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第三話

 旅支度は思ったよりも早く終わった。あらかじめ祖父が必要な物をそろえておいてくれたおかげである。丈夫で軽いアルカ縄で編んだバックパックに様々なものをベアーは詰め込んだ。歩く距離が長いので荷物をどれだけ少なくできるかが重要になる、ベアーは慎重に荷物選んだ。


 ベアーが荷造りを終えると祖父が自分の経験したことをベアーに語った。だが50年ちかく前のことで現在の状況とは程遠くどれも当てにならなかった。


「モンスターに会ったらとにかく逃げろ」


「詐欺師にはだまされるな」


「生水は飲むな」


 モンスターに会う確率はほとんど無いためこのアドバイスは無意味だったし、詐欺師にあっても取られるほどの潤沢な資金は無い。生水は最初から飲む気は無い。


 他にも老婆心的な内容の無駄話が多く反論するのも面倒なので、ベアーはいつものごとく聞いているふりをしてスルーした。


 支度が終わると最後に旅人のしおりという小冊子をバックパックのポケットに入れた。少なくとも祖父の話よりは役に立ちそうだ。明日の朝からは新しい道を切り開くため、そして僧侶をやめて転職する為の旅に出る。14歳の少年にとっては夢と不安で一杯の出発になりそうだ。


                                 *

 

 翌朝、起きると雨だった、いきなり水をさされる思いがしたが、雨の日は嫌でも経験しなければならないし思い切って出かけることにした。まだ暗い朝5時半、雨中の出発は沈痛な気分にさせたが一歩踏み出すとそれなりにやる気が沸いてきた。


母屋を出ると礼拝堂の入り口に祖父が立っていた。


「これを持っていけ」


麦飯に鳥の照り焼きを乗せた弁当だろう、匂いですぐわかった。そしてきれいにたたまれ布が置かれていた。


「何これ?」


「羽織ってみろ」


 ベアーはしぶしぶ、言われたとおりにした。緋色のマントであった。肩でとめられるようになっていて、とめ口には家紋を彫ったボタンがついていた。


「じゃあ、3年後」


 そう言うと祖父はそそくさと母屋に入っていった。もうちょっと別れの挨拶的なものがあるのかと思っていたが異常なまでのさっぱり感にベアーは拍子抜けしてしまった。


『まあ、こんなもんか、でも3年後には僧侶じゃなくなって……俺、何になってんのかな?』


 現在のところ決定しているのは僧侶をやめて転職することである。僧侶のようにお布施で食べていくのは嫌だし、まして都からの少ない補助金で飼い殺しにされるのはお断りである。


『まあ、いいや、それをこの旅で決めればいいんだし』


 ベアーは傘をさして勢いよく峠へ向かう道に出た。この先どうするかはボチボチ決めればいいし、無理することは無い。ゆっくり進んでいこうとベアーは思った。


                                 *


 初日は順調に進んだ。特にこれということはなく隣村の近くで昼を食べ、それから夕方までポツポツと歩き、暗くなるとバリスタの木の下で落ち着いた。バリスタの木はとても大きく、家一軒が覆われるくらいの枝を張っている。常緑樹なので雨風がしのげ、旅人には重宝する木である。ベアーはその下で小枝を集め、火をおこした。


 持ってきた乾パンとチーズをバックパックから取り出すとチーズを切り取って枝に刺してあぶった。表面がフツフツとしてくるとパンの上に乗せた。携帯ポットの湯も沸いたのでそこに乾燥した茶の茎を入れて煮出した。3分もすると茶色い液体が抽出された。カップに移し茶を飲みながらパンをほおばる。簡素な食事だが十分な夕食だ。


 食事を終えるとベアーはマントの中に包まり横になった。この時期の朝晩はまだ冷え込む。10度を下回ることもざらである、祖父のくれたマントがいきなり役に立った。堅い地面は気になるがちょうど良い枕木を見つけたので比較的、快適に眠れそうだ。ベアーはこうして旅の初日を終えた。


                                *


 翌朝は日の出と共に目が覚めた。明け方の冷え込みが強かったということもあったが太陽の光が当たると自然と体が覚醒した。荷物をまとめると小道に戻った。この小道をあと2、3日進むと街道に出る。街道を2日ほど北上すれば峠である。峠を越えると最初の目的地パイラに着く。ベアーはここで情報収集するつもりだった。


 ベアーは荷物を背負って小道を進みだした。3時間ほど歩くと左手に集落が見えてきた。野菜の収穫をしているのがわかる。出荷時なのだろう、忙しく動き回っている農家があちこちに見られた。慣れた様子で収穫していく姿はリズムがあって見ていて小気味がよかった。集落を過ぎるとベアーは朝飯をとった、火を起こすのは面倒なので乾パンと水だけで済ました。


