第四話
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山積みにされていた羊毛の選別はケセラセラ号のクルーを用いた人海戦術で捗り、2か月かかると思われていた作業は1週間ほどでめどが立った。
「よし、これならクリーニング作業(羊毛の処理)も業者に頼まずにできるな、これだけ人数がいればひと月もかからんだろう…」
ウィルソンがカレンダーと予定表を確認しながらそう言うと事務作業に従事していたジュリアが声を上げた。
「ウィルソン、あれはどうなってるの?」
「あれって?」
ウィルソンが怪訝な表情を見せるとジュリアが発注の書類を見せた。
「ゴルダの職人に頼んだ商品!」
言われたウィルソンは渋い表情を見せた。
「あれか……納期……もうすぐだな。だけど、多分できてねぇよ……連絡きてないしな」
ウィルソンがそう言うとジュリアが発破をかけた。
「お客さんは待ってくれないわよ、来月には納期が来るわ」
ジュリアがそう言うとウィルソンが嫌な顔を見せた。
「あそこの職人、嫌なんだよ……それにこっちの作業もあるし……」
ウィルソンにも苦手な人物がいるらしくその表情は渋い……そんな時である、ウィルソンとベアーの目があった。
ウィルソンはベアーを見ると急に思いついたような声を上げた。
「どうだ、ベアー、お前、行ってみるか?」
「えっ?」
ウィルソンは嫌な仕事を放棄するチャンスを見つけたらしくその口調は急に明るくなった。
「そうだ、お前、ゴルダに行って商品を引き取ってこい!」
ベアーは青天の霹靂ともいう事態に驚いたが、倉庫での羊毛処理に辟易していたのでその申し出は悪くなかった。
「ちょっと変わった土地だけど……危険があるわけじゃねぇから、いい勉強にもなる」
ウィルソンはそう言うとベアーに近づきその耳元でささやいた。
「ゴルダには『パーラー』ってのがあるんだ」
「パーラーですか?」
ベアーは初めて聞く単語に身を構えた。
「ゴルダは出稼ぎ労働者の多い工業都市なんだが、金回りのいい街でな……となるとそこにはうまい食い物とオネェちゃんたちが集まってくるわけよ。特に……」
ウィルソンはそう言うとベアーにイヤラシイ目を向けた。
「……亜人のオネェちゃんはスゴイぞ……」
ベアーは『亜人のオネェちゃん』と聞いて触手が動いた。
「パーラーは表向き、社交場になってるんだけどな……実は個室があって、そこで……」
ウイルソンが続けようとした時である、ジュリアがそれを遮った。
「まだベアーには早いでしょ、そういう所は!!」
ジュリアの雷が落ちるとウィルソンは押し黙ったが、ベアーは『個室』という言葉の響きに目を光らせていた。
「僕、ゴルダに行きます!!」
ベアーは目を爛々と輝かせると熱い炎を心の中でたぎらせた。多感な15歳の少年には『パーラー』と『個室』という言葉は魅惑を秘めたもの以外の何物でもなかった。
11
ゴルダはポルカから馬車を乗り継ぎ、約一日かかったところに位置する工業都市である。城郭都市として有名な観光地であるがそれ以上にモノづくり(金属の精錬、加工、細工など)の街として名高く、ゴルダで生産される工業製品は定評があった。
また、北の国境付近にある山々からは数々の鉱石が採掘され、それを用いた冶金商品(鍋や釜など)はダリス随一の質を有していた。その高い技術で製造された品々は隣国トネリアからも高い評価を受けていた。
馬車に乗ったベアーがその冶金技術の特徴を記した冊子を読んでいると、その視野にゴルダの街を囲む城壁が現れた。
「凄いな、この石畳……」
北方の蛮族の襲来を幾度となく防いできたゴルダの城壁は実に高く、その堅牢さも半端でない。精緻かつ大胆に組まれた城壁はところどころ苔が生えていたが現在でも蛮族の襲来に耐えられるだけの十分なメンテナンスがされている。
ベアーは馬車を下りるとその石壁を眺めながら街に入るべくゲートに向かった。そして身分証明書を見せるべく業者用の列に並んだ。
「ゲート、デカいな……」
高さ7m、幅7mの正方形のゲートは錆びついている部分もあったがその姿は雄々しく、ところどころに見える傷は過去の歴史(蛮族来襲)をそこはかとなく知らしめていた。
『これが蛮族襲来のときの……』
