7章 第一話
1
ポルカに戻り一週間が過ぎた。不遜な僧侶マークとの出会い、海賊によるケセラセラ号のシージャック、幽霊船リーデル号の出現など考えられないような事態に遭遇したが、現在のベアーにはそのことを考える余裕はなかった。
それというのも、ケセラセラ号が遭難している間の貿易業務が滞っていたため、仕事が山のようにたまっていたのである。倉庫にはラべリングされていない商品が山積みになっていた。
ベアーはそれを見るとため息をついた。
『こんなにあるのか……』
蜂蜜、日用雑貨、トマトの瓶詰、まだ処理されてない商品は数多く、ベアーはそれを見て何とも言えない表情を見せた。
一方、ウィルソンとジュリアであったが、
ベアーが無事に帰ってきて喜んでいたのも一瞬で、倉庫に戻るとその表情は一変し、滞った作業を処理するべく鬼のような形相でベアーを叱咤した。容赦のない二人の圧力にベアーは嘆息を漏らさざるを得なかった。
『……どうなってんだ、この扱い……』
ベアーはフォーレ商会がブラック企業に転身したのではないかと思ったが、2人はそんなベアーの想いなど歯牙にもかけない様相でベアーのケツをたたいた。
*
それから3日、大口取引の目途が付いて倉庫にあった商品が搬出されると、ベアーはフッと息を吐いた。
『これでいいな……よし……』
慣れた手つきで公用語の目録を確認し、搬出される商品を運送業者に引き渡たすと納期の迫った仕事が終わり一段落がついた。
だが、それも束の間、ベアーの前には新たな『敵』が現れた
『……今度はあれか……』
それはドリトスで仕入れた羊毛であった。具体的には羊毛をその毛の等級に応じて分類し、小分けして束ねる作業である。さらにはその作業に加えて虫がつかないように汚れた羊毛をクリーニングする必要もある……
ベアーはそれを見て如何ともしがたい表情を見せた。
『これ全部やるのか……』
まだ気温が高く、倉庫内での羊毛の小分け作業はじつにきつい……
ベアーは手にしていた目録をジュリアに渡すと作業着(綿のつなぎ)に着替えた。だが、作業着は冬でも対応できるスペックのため生地が厚く、今の時期だと着ているだけで体温が上がる……
気温の高い倉庫、羊毛、生地の厚いつなぎ、3重苦がベアーを襲った。
*
ベアーが額に汗をして作業をはじめるとウィルソンが声をかけてきた。
「このままだと、あと2か月はかかるな……」
ウィルソンは完全武装(埃を吸わないための布製マスクと、虫除けの香草を液体にして噴霧した作業着)でベアーに話しかけた。
「クリーニングにも時間がかかる……この作業の手抜きは許されんからな……」
羊毛のクリーニング作業は専門の業者に頼むのだが、その前段として毛皮についているゴミやフンといった汚れを取り覗かなければならない。これをしなければクリーニング業者に払う料金は3倍を超える……
ベアーはウィルソンをジロリと見た。
「残業ですか……」
ウィルソンは頷いた。
『マジか……熱いのに……この作業を……』
ベアーが落胆した表情を見せるとウィルソンがニヤリと嗤った。
「だけど、この作業……あと少しで楽になるかもしれん……」
ウィルソンはそう言うと意味深な表情を見せた。何やら含みのある表情にベアーはちらりと眼をやった。
「船会社と海賊がつるんでただろ……あの件でロイドさんが動いてるんだ。広域捜査官の捜査も大詰めらしい……面白い展開になってる」
ベアーはケセラセラ号をシージャックした海賊と船会社が裏ででつながっていたことを思い出した。
「船会社の奴らは計画倒産して逃げる腹積もりだろうが……そうはいかない」
金銭に目聡い商人らしい目つきをウィルソンは見せた。
「でも、逃げたら賠償金なんて取れないんじゃないんですか……」
ベアーが素朴な疑問をぶつけるとウィルソンが間髪入れずに答えた
「うちの大将はそんなに甘くネェよ!!」
ウィルソンはそう言うと自信のある表情を浮かべた。
「ところでウィルソンさん、この作業が楽になるって言ったのはどうなるんですか?」
言われたウィルソンはベアーの問いに対しニヤリと嗤うとそれ以上は何も言わなかった。
2
そんな時である、倉庫の入り口から小さな影が現れた。
「おにぃちゃ~ん!!!」
その声を聞いた瞬間、ベアーは身をこわばらせた。
『あの声は……』
甘ったるく、妙に明るい声の持ち主は言うまでもない、いつものアイツであった。
「おにいちゃん、ちょっと、お話があるの~」
「仕事中なんだから、駄目だよ!!」
ベアーがきつめの口調で言うと『アイツ』は実に哀しげな表情を浮かべた。シュンとしたその態度は実にかわいそうで、見ている者がいればベアーの方が悪いと言いたくなるような姿であった。