 それから一休みしてまた歩き始めた、特にこれということは無い。淡々と歩き、淡々と時間が過ぎる。夕方まで同じ営みを続けたベアーは川のほとりにあるバリスタの木に落ち着いた。昨日と同じ夕食を済ませるとマントにくるまった、昨日より気温が低くマントのありがたみを感じた。


                                *


 その晩は何事もなく過ぎて翌朝になった。風景もさして変わらないがもう少し進めば街道にぶつかる。田舎の小道では人に会うどころか家畜にさえあわなかったが、峠に出る街道に入ればそれも変わるだろう。いろいろな人を見かけるだろうし、物資を運ぶ馬車や手紙や小包を運ぶ飛脚も目にするはずだ。


 ベアーは昨日と同じく淡々と歩いた。もともと独りでいるほうが好きなベアーだが誰とも会わないとなるとさすがにこたえてきた。3日もしゃべらないと孤独感は強くルークやリーザ、そしてマギーの姿が脳裏に浮かんだ。


『巨乳ばっかり思い出す…』


 天気は昨日から晴天が続いているが今日は風が強い。特に向かい風が強く体力が奪われた。2日間の野宿と風の強さで疲れが出ていた。旅人のしおりではこうした場合、


『無理せず休め、疲労がたまると風邪を引きやすくなるので後の旅がつらくなる、風邪を引けば薬代や宿代で結局費用がかさむのでちょっとした小休止は長旅では重要である』


と書いてある。ベアーは従うことにした。


 川で水を汲む。沸かすのは面倒だが体を冷やすのは嫌だったので火をおこすことにした。まきを集め火打石を使って火をおこそうとした、だが風が想像以上に強く上手く火がおこせない。苛立って石を何度もこすり合わせていたが上手くいかない。


「何でつかないんだよ、このクソ!」


そんな時である、急に太陽が翳った。さっきまで雲ひとつ無かったはずだ。


不思議に思い顔を上げた刹那であった。


「あっ…」


 明らかに黒い物体が正面にあった。背筋が寒くなるのを感じた、本能的に危険を察知したといってよいだろう。恐る恐る見上げてみる。


                                *


ベアーの目に入ったのは唾液を口から垂らした動物だった。


『やばい、これ、ひょっとしてモンスターじゃないの?』


ベアーは自問自答した。


『確かモンスター図鑑に載っていたやつじゃ…』


『っていうか、ヤバイやつじゃないか…』


『イーブルディアーだ』


 ベアーの脳では上記のやり取りが瞬時にしてなされてこの回答に至った。ベアーは小さなころから家にあるイラスト付のモンスター図鑑を見るのが好きで、ほとんど全部を暗記している。


以下は図鑑に書かれているイーブルディアーの項目である。


『北部に生息するモンスターで山岳、森林を中心に生息している。鹿のようだが筋骨たくましくし、角が非常に鋭い。口が大きく金属でも噛み砕くあごを持っている。その性格は著しく凶暴で熟練のモンスターハンターでも遭遇しないようにつとめるべきである。危険度:レベル4』


 モンスター図鑑の各モンスターには必ず『危険度』が記されている。一番後ろの項目にさりげなく載っている程度だが冒険者はこの部分を必ず目を通す。なぜならこの点が一番重要だからである。あまりモンスターに興味の無かった祖父でさえ同じことを言っていた。


レベルは5段階で示され4は上から二つ目に当たる。


『てか、レベル4ってやばくね…』


あまりに厳しい状況におかれると人間は思考停止に追いやられるが、ベアーの状態はまさにそれだった。


                         *


 イーブルディアーは唾液をたらしながら目の前に迫っていた。仁王立ちしたその姿は2m以上ある。角まで入れれば3mだ。黒光りした角で突かれれば間違いなく致命傷を負うだろう。イーブルディアーは口を開けベアーの頭を噛み砕こうとした。


『あっ、俺、喰われて死ぬんだ』


 ほんの5日前までは学校の生徒で将来の進路をどうするかが最大の問題だった。それがわずか3日程度の旅でこの有様である。自分に死神が降りてくるなんて…どうして想像できようか。


 異様に甘い息を吐き、独特の黒目でベアーを見据えて近づいた。ベアーはそのとき地面を見ていたが、大きく口を開けたイーブルディアーの影がベアーの影に重なろうとしていた。


『体が動かない…』


『こりゃ、駄目だ…』


『マギーの巨乳、触っとけばよかった…』


『こんな人生なんて…』


『秋刀魚食いたい~』


いろいろ考えるがまとまらない。混乱の中で混沌が生まれ脳を侵していった。



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