うため香ばしさが出るんだ』とのことだ。
ベアーの郷で取れる川海老となんら違いはないが、塩の種類や揚げ油が異なると風味も変わる。料理というのは不思議なものだと思わざるを得ない。ベアーは川エビのから揚げに舌鼓を打った。
*
全部平らげると二人は店を出た。
「どうするんだ、これから、旅は?」
「東のほうに行こうかと思うんです」
「東か、じゃあ、峠越えだな。この時期ならまだ寒くないし、たいしたこと無いだろう。それより地図買ったのか?」
「はい」
「街道を出て、3日も歩けば宿場に着くけど、野宿だな、それまでは。」
「大丈夫です、慣れましたから」
「また、襲われたりしてナ」
レスタは意地の悪そうな顔で言った。ベアーがぞっとした表情を見せた。
「冗談だよ、それより気をつけろよ、方向が逆だから、ここでお別れだけど」
「ありがとうございました、しばらくバイトしなくて済みそうです」
「まあ、無理スンナよな、大工の見習いなら紹介できるから、気が向いたらこっちまた来いよ、じゃあな!!」
多少、酔っ払ってはいたが意外にしっかりした足取りでレスタは別れていった。
「さよなら」
ベアーが背中に向けて声をかけるとレスタは右手を上げた。別れ際は寂しい感じもしたが、いい人間に出会えたことをベアーはうれしく思った。
『日が暮れるまでには時間がまだあるな、たらふく食ったので歩いていこう!』
ベアーはそう思うとサハルの街を後にした。