そしてその姿にまんまとだまされた男がいた……ウィルソンであった。
「ベアー、行って来い。どうせ、今週は残業になる。2時間くらいは抜けてもいい」
ウィルソンがそう言うと、アイツは眼をウルウルさせてウィルソンに抱きついた。
「ウィルソンさん、大好き!!」
ルナに抱き着かれたウィルソンは少し顔を赤らめた。
ベアーはそれを見て間髪入れずに突っ込んだ。
「ウィルソンさん、ロリコンなんですか?」
言われたウィルソンは口をとがらせた。
「ち、ち、ちがうわい……」
ベアーが不審者を見るような視線を向けるとウィルソンはしどろもどろになって答えた。
「俺は、年上の方が好きなんだ!!」
40代中盤の男が『年上好き』というのは驚くべきことであったがウィルソンの性癖に対しこれ以上の突っ込むのも悪いと思い、とりあえず倉庫を後にした。
*
「所で、どこにいくんだ?」
ベアーが尋ねるとルナは一枚の証書を見せた。
「これ」
そこには手荷物保険と記されていた。
「海賊に襲われて荷物が全部なくなったでしょ、だからその保険金をもらいたいんだけど、保護者のサインがないと駄目なのよ!」
ルナは海賊により手に入れていた宝石類(不遜な僧侶マークを助けた対価)と手持ちの現金すべてを失っていたため手荷物保険の払い戻しには並々ならぬ思いを抱いていた。
『なるほど、そう言うことか……』
ベアーはルナの意図を理解したが、同時に別の考えが浮かんだ。
「保険金が下りたら、どうするの?」
ベアーの質問に対しルナは何食わぬ顔で即答した。
「カジノ!!」
ベアーはルナの煌々とした表情を見るとため息をついた。
3
保険会社の窓口に行って証書を見せると、程なくして担当の男が現れた。妙に痩せた男で薄くなった頭頂部をオールバックにしてごまかしていた。
男は二人に対し怪しむ目を向けたがベアーがフォーレ商会の社員証を見せると、シブシブと手続きを始めた。
「お待たせいたしました。」
男はそう言うとベアーとルナを見た。
「こちらが保険の払戻金です。」
ルナは目をキラキラさせて机に置かれた紙幣に目を落とした。だがそこには想定外の事態が展開していた。
「なにこれ……」
ルナはそう言うと口を真一文字に結んで担当の男を睨みつけた。
「証書の金額と違うんですけど!」
証書には全損(すべての荷物失った場合)1000ギルダーの保証があると記されているが、ルナの前に提示された金額はなんと180ギルダーであった。
10歳程度にしか見えないルナであったが金銭が絡んだ時の表情は実年齢54歳に戻る……その顔は傲岸不遜な中年女の陰険さが現出していた。
「どういうこと……この金額?」
ルナは激高して担当者の男を睨み付けると立ち上がった。
「180ギルダーって、舐めんてんの!!」
担当者の男は体を小さくすると小声で反応した。
「実は先週、保険の規約が変更されまして……」
担当者がしどろもどろになってそう答えるとベアーが冷静な見解を述べた。
「そんな勝手に規約の変更なんてできないでしょ。少なくとも保険をかけた人間には連絡があってしかるべきです!」
ベアーがそう言うと担当の男が証書の裏に書いてある実に小さな文字群を指差した。
そこには以下に用に記されていた。
『不測の事態が生じた場合、保険金の支払い停止、および減額がありうる』
担当者の男は陰険な眼で二人を見ると口を開いた。
「実は、うちの会社はパストール商会に買収されまして……その結果、保険契約の見直しがあったんです。買収も不測の事態にふくまれますので……お客様の手荷物保険も……『減額』に相当するんです」
担当者が後頭部に手をやってそう言うとルナが担当者の胸倉をつかんでゆすった。
「そんなん、関係ねぇよ、1000ギルダー払えや、オラ!!」
憤怒の形相を見せたルナであったが担当者はそれをスルーして話し続けた。
「そう言われましても当方ではどうにもできません……気にくわない様でしたら、訴訟にししていただくしかありません」
担当者の男は急に手のひらを返したようにそう言うと二人に対し沈黙戦術をとった。
にべもない担当者の反応にベアーはカチンときたが、担当者を論破するだけの知恵は現在のベアーにはない……
「ルナ、ロイドさんに相談しよう、それまで保険金はお預けだ。」
ベアーはそう言うとルナの袖を引っ張った。
思わぬ事態にベアーは驚きを隠さなかったが『パストール』という単語は頭の中で妙にひっかかった。
週2,3回のペースでうpしたいとおもいます。
またよろしくお願いします。