蛮族とはトネリアとダリスの間にある山脈の集落に住む連中の事だが、そのルーツは300年前の魔人との戦いのときにさかのぼる。彼らは人間(亜人も含む)でありながら魔人側について人間、エルフ、亜人を苦しめたという過去があった。そしてその過去はいまだに重くのしかかり、『北の蛮族』と言う単語の中には『相いれない人々』という意味あいも含まれていた。
『そう言えば、歴史の先生も蛮族の事はよく言ってなかったな……』
ベアー自体は蛮族に対して偏見はなかったが歴史の教師が授業の中で蛮族の事を『不逞の輩』と呼んでいたことを思い出した。
そんな時である、若い門番から声がかかった。
ベアーは懐にあったフォーレ商会の人間であることを証明する書類を提示した。若い門番はそれに目をやると口を開いた。
「君は貿易商か?」
若い門番がそう言うとベアーが答えた。
「まだ、見習ですけど……」
ベアーがそう言うと門番は左手に持っていた台紙をベアーに見せた。
「ここに君の名前と業者名を記帳してくれ」
言われたベアーが素直に従うと若い門番が声を上げた。
「ようこそ、ゴルダへ」
拍子抜けするくらい簡単なやり取りにベアーは若干驚いたが、何事もなくゲートを抜けられたことにほっと一息ついた。
*
ゲートを抜けた先には整然と区切られた街並みが現れた。労働者や荷馬車が競うようにしてメインストリートを行きかう姿は工業都市ならではの様相で、ベアー初めて見る人の波に思わず声を詰まらせた。
「スゲェ、人の数だ……」
ゴルダの街はダリス各地から労働者が集まっているためその雰囲気は独特で商業地のような華やかさはなく殺伐としていた。みな自分の仕事に忙殺されているようで、その顔には緊張感がみなぎっていた。
『なんか、変わってるな……』
ベアーはいくつもの街や村を見てきたがゴルダの街を覆う雰囲気はそれらとは違い、どことなく不穏であった。それは仕事の忙しさやプレッシャーから生じるものではなく、妙な靄がかかったような感じであった。
『何なんだ、この雰囲気……』
ベアーは初めて感じる街の雰囲気に若干の不快さを覚えた。
『まあいい、とりあえず仕事だ』
ベアーはそう思うとウィルソンに言われた職人の工房へと向かった。
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職人の工房はロッジのような造りで二階が住居、一階が作業場になっていた。木造の骨組みに土壁を張りめぐらせた建物はポルカとは違い重厚感はなかったが、ベアーはその建造物に温かみと何と親しみを感じた。
ベアーが工房に近寄り、その窓から一階を覗くと作業台の前に職人と思しき男たちが前掛けをしてそれぞれの作業に従事していた。
ベアーはその様子をつぶさに眺めてみた。
『分業体制の家内工業だな……』
職人の工房は典型的な家内工業の体裁をとっていて、ガタイのいい60歳前後の親方と2人の弟子、そして親方の奥方、この4人がチームとなって動いていた。無駄のないテキパキとした動作は見ていて小気味いい。それぞれが自分のリズムで作業に打ち込む姿は商業者とは違う雰囲気があってベアーにとっては飽きがこなかった。
*
そんな時である、唐突に後ろから声をかけられた。
「おい、お前、うちに用なのか?」
つっけんどんな言い方で亜人の少年がベアーに声をかけた。齢はベアーと同じぐらいだが体が一回り大きく、妙に腕の筋肉が発達していた。悪気があるわけではないのだが、どことなくDQN臭の香る少年で、そこはかとない知性の低さのようなものがあった。
「あっ、えっと……」
ベアーは声をかけられると思っていなかったため不審者のような応対になると亜人の少年はさらに詰め寄った。
「お前、親方の技を盗み見してんじゃねぇのか!!!」
少年はそう言うとベアーに詰め寄りその胸ぐらをつかんだ。ベアーはまさかの展開にしどろもどろになったが何とか平静を取り戻すとフォーレ商会の社員であることを告げた。
猪突猛進にベアーに喧嘩を吹っかけた少年であったがベアーの身分証を見ると納得したらしくその手を放した。
「客か……ついてきな、こっちだ」
ぶっきらぼうな話し方で少年はそう言うとベアーを工房の入り口に案内した。これが細工師見習いの少年、アルとの初めての出会いであった。